Top > 水口良樹のペルー四方山がたり > レタマの花:歌い継がれる記憶

レタマの花:歌い継がれる記憶

2019.02.17


 ペルーという枠組みを超えて歌い継がれている歌がある。それは、人々の決して忘れ得ない記憶を伝えてくれる歌だ。人々が生き、笑い、暮らした場所で、異議申し立てをし、戦って大きな力の前に倒れ伏したという記憶を、けっして「歴史」として書き記されることのなかったはずの事件を、大きな教訓として、忘れてはならない権力の暴走の苛烈さと、終わらぬ苦しみを背負って生きることについて、人々に大いなる気づきを与えている歌でもある。
 その歌とは、「レタマの花」というアヤクーチョ地方のワイノだ。ペルーの南部、アヤクーチョ県の北部に位置するワンタという町で起こった虐殺を歌い継いだものだ。


 ペルーの虐殺、しかもアヤクーチョ県というと、ペルーの内情に少しでも通じている人は、80年代から90年代にかけての毛沢東主義を掲げたセンデロ・ルミノソとペルー軍の双方によるアンデス住民虐殺を思い出す方もおられるだろう。ペルー真実和解委員会によれば、死者行方不明者7万人を超えるその虐殺の70%以上は、アンデス地域で起こっているという凄惨なペルーの「暴力の時代」である。中でもアヤクーチョはその最も激しい暴力の現場となった地域であるが、このワイノの中で歌われているのは、それよりもさらに10年以上さかのぼった、1969年の事件である。
 当時、ペルーは左派軍部による軍事クーデターによって成立したベラスコ軍事政権下にあった。この左派軍事政権は、自らの社会改革を「ペルー革命」と表明し、農地解放や協同組合の設立、キューバとの国交正常化、資源などの国有化と、同年代の近隣諸国を吹き荒れた右派軍事政権とは真逆の政治的改革を断交した政権だった。この政権下で起こったのが「レタマの花」に歌われた虐殺事件なのである。

 事の発端は、1969年に教育費に関する法律改正が決まったことであった。貧しいアンデス地域の人々にとって、教育費の値上げはそく死活問題に繋がる。そこで学生たちやその親が中心となって教育費値上げ反対のデモが行われた。そしてそのデモが警察と反テロ特殊部隊シンチスによって鎮圧される中で、20人の夜間学校の学生が犠牲となったのだ。この事件は「ワンタの反乱」と呼ばれ、この予定外の結果に大きな衝撃を受けた政府は法改正することを取り下げた。

 この「ワンタの反乱」で犠牲となった学生たちに教えていた教師リカルド・ドロリエルは、この事件を追悼する意味も込めて一つのワイノを作曲した。それが「レタマの花」であった。この曲ははじめトリオ・ワンタによって歌われ1970年に録音されている。

(後年、再録されたトリオ・ワンタによる「レタマの花」)

 1982年には編曲され生まれ変わった「レタマの花」がロス・エラデーロス・デル・ペルーによって歌われた。この楽団はリマや地方都市の広場や路上演奏を活動の場に選んでおり、それがこの曲をより広く人々へと届ける役割を果たした。そして同年、エラデーロスはこの曲の歌手に有名なワイノ歌手であったマルティナ・ポルトカレーロを迎えて録音している。この彼女の歌によって、この曲は広く国境を超えて歌われる曲へと昇華されたといえる。彼女の歌のインパクトは大きく、ラジオなどのメディアがこの曲をとりあげ、一ヶ月で5万枚のレコードやカセットが売れたという。
YBP_0002.jpg
 こうしてワンタという小さな町で起こった事件は、ペルーだけでなく近隣諸国でも知られる非常に有名な事件へとなっていった。マルティナ・ポルトカレーロの歌で大ヒットした後にも、多くの歌手たちがこの歌を歌ってヒットを出している。まだ幼い少女の歌声で「レタマの花」を歌いヒットしたカリナ・フェルナンデスや、当時若手として売出し中であったサイワなどがその代表格だ。
 
 それではその歌詞とはどのようなものであったのか。
 「レタマの花」の歌詞は、皆でワンタの広場に行こう、レタマの黄色い花が咲くその広場に行こうと誘うところから始まる。そしてその場所が実は民衆の血が流された場所であるのだと歌いあげる。特殊部隊であるシンチスが突入し、学生たちや農民たちが殺されてしまった。黄色いレタマの花が咲く広場で、心ある人々が殺されてしまった、と歌はその悲しい歴史を振り絞るように語る。
 そして、その後フーガと呼ばれる少しテンポアップしたパートに入り、きれいな野の花々の香りがする民衆の血から、火薬とダイナマイトの匂いがするんだ、くそったれ!と叫ぶように締めくくる。この「くそったれ!」にあたる「カラホ!」は非常に強い言葉なのだが、人々はここを皆で力強くこの言葉を唱和する。許すまじ、忘れまじ、と。
 
 歌とは、生きることすべてを表象することなのだ、とこの曲を聞くたびに思う。民草の声、一人では決して届かないはずの遠い場所までも、歌になることによって届くことが可能になる。その言葉とメロディにのって、その魂までもが旅することができるのだ。それは空間的なものだけでなく、時間をも越えることを可能にし、人々の生きてきた証を遠く、私達にも伝えてくれるのだと。
 「レタマの花」の時代、そしてそれに続くペルーの暴力の時代において、アンデスのワイノ歌手たちはこうした暴力の問題を歌に乗せて歌い続けた。人々の嘆きを、怯えを、悲しみを、怒りを、そして絶望を。そして、こうした暴力に、あくまで抗い続け、記憶し、忘れずに伝えていくことを、何よりも大切に歌い継いでいるのである。
posted by eLPop at 15:49 | 水口良樹のペルー四方山がたり