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<eLPopトークライブ>レゲトンのいま(書き起し/前編)

2019.04.23

先日3/30(土)2019に渋谷Li-Poにて行なった『レゲトンのいま』の書き起こしです。
話し手は岡本郁生と伊藤嘉章。

先日、「デスパシート」(ルイス・フォンシ&ダディ・ヤンキー)のYouTubeでの視聴が60億回を超え、世界一をまた更新したというニュースが飛び込んできました。
日本では一発ヒットぐらいにしかとらえられていないこの曲、世界では既にスタンダードとなっています。

1990年ごろにパナマで生まれたスパニッシュ・レゲエに起源を発するといわれ、その後プエルトリコを中心とするさまざまな試行錯誤の末に2000年代初頭ごろに確立したとされる「レゲトン」。今や世界標準。

そんなレゲトンの黎明期にプエルトリコに居住していた伊藤と、同じころラテンシーンの変化に着目していた岡本が、当時の話からいまのレゲトンまで駆け抜けました! お楽しみください!!
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2019/03/30  Talk & DJ「Reggaetónのいま」


♪ Despacito / Luis Fonsi ft. Daddy Yankee

岡本(以下O) まずは「デスパシート」。みなさんご存知だと思うんですけども、聞いて頂きました。じゃあ、始めさせて頂きます。私、岡本と申します。よろしくお願いします。こちらは、モフォンゴ・伊藤さんです。

【会場】 いぇ〜い(拍手)

伊藤(以下I)(話し手2名が踊るプロフィール写真を見せながら)二人で踊るコンビをやっております。よろしくお願いいたします。

【会場】 (笑)

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(左)岡本、(右)伊藤

よろしくお願いします! で、なぜ今日やることになったか?っていうと、「デスパシート」、60億回でしたっけ、YouTube再生回数、すごいですよねぇ。

I すごいですね、60億回!

O ダントツの1位なんですよね、再生回数がね。で、「そういうことありましたね」みたいな話してる時に、でも、日本では全く……全くっていうか、もちろんみなさんご存知だし、知ってる人は知ってると思うんですけど、業界的には、というか日本の音楽界的にはほとんど無視されてるぜ、みたいな話になって。

 おかしいですよね! こんだけ外で盛り上がってて!2000年の頭に盛り上がったですけど、日本じゃ、それっきりになっちゃって。

O そうなんですよね。で、伊藤さん、以前ブログやられてましたよね、レゲトンの。

 そうでした!1995年から2000年くらいまで、プエルトリコにいまして、ちょうどレゲトンができる頃で、向こうで大変面白かったんで、色々と(笑)帰国した後も、プエルトリコによく行ってて、ちょうどDaddy Yankeeが出てくる頃で、日本でも流行ったらいいなぁと思ったら、それきりになっちゃった。

O ねぇ。

I 一生懸命ブログとか作ったのに。

O そうですよねぇ。伊藤さんだけじゃなくて、世間一般的にも、レゲトン好きな方が全国各地にいらして、そういうつながりも結構……

I そうですね、いろんな人とレゲトンで繋がったり、それから、日系のペルーの友達のLando君とかが、日本発のレゲトンのCDを初めて出したりですね、かなりシーンとして盛り上がってくるかな、ということだったんですが・・。海外の方は、それからずっと盛り上がったままなんですけど、日本はどういうわけか、それきりになってしまった。

O で、僕が改めていうまでもないと思うんですけど、今の全米チャート上位の曲とか見ると、レゲトン使ったのものすごく多くてですね。もう世界標準っていうかワールド・スタンダードになってるんじゃないかな、っていうことなんで、まずは、今、世界でこんなのが流行ってるよ、っていうのをご紹介しようと。ま、改めてになりますけど。

I そうですね、本当にいろいろな曲があるんで。この後、終わった後にダンスができるように、今日はMiyaちゃんという、レゲトンがこれまた大好きなDJの方を呼んでおります。実は僕とDJユニットを組んで、レゲトンとか、そういうのをかけてるんですけども。

O プロフィール出ておりますけど、レゲトン名、あ、レゲトン名じゃないや(笑)ユニット名は?

 ユニット名は、この下の方に書いてある、「The Peligrozos(ザ・ペリグロソス)」といって、まぁ、ちょっと危ないということなんですが。

 危ないヤツら、という。

 危ないヤツら、という(笑)そういうユニットを組んでいますけども、で、終わったらダンスを楽しみたいなぁ、ということなんです。で、本日の出し物は、イントロで、「実は今や世界標準のレゲトン」、ということからスタートして、その後で歴史をやって、それで後半で、今のレゲトン、2000年以降、ここ2〜3年位を、見ていきたいな、と思ってます。

 はい、じゃあ、まず何いきましょうか? 今の、っていうことで。

I そうですね、最近のをいきましょう。画面の一番上、「Taki Taki」いきましょうか。DJ Snakeですね、で、そこにコラボレーションで、Selena Gomezという、向こうのかわい子ちゃん歌手。

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Selena Gomez

 そうですよね、テキサス出身、メキシコ系ですよね。

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Ozuna

I それと、Ozuna、これはプエルトリコとドミニカ共和国のミックス。それからCardi B、これは、

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Cardi B

O えっと〜、ブロンクスですけど、ドミニカ(共和国)とトリニダードのハーフですね。

I ではこの「Taki Taki」を!
 Cardi Bはね、今や、ものすごいトップというか。


♪ Taki Taki / DJ Snake ft. Selena Gomez, Ozuna, Cardi B

O はい、「Taki Taki」、Selena GomezとOzunaとCardi Bですね。で、Selena GomezもCardi Bも、今やヒット・チャートに普通に出てくるような、全米チャートに出てくるようなスターで。ちなみにですね、Selena Gomezってメキシコ系なんですけど、Selena(セレーナ)って名前はご存知かどうか。25年位前に亡くなっちゃった、Selena (Quintanilla)っていう方から名前を取ったっていうことで、今日の話とはちょっと違うんですけども、そういうメキシコ系の人も、こういうところにちゃんと入ってくるし、っていうことで、あとReggaetonっていえば、♪ドン・ツ・ドン・ドン……ってリズムなんですけど、多分色んなものをミックスしやすいんだろうなぁ、っていうところもありますが、もう1曲、今、流行ってるやつを。ちょっと前のですが、ジャネット・ジャクソン。マイケル・ジャクソンの妹……って改めていう必要もないですけど(笑)がDaddy Yankeeとコラボした「Made For Now」。聞いてください。


♪ Janet Jackson x Daddy Yankee / Made For Now

O はい、Janet JacksonがDaddy Yankeeをフューチャリングした「Made For Now」なんですけど、ちょっと早めのReggaetonみたいな感じで、途中からこう、ギターが絡んできて、チャンペータっていうかリンガラっていうか(笑)

I そうですねぇ、すごくアフリカ、またはコロンビアっていうかですね、なんか黒い感じ、ネイティブな黒い感じみたいなのが出てきて、格好いいですねぇ。でもベースは、アメリカンなスタイル、でもアクセントをつけてるのはReggaetonみたいな、すごい、さすが、アメリカの音楽産業すげーな、って感じですね。

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Janet Jackson x Daddy Yankee "Made for Now"

O ええ。で、今日、伊藤さんに作って頂いたレジュメがありますが……全くこれ通りに行かないっていう(笑)。申し訳ないんですけど、今かけたのも全然書いてない(笑)。すいません。Janet Jackson x Daddy Yankeeの「Made For Now」は、YouTube検索すれば、すぐ出てくるんで見て欲しいんですけど、映像もすごい格好いい。
で、Reggaetonの今っていうことで、僕は図々しくしゃしゃり出てるんですけど、実はあんまりよく知らないんで、今日は、伊藤先生に教えて頂く、ということで、いろいろ質問したいと思うんですよ(笑)

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レジュメ

I いやいやいやいや、今日は、突然岡本さんと、やろうっていうことで始まったんですけど、最近とにかくReggaetonって、日本では聞かれてないっていうか、注目浴びてない一方、向こうのヒット・チャートやコラボレーション、今のJanet Jacksonもそうですよね、本当に、メジャーなところに来てるというとこで、それをやっぱり振り返ってみてみる必要があるんじゃないか、っていうことなんです。今、どんなになってるかってところは、また最後にまとめてみたいと思います。

 そうですね、ざっと見ただけで……

 そうですね、本当にヒットで出てるとこ(の紹介)ですけど、Daddy Yankeeも相変わらず強いですねぇ。

O そうですねぇ、で、これ、一番上は、Snowっていう、「Informer」が91年ぐらいに大ヒットした人を引っ張り出してきた「Con Calma」っていう曲(笑)

 引っ張り出してきたっていうとこがすごいですねぇ。

O そうそうそう(笑)


♪Daddy Yankee & Snow - Con Calma

I っていう背景を持った曲なんですけど。これ最新ヒットでプエルトリコ勢が、相変わらず強いところがあるんですけど、やっぱり最近はコロンビア。

O そうですねぇ〜。

I そしてコロンビアに限らず、ラテンアメリカ色んなところで、アーティストが頑張ってるという、それが今やアメリカが全ての真ん中ではないわけですけども、ヒット・チャートに大きく入ってる。2004年の時は、「あ、なんか珍しい、ラテンの音楽で格好いいのがきたな」くらいだったんですけども、今のヒット・チャートの中では、もう普通に入ってる感じ。

O そうですねぇ。

I っていうぐらい、Reggaetonがあたりまえになってる感じ、っていうところが面白いと思います。

 はい。じゃ、歴史的なところに行こうかと思うんですけど、伊藤さん、今、2004年って仰ったのは、あれですよね、Daddy Yankeeの……

 あぁ、「Gasolina」、はい。

♪Gasolina - Daddy Yankee

O 日本だと、横浜ベイスターズにいたクルーンっていう、159キロでしたっけ、当時の最速を出したピッチャーが登場テーマに使ったので話題になったんですけどね。

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Marc Jason Kroon - NY Bronx出身

 そうですねぇ、ああいう風に、向こうから来たスポーツ選手がね。

O あの時は、それはそれでシーンは盛り上がりましたよね。
で、遡って、Reggaetonって、そもそもどの辺から出てきたのかなっていうところから考えたいんですけど、Reggaeton、って(いう名称が)出てきたのはもうちょっと後だと思うんですが、僕が最初にスペイン語のレゲエみたいなのを聞いたのがこれ。91年にコンピで出ているんですけども。

I タイトルが『Dancehall Reggae en Español』

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"Dancehall Reggae en Español"

O で、これ聞いて、僕はものすごいびっくりして。っていうのは、70年代〜80年代って、もちろんボブ・マーリーも出てきて,レゲエがすごい流行ったんですけど、スペイン語とレゲエっていうのは、絶対もう水と油で、ミックスしないっていうのが、定説みたいに言われてたじゃないですか。

I そうですね、そこはもう、違う世界っていう感じでしたよね。

O そう。カリブ海ではあるんですけど、レゲエの故郷のジャマイカは英語だし。で、スペイン語のレゲエっていうのは、絶対それは相容れないっていう風に言われてたと思うんですけども、これがいきなり出てきて、なんじゃこりゃあ?!っていう(笑)

 なんじゃこりゃあ、ですよねぇ(笑)

 で、調べてみたら、どうやらパナマに、パナマ運河の労働者としてジャマイカとか他の英語圏のカリブ海の人たちが出稼ぎで行って、で、そこで彼らが持ち込んだ、当時だからもうあんまりボブ・マーリー的なというよりは、ラガ・マフィンっていうか……

 そうですね。

 そういうものをクラブでやってるのを見て、みんな刺激されて……みたいなことで。パナマが発祥じゃないか?という風に言われてまして。

 はい(笑)

 じゃあ、ちょっとその代表曲をまず聞いてもらおうかなと思うんですけれども。El General(エル・ヘネラル)っていうアーティストの「Tu Pum Pum」


♪ El General / Tu Pum Pum

 El Generalの「Tu Pum Pum」という曲。あそこの、写真の真ん中の……

 そうですね、真ん中のお兄さんが、そうですね。えっと、これ88年に現地録音で、これが91年のコンピですか、

 コンピは、91年ですね。

I ですね。ちょうど80年代の終わりくらいにですね、パナマで、このスパニッシュ・レゲエなるもの、Spanish Dancehallなるものが、盛り上がったわけなんですけども。歴史からいう、もちろんその前にレゲエ、つまり先ほど言ったボブ・マーリーさんの世界があってですね、そしてそれより元々はメントとかスカとかロック・ステディとか、そういうものがあって、英語で歌ってて、それで60年代後半から70年代に、ジミー・クリフとか、ボブ・マーリーが、レゲエというのを生み出したんですけど、リズムとしては、「ワン・トゥ・カッ・フォー」とかですね、ギターが、「ンチャ・ンチャ・ンチャ」ってこう、裏をつく、どっちかっていうと裏っていうか、頭にこう「ドン」っとこないビートだったわけです。


それがですね、Dancehallとして80年代に出てきた音楽になると、頭からこう「ドン」って打つような、先ほどのEl Generalの曲みたいに、「ドッ・ツト・ドッド」みたいな、リズムになってきたというのが、これがとっても面白い、特徴的な感じで。それで一応さっと流すとですね、Dancehall Reggae、80年代くらいからスタートしてるわけなんですけども。


それが80年代中盤くらいになると、デジタライゼーションっていうことで、今までは人が演奏する、先ほどのボブ・マーリーみたいな音楽だったんですけども、そこんところを人工的な音を使うような、テクノロジーが出てきたわけですね。80年代の頭から。ドラムのリズムを作るTR808っていうローランドのリズム・マシーンや、加えてメロディーを弾くのに、ここに写真が出てますけども、カシオのMT40っていうのが出てきまして、これがリズムも作れるし、人工的な音も作れるし、っていうところで、みんなガーッと使い出したんですね。でこれはレゲエだけじゃなくて、Hip Hopとか、それからラテンでも使い出した。

O そうですねぇ〜、使ってましたねぇ。


ROLAND TR808


CASIO MT40

 この80年代の真ん中の85年くらいって、世の中のサウンドがすごく大きく変わった時期で、この電子楽器のリズムがすごく出てきたところ、とっても面白いところです。で、そん中でジャマイカでは、この(パワポ画面の)一番下にあるShabba Ranksって人が「Dem Bow」っていう曲を作ったんですけど、そういうタイプのリズムがあって、それに影響されて、先ほどのEl Generalが、80年代の終わりに、この「Tu Pum Pum」っていう曲を作って、この辺がSpanish Reggaeの走りみたいな。

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Shabba Ranks

O で、今、仰ったShabba Ranksの「Dem Bow」っていうのがすごい重要な曲ですよねぇ、

 はい。

O と、思うので、ちょっと「Dem Bow」をかけてみましょうか。


♪ Shabba Ranks / Dem Bow

 見てると、映像は実は繰り返しになってますが、歌の方もかなり繰り返しの、ビートの強い音楽なんで、ちょっと途中で切らしてもらいました。今までのレゲエ、ボブ・マーリーのレゲエなんかは、どっちかって言ったら、バック・ビートの効いたっていうか、3拍目に「ドン」ってくるような、ワンドロップのビートなんですけども、これは、もう頭から、「ズンッ、ズンッ、ズンッ、ズンッ…」

O そうですよねぇ。ハウスとはちょっと違うんですけど、4つ打ち的なところもあるし……

 で、そこの、「ッツ・ッツ・ツ」とシンコペーションするところは、カリブっぽいですよねぇ。

 そう。小節でいうと後半のところ、

 ですよね、「ドンッ・ツ・ツ・ドンッ・ツ」っていうところがシンコペーションで。そんなビートが入った感覚なんですけども、やっぱテクノロジーというかですね、こういうカシオトーンとか、TR808とかが80年代の頭から出てきた、というところがキモで。こういうシンプルなリズムをずっと生バンドでやってると、飽きちゃうと思うんですよ!(笑)

【会場】(笑)

 だけど、これを踊る側にすりゃあガンガンやってくれるヤツがいると嬉しいな、と(笑)いうことだと思うんですけども、そこで、こういう音楽が出てきたの理由のひとつだ、と思うんです。元はといえばHip-Hopもそうだと思うんです。

O で、さっきのこのコンピにですね……まぁ、さっきから、パナマ、パナマって言ってるんですけども、実はLisa Mっていう子が入ってまして。彼女はプエルトリコなんですけど、あの〜、当時はまだReggaetonって言ってなかったと思うんですが……

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 そうですね、Rap & Reggaeとか、Undergroundとかですよねぇ、

 ええ。で、彼女の曲、このアルバムの中からの曲が1曲入っているんで、それをちょっと聞いて欲しいんですけど、タイトルはですね、「Ja-Rican Jive」っていうんですね。Jaっていうのは、ご存知の通りReggaeでよく使う言葉ですよね。で、Rican、PuertoRican、のJiveっていうことなんで……

I ジャマイカ+プエルトリコ。

 ジャマイカ+プエルトリコのJive、あのJiveっていうのは……

 跳ねるようなリズムっていうか。

 そうそう。そういうことなんで、それをちょっと聞いてください。


Lisa M / Ja-Rican Jive

O Lisa Mの「Ja-Rican Jive」。聞いててReggaetonとはちょっと違うかなと思ったんだけど、なんか、いま曲の中で「Reggaeton」って言ってましたね!

I ええ、Reggaetonって言ってましたね。Reggaetonで使うような言葉(スラング)もいっぱい出てきましたし。

O このイベントをやるっていうんで聞き直してて、このアルバムいいなぁ〜って、改めて、思ったんですよ、Lisa M。

I あぁ〜、で古くさくがないですよね、昔の音ではありますけど。

O ですね。最初の歌のとこ、わざとよれて下手っぽく歌ってたんですけど、実はこの人、結構上手い人で。

 ええ、そうですね、別に音程外したわけじゃなくて、ああいう感じですよね。

 で、Reggaetonについて書いたりするときに、さっきも言いましたけど、「90年ぐらいにパナマのSpanish Reggaeが始まって、それがプエルトリコにも波及して、そこで色々試行錯誤してReggaetonになった」っていうことを書いたりしたんですけど、すいませんでした!(笑) だってこれ90〜91年で、もうちゃんと出来上がってるじゃん、っていうのを改めて思ったんですよねぇ。


 そうですね。年表を出すのがいいのか、良くわかりませんけど、ちょっと作ったので検証してみましょう。え〜、Hip-Hopの方とそれからラテンの方とですね、見方があると思うんですけども、60年代から70年代ときて、70年代くらいから、やっぱり色んなことが起こってるんですね。Reggaeでいうと、Bob Marlyの「I Shot The Sheriff」が75年なんですね。で、ここでReggaeに入って行って、その時にBlack Musicの方はどうなっているかっていうと、ちょうどHip-HopのOld SchoolがNYで始まってる頃ですね、73、4、5年っていう。これは別の文脈で広がってるんですけども、これが80年代くらいからぶつかり合い出すわけですよ。どっかでね、クロスし始める。

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で、そこがやっぱり面白いところで、ちょうどその頃に、ちょっと(スクリーンの画像が)小さくて見にくくて申し訳ないんですけれども、80年代のReggaeだと、ちょうどDancehallが始まってですね、先ほどの「ドン・ック」っていうような感じの、「ンチャ・ンチャ」なBob Marly的ではなくて。この図だと茶色に塗ってる、機械音の進出ですね。リズムマシーンのTR808が出たのが80年。これがDancehallでもHip-Hopでも「これは面白いわ、使うわ〜」っていうことで。

そして80年のカシオ・トーンMT40が出て、またこれが安くて面白いことがいっぱいできるんで色んなことを始めて、でDancehallの方では85年くらいComputerized Revolutionって言われてるんですけども、こっから、いわゆるDancehallの音、さっきの頭打ちの「ドゥン」という音が出てくるし。Hip-Hopの方だとMiddle Schoolで、やっぱビートにエレクトリックな感覚が出てきたりって。

この80年台の中盤っていうのは、機械の進歩も横並びであって。だから、この80年代の中盤から90年代のところに、実は先ほどの、そのReggaetonの元とか、Spanish Reggaeとかですね、それからSpanish Rap、っていうところが生まれてきた。これがあって、初めてそして既に90年代頭にReggaeton的な音が出てきた、っていう文脈になってるかなという風に思います。

O やっぱり、サルサとかでも、80年代の半ばって、よくシンドラムみたいな♪トゥクトゥクトゥクトゥク……みたいなの使ってたし(笑)

 そうですよね、

O で、ニューヨークの方のサルサ、っていうかラテン・シーン考えると、80年代の半ばくらいから、だんだん若い子たちがあんまりサルサ聞かなくなって、彼らがどこ行ったかっていうと、結構HouseとHip-Hop。

 そうですねぇ、やっぱりHouseのフランキー・ナックルズとか出てきたのが、70年代の終わりくらいですし、いわゆるテクノとかいいだしたのが80年の頭? で、そこんとこに、直前の78・9年が、NYサルサで「Siembra」とか、もう、一番ピークですよね。で、そっから80年代入ってチェンジする時に、他の分野ではですねぇ、Reggaeであれば、Dancehallになってきてるし、それからラテンであれば、Houseとか、Latin Houseとか、テクノとか、といってるっていうところで、80年代って、そこで、機械と絡んで色々な音が変わった時代ではありますよね。日本でもYMOって、たぶん…

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Frankie Knuckles

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"Siembra" Willie Colon & Ruben Blades (1978)

 YMOは、79年とか、80年。

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"SOLID STATE SURVIVOR" YMO (1979)

 そうですよね、で、もうちょっと前からクラフト・ワークがヨーロッパではあったですけど、まぁ、日本ではテクノ・ポップって78年から79年、この辺から機械が、すごい発達したっていうことですよね。80年代の音を、規定するのはやっぱり、そのテクノロジーがありますよね。ええ、はい、ということで…、次の?

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Kraftwerk "The Man Machine" (1978)

 ええ。またちょっとニューヨークのことでいうと、80年代前半くらいから、やっぱりDJとかがすごく、プエルトリカンの奴らがどんどん出てきて、マドンナと付き合ってたジェリービーンとか、プエルトリカンですからね。あとは、David Moralesとか、Roger Sanchezとか、Louie Vegaとか、あの辺はもうちょっと後だと思うんですけど、80年代後半になると、いわゆるCover Girlsとかですね……

 あぁ、懐かしいですねぇ。

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"Show Me" The Cover Girls (1986)

O 日本で、「ラテン何とか」って言いましたっけ? あの〜、フリー・スタイルとかになっていくようなところなんですけど、だから、ニューヨークのラティーノはそんなにReggaeの方には行かなかったかなぁ、とは思うんですよね。プエルトリコとか、どうだったんですかねぇ? なんか、これ見てると、まぁ、一部ですけど、Lisa Mとか、Reggaeの方に行った人がいるのかなぁ、って感じがしますけど。

 そうですね、(プエルトリコには)Dancehallにやられた人、それから、Spanish Reggae、DancehallとSpanish Reggaeに重ねてやられた組はたっぷりいまして、で、それと同時にNYから(の音)、まぁNYから来たっていうのはおかしいんですけども。つまりプエルトリコとNYは、本当に一つの島みたいになってますから。ご存知の通りプエルトリコはアメリカ合衆国のパスポート持ってますんで、働きに行くのは簡単なんですね。で、行ったり来たりできるわけで、アメリカのそのHip-Hopの影響っていうのもあって。プエルトリコの中ではやはりラッパーとしては、Vico Cですね。

O 第一人者ですよね、この人。

I そうですね。アメリカの方では、Old Schoolが70年代始まって、80年代の頭くらいから、まぁ、Middle Schoolっていうか、新しいところに変わってくるわけですけど、もともと、Old Schoolのところにも随分プエルトリカンは、いまして。例えば、一番有名なのはですね、Charlie Chaseっていってですね、あのCold Crush Brothersっていうヒップホップ黎明期のグループのDJクルーの一人ですね、で、実はその人が、今かけたLisa Mのエンジニアリングやってるっていう。

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Cold Crush Brothers

 そうそう。あとは、まさにVico Cがさっき一緒に歌ってたのがLisa Mなんで。このアルバムで。

 そうですね、ですから、このアルバムっていうのは、とても面白いなと思うのは、NYのOld Schoolの大先輩がですね、エンジニアやって、それでVico Cっていう、プエルトリコの、いわゆる、ラッパーの走りが、一緒にやってるっていうとこですよね。っていう風にHip-Hopの頭のとこにも、音の方でプエルトリカンはいっぱいいたっていうことと。あと、グラフィティですよね。まぁ、グラフィティ、ここ(画像)で、ちっちゃい絵ですけど、字とか、まぁ面白いデザインとかを壁に描きまくって、逃げちゃう、みたいなですね、そういうのも有名な人、あの、これLee Quintanaっていうんですけども、この人も第一人者ですね、これは、プエルトリコのポンセから出た人ですけど。あとダンサーたちですよね。B-Boyと言われる、で、その次の時代のMid Schoolがあるんですけども、この時代にすごく影響されたのが、さっき言いましたVico C。ということで、プエルトリコではですね、その辺がReggaetonの元になってるというところです。

O では、Vico C、聞いてみましょうか?

 Vico Cの音源ですね、ええと、そしたらですね、

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 じゃあ、これDJ Negroっていう人と一緒にやってるこのアルバムから、「Bomba para afincar」。解説をお願いします、伊藤さん。

 Vico Cっていうのはですね、プエルトリコで生まれて、それでNYで育ったりしながらですね、だから英語も両方いけるんですけど、もろにHip-Hop文化にやられて、島に帰るわけです。その頃、80年代中盤に島では色々、Hip-Hopとか、それからDancehall Reggaeとか、両方に影響された色々な動きがあったんですけども。島(のメジャーシーン)はその頃何をやってたかっていうとですね、Salsa Romantica真っ盛りなんですねぇ。

ですから、HipHopとかの動きっていうのは、ほとんど表に出なくってですね、若者がなんかうるせーことやってんなぁ、くらいの感じだったようです。ですけども、その間にあとのReggaetonの元になるのがずっと生まれて。で、その頃、みんな、そういう若いのは何やってたかっていうと、ここに(画面に)カセットテープが出てますけども、ミックステープといってですね、よくHip-Hopでありますけども、自分でミックスした音を作って(カセットテープで流通させる)、というのが出始めました。

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一番最初にDJ Playeroっていうのが、ここ(画面)にちっちゃな写真が出てますけども、この人が一番最初に出したのは84年、ということになってます。じゃあ、その、Vico Cの音を聞いてみましょうか。

 はい、じゃあ「Bomba para afincar」ですね。


♪ Vico C / Bomba para afincar

 Vico C、「Bomba para afincar」。ええと、最初ボンバから入って、途中からReggaeton。

 レゲトンに変わるみたいな、そうですね。

 面白いですねぇ。最初にかけた……というか見て頂いた「Despacito」でも思ったんですけども、最後のシーンがボンバになっていくじゃないですか。

I そうですよねぇ、先ほど見て頂いた、あの「Despacito」はレゲトンのリズムではあるんですけど、一番最後、電気楽器がストップして、で生音だけみたいになった時にですね、プエルトリコのボンバっていうリズムをぐーっとフィーチャーしてるんです。楽器としては(ボンバの太鼓が)あそこのバンドの中にいたわけなんですけど、それを最後にずっと(フィーチャーして)上げてきたっていう構成。やっぱり、こうやってプエルトリコ人は自分らの音楽をやっぱり出すんですね(笑)

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Bombaの太鼓"Barril" @Despacito

 結構、あそこでグッときちゃうんですけどね(笑)

I そうですね(笑)

 で、あの後、どのぐらい続けてたのかな(笑)って。あれから1時間くらいやってたんじゃないかな、って(笑)

 好きですよねぇ、本当(笑)Daddy Yankeeも、あの、本名がAyalaっていうんですけども、そのAyalaっていうのは、プエルトリコのボンバをやってるファミリーの一つの名前の苗字と同じなんですね、だから、どっかで繋がってんのかもしれないですね。

 ああ、そう! だから今の曲を見てもね、ボンバとレゲトンっていうのが、なんか、こう、地続きっていうかね。

 そうですね、これ、実は、あの、<Vico C / Bomba para afincarイントロかける> 今のやつなんですが、一番頭のところに出てくる、この太鼓ですね、この太鼓ってですね、ボンバの太鼓なんですよね。

 あぁ〜、そうですよねぇ。

 ええ、という風に、結構こだわってますね、自分とこの音をね、

 そう。さっきからずっと聞いてくると、大体90年と91年っていうのが、エポック、な感じがしますね、その年くらいがね。

 そうですねぇ、あの、レゲトンが本当に世界的にブレイクしたのは2000年入ってからですけど、その前の10年のところが、いろんなものが混じって形になっていった一番面白いとこかなぁ、っていう風な感じがします。

 で、他のところを見てみると、例えばProyecto Unoっていう、これはプエルトリカンとドミニカン、半々くらいだったと思いますけど、Meren-HiphopとかMeren-Houseとかっていうので、すごい大ブレイクした。日本にも来ましたけども……

 来ましたねぇ。

 Proyecto Unoって、Cheryl Lynnの「Got To Be Real」をサンプリングした「El Tiburón」っていうのが大ヒットしましてですね。で、やっぱり、90年代の頭くらいってそういうラテンとHip-Hop、Houseみたいなのをミックスして、それまで、色々試行錯誤してたんでしょうけど、なんか、形として出てきた年だったのかなぁ、って今、ちょっと改めて思ってるんですけども。

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"El Tiburon" Proyecto Uno (1993)

 そうですねぇ。どうしてかよく分からないんですけども、80年代の電子楽器の進歩っていうのも、絶対あると思うんですね、サンプリングして何かやれるとか、それから大きなバンドじゃなくてもやれるとかいうとこで。で、それを面白いと思った世界の方がですね、ディストリビューションの中に入れてったというとこ、それで、やる方も力をつけてきて、で、自分らのものを90年代に色々なとこで出してった、っていう感じがします。

 ええ、ええ。

 ワールドミュージック・ブームっていうのは、何年になるんですか?

 あれはやっぱり88〜89年じゃないですか? ジプシー・キングスとか、モリ・カンテとか、あとなんだっけ……? 何たって「ランバダ」が、89年。

 あ、そうですね。

 それでいうとやっぱり88〜89年。ちょうどそれと同じ頃っていうか、言われてみればそうですね。
ワールド・ミュージックっていうのも、いわゆる世界中に、伊藤さんがさっきから仰ってるような機材の発展で、すごく安く電気楽器が使えるようになったっていうことが起きてたんだろうな、っていう気がしますよね。

I はい。で、それで、綺麗に作るところもあれば、なんか荒々しい、若者の感覚で色々なことやったりとか色々。プエルトリコは、先ほどの90年代以降からレゲトンになっていく間は、まだアンダーグラウンドというカテゴリーでまだレゲトンと呼ばれてなくて、それが少し形になって、ラップ&レゲエ、と言われるようになったんですけども、そこが実は一番面白くって。

で、世の中の方では、何がプエルトリコであったかっていうと、80年代のSalsa Romanticaからですね、RMMが出てきたりですね、もうちょっと洗練されたサルサっていうか、新しいサルサっていうか、っていうのが表のシーンでは、ずっと出てたんですけど。その水面下ではですね、若者、それも、どっちかというとあんまり浮かばれない若者。

 浮かばれない若者(笑)

I (笑)あまり裕福でないところ、それからやっぱり差別されてるところ。あのプエルトリコは差別は少ない方だとはいうんですけども、やっぱり黒人系っていうか、アフロ系の人たちは差別されていてですね、で、それの血が少し混じったようなエリアの人たちですとかね、そういうクラスの人たちが、そっちに走るわけですね。そっちに走るっていうのは、表側のSalsa Romanticaの方に行かないでですね、この荒々しいHip-Hopのような、レゲエのような音楽に走るっていう。


で、それの熱気が起こる頃にですね、僕はちょうどプエルトリコにいまして、これがもうすっごい面白かったんです。なんでかっていうと、僕はもともとサルサ好きで、プエルトリコには働きに行ってて、表ではサルサなんですけども、会社のすっごい若い兄ちゃんに、「サルサ好きか?」って言ったら、「いや、サルサも好きなんだけどさ、今日は他んところ行くんだよ」っていうから、「なんだ、それ?」って、言ったら「ラップ&レゲエ」とかなんとか、「まぁ、Hip-Hopみたいなもんだ」とか言うから、連れてってくれ、と。


で、これがまた強力なビートを持った音楽で、レゲトンの一番荒々しい元の頃なんです。先ほどスパニッシュ・レゲエとかかけましたけど、割とトロピカルなのんびりした感じもちょっとありましたよね。ですけど、このアンダーグラウンドのレゲトン出たての頃はですね、もっと荒っぽい感じでした。ちょっと見ましょうかね。


♪ Ivy Queen & Gran Omar/ The Noise Live

O 伊藤さん、これは?

 Ivy Queenです。当時出たてのお姉ちゃんだったんですけども、ずーっとレゲトンの歴史の中では歌い続けてます。レゲトンの中では珍しく女性ですね。

O そうですよね。

 っていうことなんですけど、非常に強力で、音楽の感じとしてはですね、ラップもありますけど、リズムは、ダンスホール・レゲエっていうか、先ほどのスパニッシュ・レゲエだけども、もっと鋭角的な感じがするところがですね、やっぱりHip-Hopの影響もすごく強くて。

 いや、Hip-Hopですよね! まぁ、レゲエとは言いますけどね。

 そうですね。ですんで、このレゲトンっていうのは、レゲエってつくから、レゲエ・ルーツみたいなことも、あるわけなんですけど、やっぱりここはですね、まぁ、パナマではそこまでだったわけなんですけども、プエルトリコはやっぱり、NYと行き来があるので、Hip-Hopの影響も非常にありまして、表の世界の方では、その、Salsa Romanticaなんですけども、若者、とんがったところ、または貧しいところは、もうこれでして、このラップ&レゲエが、すごく流行ってたというか、まだCDとか全然出てなくてミックステープしかなくて。で、90年代の中盤くらいからやっとCDが出始めてっていう感じですけども。


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Mix tape by Vico C & DJ Negro

だから最初の頃の、このラップ&レゲエっていうか、アンダーグラウンドはですね、結構、エロな歌詞がいっぱいありまして、それからバイオレンスな歌詞もいっぱいありましてですね、お国の方が、売っちゃいかん、っていうのが1993年にありまして、そっから少し弱まったんですね。少しお利口になるようになったんですけど、ただやっぱり、その分だけダブル・ミーニングがいっぱい出てくるようになりましたね。で、ちょうどその頃の、多分、映像なんですね。非常に強力で、で、こういうとこには行っちゃいけないと言われてたんですけども、結構夜な夜な遊びに行ってまして(笑)

 これ、どこにあるんですか?

 これはですね、街中の中心部からちょっと離れたところにあるですね、倉庫みたいなとこの。

O サン・フアンの?

I サン・フアンの郊外みたいなところですね。ちょうどこの頃の94年っていうのは、プエルトリコの麻薬犯罪では、最悪の年と言われていて、ちょうどですね、歴史からいうとコロンビアのメデジン・カルテルって、パブロ・エスコバルのシマが潰れてですね、捕まった後、次にロドリゲス兄弟のシマが潰れた後ですね。市場がですね、マーケットが統制できなくなった頃なんです。で、ドミニカン・マフィアの方たちがですね、(狙うなら)プエルトリコ、プエルトリコって。アメリカの一部なんで、そこに麻薬を入れちゃうと、後、非常に流通が楽なんです。で、なおかつ、プエルトリコ、入り口として非常に雑なもんですから、入っちゃうんですね。

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で、それが94年で、そのときは、やっぱりギャング間の抗争がありまして、しょっちゅう、お亡くなりになった方がいて。例えば僕が空港まで(車で)お客さんを送って、夜ですけど、夜9時半くらいだったですかね。で、戻ろうとすっと、幹線道路のすぐ横に、いわゆる低所得者住宅のアパートがあるんですけど、5階建くらいのがズラーっと並んでるんでて。そこでですね、金網のフェンスはってるところに、パッと人が出てきて、で、登ろうとしてるんですね、「あ、なんか、誰か逃げようとしてる」と思ったらですね、ガクッとそいつの首が傾いて、身体がバタっと下に落ちて。「あっ!ヤッベェ…」って思ってですね、翌日の新聞見たらですね、やっぱり一人亡くなってましたですけど...。

麻薬の抗争だったんですね、なんかそういう時代だったんです、プエルトリコは。で、その頃に、レゲトンの元になるアンダーグラウンドがですね、表に流通するのは、ミックステープかミックスCDしかなくて、っていう頃でした。

 なるほど。当時、まだレゲトンではないですよね?名前としては。

 名前はまだですねぇ。90年代の頭はアンダーグラウンドって言ってたですけども、そのうちですね、ラップ&レゲエとかいう言い方が普通でしたかねぇ。

 伊藤さんが、「レゲトン」っていう名前で初めて認識したっていうのは?

I 90年代の終わり…

 終わりくらい?

 うん、でもそん時はですねぇ、そういう名前で呼ぶ人もいれば、ラップ&レゲエって言う人もいたですね、あと、あの、踊りがですね、エロでしてですねぇ、あの〜、何ですかねぇ(笑)スヌープ・ドッグドギー・スタイルっていうんですか?あの、ワンちゃんがですね、今やってるようなスタイル?あれを、Perreoっていうんですけども、そういう名前で、あの、踊るもんですから、こう、女性がお尻突き出してという。

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Snoop Dogg "Doggie Style"

 定番の!(笑)

 定番の(笑)

 いわゆる(笑)

 そうなんですね(笑)そういうエロい名前がついていたりしていたのが、まぁ、たぶん、2000年代入ってきて、レゲトンにだんだん統一されてきた感じ。

O でもホント、さっき改めて聞いてビックリしたんですけど、Lisa M、「レゲトン」って言ってましたよね。

 あ、そうですよね、

 いろんな言い方をしてる中で、なんかがきっかけで、「一番キャッチーでわかりやすい」っていうので、どこかの時点で(その名前に)なったんだろうなぁ、って、想像ですけどねぇ。

 そうですねぇ、サルサもそうですよねぇ、なんか、昔からエチャレ・サルシータの時代からサルサっていう言葉あったけども、ちゃんとレッテルが貼られたのが、まぁ、ファニア以降だっていう。

 そうですよねぇ、まぁ、60年代末ぐらいですよね。

 ねぇ、たぶんレゲトンも、(90年代頭から)レゲトンって言ってた、まぁレゲトンっていうのは、スペイン語で「大レゲエ」っていうことですから、そういう風に呼んだ人もいるでしょうね、

 じゃあ伊藤さん、ここにある、当時のDJ El Playeroか、DJ Negroかその辺を、それか……?

 そうですね。なんか映像がある方が面白いですかね、じゃあ、当時ですね、僕も見に行ってた、ライブの感じですけども、Baby Rasta & Gringoっていうのがいましてですね、それのプロモビデオでも見ましょうか。

 はい。


♪ Baby Rasta & Gringo & Ivy Queen / The Noise Live

 これ、今、歌ってるのが……歌ってるっていうかラップしてるのが、さっきかけたIvy Queenですよね?

 そうです。さっき歌ってた、女性ラッパーの、ラッパーっていうかレゲトンのIvy Queenと、あと、Baby Rasta & Gringoっていう、これも本当に初期、まぁ、今もやってますけども、初期のデュオですね。

 完全にドレッド、すごいっすねぇ、髪。

 すっごいですよねぇ。やっぱりIvy Queenは、スパニッシュ・レゲエがすっごい好きなんですよね。で、かたやこの、Baby Rasta & Gringoっていうのは、Hip-Hopがやっぱり好きで、だから、それが両方混じったような感じになってるんで、あの、最初の方で御紹介した、スパニッシュ・レゲエの感じとは、もう、全然違いますね。

 そうですねぇ。だから本当、これはもう、ラテン・ヒップホップとか、ラテン・ラップとかっていう感じですよねぇ。リズムも、ちょっと違いますよね、いわゆるレゲトンとは。

 そうですねぇ、だから本当にこの辺が色々交じり合いながら様式が少しできてきたっていうところだと思いますし、

 これは、91〜92年?

 93・94年くらい、いってると思いますね。まぁ、これ、こういうのがいっぱいあって、ちょっとレゲエっぽいのもあれば、カリブ寄りの、先ほどのボンバみたいなの取り入れてみれば、っていうことでですね試行錯誤しながらレゲトンの様式が少しづつ。

 さっきのはやっぱり、いかにもプエルトリコならではっていう感じがしますよねぇ。ボンバが入ってるやつはねぇ。

 そうですねぇ、ですんで、この辺から、まぁ、いよいよ本当の、本当のというか世界的なレゲトンのベースができてきたっていう感じだと思います。

 はい、じゃあ、ちょっと休憩しましょうか。5〜10分くらい、休憩さしていただいて、後半で、またあのDaddy Yankeeとか、そういう話をしたいと思います。

(後半に続く)
posted by eLPop at 17:48 | Calle eLPop