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<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.6(後半)

2018.05.11

「三角関係〜Vol4」での「マンボ」の考察を受けて、2018年1月27日(土)に開催した「三角関係〜Vol.6」。その後半です。

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岡本(以下O) 後半1曲目、伊藤さん、お願いします。

伊藤(以下I) さっき岡本さんの(エディ・パルミエリ)で60年代までいったんで、じゃあ70年代にちょっといってみようかな、ということで、プエルトリコ系なんですけども、マルビン・サンティアゴ。サルサの人なんですけど、アレンジをしているのはレイ・サントスっていうマンボを通ってきた方で。サルサなんだけども、マンボの、何ですかね、カカカカカッって来る感じと、この歌詞の鉄火場っていうかですね、やくざっぽいっていうかですね、そういう個性を見事に併せて、これで大ヒットして今だに色んな所でかかる、っていうのをちょっと聴いて頂きたい。マルビン・サンティアゴで、「フエゴ・ア・ラ・ヒコテア」

 聴きどころは?

 聴きどころですか(笑)。ひとつは歌詞、っていうことになりますかねぇ。ヒコテア、ヒコテアっていうのは、亀のことなんですね、亀に火を点けろ、ということなんで、亀に火が点くような曲だということで、聴いて頂きたい(笑)

 はい。


♪Fuego a la Jicotea / Marvin Santiago

 …と、いうことで、カッコいいっすね。

 カッコいいっすね〜。

 いつ聴いてもカッコいいですね、スピード感ですね、リフが何度も何度も繰り返されて、スピードがあって、ガッてくる、っていう、マンボが持ってるそこんところを、70年代だからマンボ時代から20年経ってるわけですけども、そこを、相変わらずみんなカッコいいと思って、サルサのアレンジの中に持ってきたっていうことかな、っていう風に思ってます。

 途中のリフがこう、あおる感じ、いいですねぇ。

 そこがやっぱマンボの神髄なのかなって感じがします。

 あと、やっぱりマルビン・サンティアゴがカッコいいのは、最初「あぁっ!」って言って(笑)そういう、なんつーの? 歌い方っていうか、

 そうですよね。さっきのコルティーホの直系じゃないですけど、なんていうか、きれいに歌うんじゃなくて、ガッとくるっていうのと、あと、その言葉遊びですよね。「あっ」って言ってて、「あっ」っていうため息かというと、「アベ・マリア」の「ア」だっていうとかね。途中でも、韻を踏みながらですね、プエルトリコの地名に「タテ」っていう語尾を次々に付けて、ダブルミーニングみたいにしちゃうとか。例えば「バヤモン」っていう場所があるんですけど、「バヤモン・タテ」=「バヤ・モンタテ」って、それ実は掛詞で、「モンタテ」=「行けー、あなたをモンテしなさい」っていう、まぁ、その、なんていうの、まぁちょっとエッチなね(笑) そういう言葉遊びがいっぱい入ってる曲なんですけども、そういうとこも、マルビン・サンティアゴのカッコいいところですね。

高橋(以下T) マルビン・サンティアゴって、あれですよね、「アッ! べ・マリ〜ア」って、あれ、よく使いますよね、あれね(笑)

 カッコいいですね、あれね! その「アッ」ていうね、入れるタイミングがやっぱりすごいリズム感がいいんですよね。

 なんか、あと、「ヒコテア」って、キューバのパチョ・アロンソっていう、ニュー・リズムとかも作った人が、やっぱり、ヒット曲で、なんだっけかなぁ、「フェア・ラ・ヒコテア」ってあるんですよね。やっぱり、これ、エロ・ポップ系ですかねぇ(笑)

(会場笑)

 エロ・ポップですかぁ、また、エロ・ポップな話になっちゃいますかぁ、また脱がないといけなくなるなぁ(笑)

 日本でも、亀はねぇ、ちょっとねぇ(笑)

 亀はねぇ、そうですよねぇ、「鶴は千年、亀は万年」ですからねぇ(笑)。エロ・ポップですよねぇ。

 なんかな〜(笑)

 意味は良く分かんないんですけども(笑)

 意味は、良く分かってるじゃないですか、亀に、火を、点けろ、って、ねぇ。

(会場笑)

 熱いですよねぇ、点けられたらねぇ。

 亀が熱いだけですから、我々は関係ないですから。

 これは、やっぱり、なんかあるんですよねぇ、意味が。どうなんですか、プエルトリコ的に言えば? って言っても、やっぱり、なかなか言えないところですか、ここは?(笑)

 いやぁ、良く分かんないのはですね、YouTubeで最近、色々な画像があるじゃないですか。で、マルビン・サンティアゴのこの曲をね、「ヒコテアに火を点けろ」とか言ってんのにね、あの、会場にいる10代くらいの若い女の子、「キャー」とか言ってんの、あれ、全然意味わかんないですよね(笑)

 それが、回答だ、みたいな(笑)

(会場笑)

 マルビン・サンティアゴも亡くなってしまいましたが、なんか、あれですよね、昔、刑務所でライヴやってる映像もありましたよね。あの、囚人の方々、顔がばっちり写ってる……

 あぁ〜、まずいですよね、あれ。コンプライアンス違反。

 コンプライアンス的にはねぇ(笑)。じゃあ、次は、刑務所つながりで、ジョー・バターンってことで(笑)

 おぉ〜、いいですね!

 ジョー・バターンの『ライオット!』ってアルバムがあるんですけども、ここに「マンボ・デ・バターン」っていうのがありまして。これ、バターンのマンボってことで、なかなかカッコいい曲ではあるんですけど、68年、しかもジョー・バターンがマンボをやるっていうのが、なかなか面白いという風に僕はいつも思っていまして、はい、ジョー・バターンで「マンボ・デ・バターン」。


♪Mambo de Bataan / Joe Bataan

 ジョー・バターンで「マンボ・デ・バターン」。まぁ、マンボって言ってるんだけど、いわゆるマンボらしさってあんまりないですよね。だからこれ、なんでこの時に、68年にやったのかな〜? っていうのは、ずうっと思っててて。ジョー・バターンは67年にデビューしたわけですけども、一応、ブガルーの旗手みたいな感じでね。

 ちょっと思い出しましたけれども、こないだ来日したときに渋谷のHMVでトークショウみたいなのやって、その時すごい面白かったのが、ブガルーについて聞かれたときにね、彼は「ブガルーっていうのは、流行のものだから、もう2〜3年で終わると俺は思ってた、だから俺はラテン・ソウルっていう風に言った」っていうんですよ。それがなぜかっていうと「ラテンもなくならないだろう、ソウルもなくならないだろう、だからラテン・ソウルなんだよ」って言ってた(笑)。まぁ、ちょっと後付けのような気がしないでもないですけど(笑)。でもまぁ、やっぱりあの人、すごい色んなことを、ものすごく考えてる人だなっていうね。まぁ、こういうと、すごく失礼なんですけどね。

 ということもあって、この68年にマンボをわざわざやったっていう意味がね、マンボってやっぱりパレイディアム・エラというか、パレイディアムの時代ということで、60年代にはもう古臭いものという認識になってたと思うんですが、ただ、68年に彼がやったっていうことは、それなりにすごい意味を感じてたんだろうなと思ってね。なんか、これは、曲自体はマンボっぽくはないけどカッコいいなぁという風に思ってるんですけどね。

 マンボ時代の昔のフィルムとか見るとね、58年とかやっぱり頂点だと思うんですけど、40年代とかね、まぁあんまりフィルムとかないんですけど、50年代の頭とかのみると、やっぱり、なんていうんですかねぇ、まだまとまってなくて、それから遊びに来てる人たちがなんか、文化を作ってくようなね。60年代とか、まぁ、パレイディアムがしっかりしてる頃になると、ほら、あの白人の人たちが踊りをね……、そうするとやっぱり文化として、ちょっと薄まっちゃうっていうか、その前の文化のとこのカッコよさってあるじゃないですか。そういうところを、なんか、この曲の中に吸い上げた感じがして、なんていうんですかね、あれはカッコよかったとこあるよね、っていうのを、10年くらい経ってっていう、だからその、形式じゃなくてカッコよさを取ったような気がしますね。

 じゃあ続いて高橋君のを。え〜と、ペレス・プラードの流れというわけじゃないですが、ベニー・モレーですね。

 はい。キューバで、また、1950年代に戻ってしまうんですが、やっぱり都会と地方の時間の差なのかな、という感じはあるんですが。キューバにマンボっていうのが形式としてあんまり根付かなかったというのはなんでかな、って考えると、色々あるんだと思いますが、中でもやっぱり、ベニー・モレーが1952年にキューバに帰って、自分のバンド、バンダ・ヒガンテっていうビッグ・バンドを従えてやったというのが一番の原因だったのではないかと思えてくるんですね。

 帰国後、1〜2年くらい色々と試行錯誤があって、当時の実力プロデューサーに活動を阻止されたりとか、何か色々なことがあったらしいんですけど、それを経て自分のビッグ・バンドを作り出していったんですが、1963年亡くなるちょっと前までずーっと全盛期というか、もう、キューバ中で大ヒットしたんです。で、やっぱりそこがキューバでのマンボ的なものの頂点になってしまった。マンボ的なサウンドの頂点をひとつ作り上げちゃったんですね。だからもう他の人は、それをアレンジするくらいしかやりようがない、みたいになっちゃって。マンボがあんまりキューバで取り上げられなくなっちゃった原因じゃないかって、勝手に思ってるんです。

 でも面白いのが、ベニー・モレーは、マンボってつけた曲はないんですよね。確か。バンダ・ヒガンテでね。みんな、ソン・モントゥーノとかなんですよ、だいたい。全体的にその、マンボの発展形みたいなものが感じられるんだけど、マンボっていう風に付けたのは確かなかった。あっても、ボレロ・マンボとか、そういうようなのが少しだけなんですね。

 ベニー・モレーって、結構キューバのご当地ソングみたいなのをいっぱい、各地の名前の付いた曲をやってるんですけど、その中でも自分の故郷、サンタ・イサベル・デ・ラス・ラハスですね、これも有名曲です。


♪Santa Isabel de Las Lajas / Benny Moré y Su Banda Gigante

 ベニー・モレー・イ・ス・バンダ・ヒガンテで「サンタ・イサベル・デ・ラス・ラハス」。途中で、倍テンポになって、まぁ、あそこがいわゆるマンボの部分ですよね。「マンボ!」ってライヴだと叫ぶような部分で、それをしっかりとバンダ・ヒガンテでもやってるのって、あんまりなくって、この曲が典型です。

 でも、この曲、ソン・モントゥーノっていうスタイル名を付けてる。だから、キューバ人にとっては、ソン・モントゥーノとか、デスカルガとマンボっていうのは、ほとんど同じ。同じっていうか、彼らにとっては違うのか分かんないけど、まぁ、僕らが聞くと全く同じように聴こえちゃう、というのがやっぱ面白いかなぁ、と。

 今聞いても、ベニー・モレーのこの声ひとつで全部の音をバッと集中させちゃうみたいなところは、やっぱすごいな、という感じですよね。皆さんよく知ってると思いますけど、この人は、駄作はないです。聴いて、なんだこれ? なんかあんまり調子よくないな、みたいなのは、まずないですよね。でも、早死にしちゃいましたけどね。酒をいっぱいかっくらって。

 ベニー・モレーで思い出すのが、ベニー・モレーのドキュメンタリーみたいなフィルムがあって、それで、よく出演してた「アリババ」ってキャバレーのバーのカウンターで、当時聴いてた人とか、ベニー・モレーと交友があった人やなんかにインタビューしてるんですけど、バーで、「ちょっと、ベニー・モレー、ひとつ歌ってくれよ」っていうと「いいよ」っていつもは歌ってくれたんだけど、ある時リクエストしたら「いやぁ、俺、もう歌えないよ」って言ったらしいんですよね。それで、そのあと少したって亡くなっちゃって。肝臓です。酒とかもう全然節制しなかったみたいで。ほんと、歌うために生まれてきたみたいな人ですね。

 カッコいい曲ですよね。じゃあ続いて、伊藤さん。

 はい、次はちょっと趣を変えてですね、世界のマンボ。

 世界のマンボ! マンボの世界じゃなくて、世界のマンボ!

 はい、世界のマンボ(笑)。マンボ・オブ・ザ・ワールドということで、じゃあ、コロンビアからいこうかな。コロンビアのフルーコさん。フルーコっていうのがですね、まぁ、ちょっと新しいんですが、93年にですね、もろマンボだ!っていう『マンボス』というアルバムを出したんですね。で、「じゃあそれはマンボなんだろう」ということで聴いてみたんですが、まぁ確かにマンボみたいなこと、シンフォニカのオルケスタとやってるっていうこともあるんですけど、聴いてみると、マンボが地方に、っていうか、ラテンアメリカに伝播して、訛りが入るわけですよ! これ、やっぱりとっても面白くって、その、コロンビア訛りが少し入った感じのマンボを聴いて頂きます。このアルバムから、「マンボ・デル・ポリテクニコ」。


♪Mambo del Politecnico / Fruko y Orquesta

 これ、やっぱりペレス・プラードにそうとう影響を受けて! ですけど、途中は完全にクンビアになってるね(笑)

(一同笑)

 そうですね(笑)。ペレス・プラードっていうのは、いかにラテン世界に広がったかっていうのが、よく分かりますよね。マンボっていうとあのサウンドだっていうのと、あと、どうしても、コロンビアはクンビアですよね、どうしても訛りが出ちゃいますよね(笑)。ここが非常に感動を呼ぶところだなぁと思って(笑)

 ペレス・プラードのバンドとクンビアって、相性いいですね。

 結構いいですよね! ティト・プエンテのバンドとなんて、絶対無理ですよね! さっきの、あのティンバレスなんて、絶対、ティト・プエンテがやったらお怒りになっちゃうと思いますよ!

(会場笑)

 やっぱ、この、ゆるさっていうか、なんかタイム感の違いがありますよね!

 そうそう、あの、「ウ!」もちゃんと入ってるしね(笑)。あれも、あの、間(ま)があるじゃないですか、

 あぁ、溜めて、間がね。

 その間を何とか埋めようとして、なんか「ウ」っていったらしいですよ、最初ね。間がもたないというか、なんか埋めなきゃみたいなね、感じでね。

 我々も時々「ウ」って言わなきゃいけないような(笑)

 「ウ」は本当は「ディレ」だっていう説もあるんですけどね。でも「ディレ」にはあんまり聞こえないですよねぇ。

 僕も世界のマンボということで、グアコ、92年のアルバムからかけたいんですけど、伊藤さんがかけたのが93年じゃないですか。で、なんで92年、93年で突然マンボになったかっていうとですね、さっきも言った通り50年代のマンボ・ブームっていうのが収束してから、まぁ、ニューヨークだけでいうと、パチャンガ・ブームっていうのが出てきて、デスカルガとか、ブガルー、で、その後サルサっていう風になって、マンボってもうすごい古臭いっていうことになっていた。それが、90年代初頭にいきなりまたマンボ・ブームが再燃したのは、ご存知の方も多いと思うんですけど1992年の『マンボ・キングス〜わが心のマリア』という映画。1989年にですね、その原作本を書いたオスカル・イフエロスっていうニューヨーク在住のキューバ系の作家が「ピュリッツァー賞」取りまして。それをもとに、この『マンボ・キングス』っていう映画が出来て、これ、アントニオ・バンデラスっていうスペイン人俳優の全米デビュー作になったんですね。スペインのアルモドバルの映画でもずっと主演やってた人ですけど、これで全米デビューして、これがすごく流行りました。セリア・クルスとか、ティト・プエンテも出演していて、そこで一気にまたマンボ・ブームになったわけです。

 で、このマンボ・ブームをきっかけにして、いわゆるダンス教室っていうのが始まったのが、この頃からですよね。白人がマンボとかを踊りたい、みたいなことで。「ニューズウィーク」とかにも記事が出てて読んだ記憶があるんですけどね。

 で、本当にこの92年の映画『マンボ・キングス』を境に、またマンボが復活してきたっていうので、さっきのフルーコの93年の『マンボス』っていうアルバムも出たと思うし、世界中でまたマンボ・ブームが沸き起こってきて。で、実は同時にルイス・ミゲルのアルバム『ロマンセ』でボレロ・ブームもあったんですけど、その一環として、グアコの92年に出たアルバムでも、完全にマンボってわけではないんだけど、ティト・ロドリゲスのことを歌ってたりとか、バックのリフが完全にマンボのになってる曲がある。その辺に注目して聴いてほしいと思います。「オジェラ」、グアコです。


♪Oyela / Guaco

 ベネズエラのグアコ。来日したのはもう一昨年になっちゃいますけど、素晴らしいバンド。「オジェラ」聴いて頂きました。歌バックのホーンとかも完全にマンボを意識した、でも、全体的にはやっぱり彼らのガイタを中心とした……っていうところのすごいカッコいいミックスだなぁと思うんですけども、どうですか?

 ブラスのリフがもう完全にマンボ。だけど変則的なマンボですよね。やっぱり、ガイタの上にやってるリフだから、完全に変則的な感じのマンボのリフをやってるっていう感じで、さすがだなぁっていう感じですよね。うん、カッコいいですよね。

 そうですよね。あの〜、やっぱりグアコってすごい緻密なバンドなんで、マンボの中のその緻密な部分をぐっと自分らに引き付けて。一方、緻密じゃないってわけじゃないけど、イスマエル・リベラみたいなゆるいのもある。同じマンボを取り上げても違うところが、やっぱり音楽色々聴いてて楽しいところだなぁと思います。

 ちなみにこれ、92年、奇跡のように日本のビクターから出たアルバムで、今は、たぶん手に入らないと思うんですけどね。1曲目「ジャ・ノ・エレス・トゥ」っていうのは、プエルトリコのヒルベルト・サンタ・ロサとのコラボで、我々の仲間の石橋純さんによる「変わっちまったお前」っていう、日本語タイトルがあるんですけどね(笑)。それはどうでもいいんですけど(笑)。じゃあ、次、高橋君お願いします。

 90年代初めのキューバは、何があったかっていうと、NGラ・バンダとかあの辺が出てきて人気があった時なんですけど、やっぱりラテンアメリカの他の国とは、まったく連動してなかったですね。

 NGとか、マンボっぽいかなぁと思って、色々と、何枚か聞いてみたんですけど、全くないですね。イメージとして「ムラカミズ・マンボ」って、まぁ、ちょっと、ねぇ、村上龍さんにおべんちゃらみたいな感じで作ったの、あれはマンボでやってましたけどね。あと、イラケレとかもどうかなぁと思ったんだけど、やっぱりマンボって感じは全くないです。だから、ソンとか、グアラーチャとか、ロックとかジャズとかね、そういう要素をミックスしてやったっている感じで、もう完全に他の、特にニューヨークなんかを中心としたラテンのトレンドなんかには全く……まぁ、当然なんだけど、色々、国家の問題とか色々あるから、全く関係なくやってた、っていう感じはしますね。だから逆に面白いなぁという感じもしますが。まあ、政治的なことだけではない気もしますが、でも、その時期、政治的に開かれてうたら、もしかするとマンボを独自の解釈でやってたんじゃないかなぁて気もしますが。

 で、そういうことで、やっぱり時間の流れるのが遅いキューバとしましては、70年代くらいまで遡っちゃうんですけど、さっき、キューバでマンボっぽいのがなかなか届いてこないって言ったんですけど、多くのレパートリーの中の1つとしてマンボをやったグループっていうのは、あるんですよね。だから、リズム・パターンで、マンボ・チャチャ、さっき言ったみたいなボレロをマンボでやってみたりっていうのがあるんですけど。その中で、オルケスタ・チェピン・チョーベンというのがですね、サンティアゴ・デ・クーバの1930年代くらいからやってる、元々ダンソンの古いバンドなんですが、ダンソンは今では、ストリングスが中心ですが、昔のスタイルのブラスバンドでダンソンをやるというね、元々のスタイルを守ってる、ずーっと守ってきたバンドなんですが、昔からダンソンだけじゃなくて、ちょっと変なブラスをブリブリ言わせたようなのをやってたんです。1974年にですね『エル・レグレソ・デ・チェピン』、チェピンが戻ってきた、みたいな意味のアルバムの中で、ダンソンと共に、ブラスがぶりぶりいわせるような、これ、ほとんどマンボのリフじゃない? みたいな曲を半分ぐらいやっています。スタイル名は、ソン・モントゥーノとか、グァラーチャとかって書いてありますが。聴いて頂く曲は「コモ・カンパーナ」。

♪Como Campana / Orquesta Chepín Chovén

 オルケスタ・チェピン・チョベンで「コモ・カンパーナ」。カンパーナって、カウベルやベルのことですね。チェピンっていう人とチョベンっていう人が作ったバンドなんですね。裏の写真を見ると……この人がチェピンなんですけど、結構もうおじいちゃんで、若者も少し入ってるんですけど、この時、もうほとんどおじいちゃんたちのバンドですよね。若いメンバーでもたぶん50代、60代、彼自身は70くらいだと思う。なのに、こういうファンキーな曲をやっているんです。ファンキーなことを突然やるっていうのが、やっぱり、サンティアーゴ・デ・クーバだなぁって気もします。

 だから、今もマンボっぽいのやっているのは、やっぱりサンティアゴ・デ・クーバのビック・バンド系のバンド多いのかなぁ、って感じはしますね。ロス・タイーノスとか。オルケスタ・チェピン・チョベンはこの後も90年代にも、やっぱり同じような感じのアルバムを出して、たぶん、今もまだバンドは続いてると思うので、今でもたぶんこういうような感じで、ブンパカブンパカやってるんではないかと思います。まぁ、ベニー・モレーが作ったのを、上手く取り入れてやってるみたいな感じが、僕は、なんか、好きです(笑)

 じゃあ、伊藤さん、世界のマンボ。

 え〜と、世界のマンボ第2弾はドイツ。ドイツなんですけども、ルー・ベガっていう、1999年にクラブ系で流行りましたよねぇ。

 流行りましたね。

 それを聴いて頂くんですけど、さっき岡本さんが言ったところで、その通りだなぁと思ったのが、『マンボ・キングス』があって、それからマンボ・ブームがあったっていう所です。僕はプエルトリコに94年からいたんですけど、その94年にプエルトリコのサルサ・コングレスっていうのがあった。それまでそんなもんなかったんですけど、1回目がぱぁっと出たんですよ。で、やっぱりなんかブームがあって、ラテンでダンスをするっていうとこで、エディー・トーレスなんかもね、ニューヨークでガーッと始めたのはそれくらいなんですよ。

 そうですよねぇ、(エディ・トーレスの)アルバム出てましたからねぇ。

 ねぇ。だから90年代前半って、やっぱ、一つの起爆剤だったのは、『マンボ・キングス』っていう映画があって、そういうのが出てきて、で、セルヒオが出てきて、みたいなね。そういう流れの中の『マンボス・キングス』っていうのは、やっぱりすごい大きかったなぁって、僕は思ったんですけど。で、そういう風に流れていったところで、まぁ、今日はかけられないんですけども、フランスでもマンボ・ファタルっていうバンドが97年にアルバム出したりっていうがあって、そんな中、ドイツから、ルー・ベガって、普通ベガだとVなんだけど、Bになってるみたいなやつが出てきて、クラブで流行る……っていうのが、とっても面白いなっていう曲で、久しぶりに聞いてみたいと思います。

 流行りましたねぇ、これねぇ。


♪Mambo No.5 / Lou Bega

 こういう風にクラブでも取り上げられるっていうのは、そのシーンのとこでもどんどんラテンを取り上げたっていうことで、ラテンとクラブっていうのが融合し始めたっていう流れもあったかなって。でも、それいいことですよね。その象徴的な曲だな、と思ってかけました。

 そう、これ流行りましたよね。ちゃんとバックに、「マンボ・ナンバー5」のリフがサンプリングされてて、女の子の名前、エリカとか出てくるんだけど、何度か同じ名前言ってるんで、どうせだったら全部別の名前言えよって感じ(笑)って、昔から思ってるんですけど。

 ルー・ベガの女だったんじゃないですかね?(笑)

 あはは、そういうことですかね、6〜7人言ってる(笑)。
 え〜と、じゃあ世界のマンボで、僕もまた続けていきたいんですけど、ルー・ベガは99年なんですけど、まさにさっきの、また92年なんですけど、スペインのアスカル・モレノって覚えてますか? あの姉妹、倍賞美津子と和田アキ子みたいな姉妹。

 え〜?! 意味が良く分かんない(笑)

 似てるっていう意味(笑)。で、92年にバルセロナ・オリンピックの年。僕、たまたま現地に行ってインタビューもしたんですけど、倍賞美津子、和田アキ子、みたいな(笑) いや、違うか!

(会場爆笑)

 「マンボ」っていう曲、それこそクラブ・シーンですごい大ヒットしまして、これもやっぱり92年、さっきの『マンボ・キングス』効果かなぁとは思うんですけどね、じゃあ、たぶん今でも色々やってるんじゃないかなと思うんですけど、アスカル・モレノの「マンボ」を聴いて下さい。


♪Mambo / Azúcar Moreno


 アスカル・モレノの「マンボ」。倍賞美津子と和田アキ子の……(笑)

(会場笑)

 で、ちょっと歌を聴いてわかると思うんですけど、ジプシー系の姉妹で、マンボ・リフをサンプリングしたようなハウス・ビートで。考えてみると92年って、マーク・アンソニー、まだサルサ・デビューしてないんですけど、ルイ・ベガと『When The Night Over』っていう、ハウスのアルバムを出しまして(91年)、そこに、エディ・パルミエリが参加したりだとかですね、ハウス/ダンス・ミュージックとラテンっていうのが、コラボっていうか、ぐっと表に出てきてるような時代だったなって思います。じゃあ、高橋君、お願いします。

 キューバ……分かんないですけど、レゲトンとか、クバトンとか、ハウスとかやってるミュージシャン・アーティストもいるんで、その辺をチェックすれば、もしかしたらマンボとか、取り上げてるような人たちがいるのかな〜って気がするんですけど、あんまり流通してないっていうのと、あと僕がその辺あんまりチェックしてないっていうので、今、聴いてきたような流れで対応するような人っていうのは、僕の知ってる限りではいないですね。

 で、マンボっていうか、さっき言ったように、ひとつのバリエーションとして捉えられてることが多いんすが、そこでロベルト・フォンセカをかけようと思ます。ロベルト・フォンセカの2016年のアルバムっていうのは、珍しく曲に全部、どういうリズムかが書いてあるんですよね。結構、色々なリズムを掛け合わせたような創作的なリズム名が書いてあるのですけど、その中でアフロ・マンボというですね、ちょっと昔のスタイルを、少しクラブの音を入れながら作ってるっていうような曲があるんで、それを聴いて頂きます。


♪Afro Mambo / Roberto Fonseca

 歌は女性ヴォーカルで、日本にも2回くらい来たダイメ・アロセナですね。で、僕、彼女の出したアルバムって、まぁ、どうしても好きになれないっていうか、大っ嫌いなんですよ(笑)。なんで、みんなそんなに「良い良い」っていうのか、分かんないって感じなんですね。まぁ、何だろう、キューバ的な訛りを取っちゃって、一般的に聴きやすいプロデュースがしてあるから評価する人が多いのかもしれませんが。けど、やっぱり、こういう曲でハマった時は、カッコいいなぁって感じはしますよねぇ。

 タモリさんが「音楽に入門編はない」っていってらっしゃるらしいんですが、入門編と聴きやすいっていうのは違うのかもしれませんが、でもあんまり聞きやすさだけを意識して作っちゃうとつまんなくなるんじゃないかな〜って感じはしますね。彼女のソロ・アルバムの話しですが。

 タモリさんの言葉でいうと、あと、僕が好きなのは、「まじめにやれよ、仕事じゃないんだから」(笑)

(会場笑)

 あれ最高ですよね。あとは「やる気があるものは去れ」(笑)

(会場笑)

 最高です(笑) はい、じゃあ、伊藤さんお願いします。

 はい。プエルトリコ系で、ロベルト・ロエーナ、行きたいなと思うんですけど、ロベルト・ロエーナって、キャリアとしては、コルティーホとか、グラン・コンボとかから来てるから、やっぱりマンボの時代は通ってるわけですね。

 で、今回かけたいと思ってるのは99年なんですけど、やっぱりだいぶ経ってるのに、マンボのことを歌いたいとか、やりたいとか、そういう愛情があるんです。で、プエルトリコいたときに、ロベルト・ロエーナと94年に会って、それからなんかしょっちゅう飲んでたんですけど、で、その時にやっぱりいろんな話しを聞くんですね。そしたらね、「俺は、やっぱりマンボなんだよ」って。それから、自分は2つのことが言える、と。ひとつは「自分はやっぱりバイラリンだ、ダンサーだ」っていうのと、もうひとつは「ボンゴセーロだ」と。で、「そうか、先生、あなたはボンゴセーロなんですか?」って言ったら、「あったりめーだよ!」って。で、出されたのが名刺なんですけど、ボンゴの形をした名刺を出された。

(会場笑)

 ボンゴの形をした名刺! すごい!

 そう。そういうことで、そのロベルト・エレーナのマンボに対する愛っていうことで、え〜っと、曲名がですね、「ミ・マンボ・ピデ・カンパーナ」。つまり、自分のマンボはカンパーナ、カウ・ベル、を呼んでるっていうね、そこのカウ・ベルを良く聴いて頂きたい。


♪Mi Mambo Pide Campana / Roberto Roena

 いぇ〜い、いやほんとロベルト・ロエーナ、マンボに対する愛が、いっぱい詰まってる曲だと思うんですけど、ということで「ミ・マンボ・ピデ・カンパーナ」、ありがとうございました!

 ありがとうございました! 
 時間も時間になってきましたんで、やっぱりマンボといえば、先生を最後にかけないわけにはいかないだろうってことなんで、100枚目とされている……本当はもっと出してるんじゃないかっていうことなんですけど……そのアルバムからですね、セリア・クルースと共演してる「セリア・イ・ティト」を最後に聴いて頂きたいと思いま〜す。


♪Celia y Tito / Tito Puente

 「セリア・イ・ティト」をお届けいたしました。いやぁ、カッコいいっすね! 

 最高ですね! このアレンジすごいですね、次から次へ転調しながら、色んなパターンが。ほんっとすごい。で、最後ガーッてくるんですけど、長くやらないんですよね。そこがいい。粋ですよね。

 そこが、やっぱりニューヨーカー!

 ニューヨークだよね! ほんと、すばらしい!

 どうですか?

 いやいや、いいですよ。なんか、リズムがこう、なんだろ、本当に連続してずーーーっと根底に感じられるっていうね、その気持ちよですよね、セリアのブレイクの仕方とか、アレンジもカッコいいんだけど、こう、その中心にずーっとリズムの存在があって、それぞれのフレーズは短くっても、ずーっと続いてるっていうのがね。

 そう、これ、92年くらいに出たんですけど、93年か? 録音が多分91〜2年でしょ、って考えると、プエンテは68歳くらい? セリアは65歳ぐらいなんですよ。それもすごいなぁ〜、っていう。

 すごいねぇ!

 プエンテ先生、40年代からやって、2000年に亡くなったんですけどね。そこまでずーっとやり続けたのは、本当にすごいなと改めて思って、本当に、僕、思ってるのは、彼は最高のティンバレス奏者でもあるんだけど、一番何がすごいかって、芸人っていうところで、本当のエンターテイナーだっていうところがすごいなっていうのが、改めて。まとまったのかどうか分かんないですけど、最後はティト・プエンテ先生をお送りしました。

<質問コーナー>

<お客さん> サルサっていう国と、マンボっていう国の、サルサとマンボは、別物ではないわけですよね?

 サルサとマンボが違うかっていうことですか? サルサって、そういう、ラテン音楽、ニューヨーク・ラテンを全部含むみたいな、そういう概念として出来たと思うんで、その中に全部、マンボも含まれると考えていいんじゃないかと、ざっくり言っちゃうと。

<お客さん> 要は、今のもサルサって呼んでもなんら間違いじゃないと。

 全然、間違いじゃないと思います、はい。で、サルサっていうのは何かっていうのはね、いろいろ議論はあると思うんで。あの〜、エディ・パルミエリとか、ティト・プエンテなんかは、「サルサは、スパゲッティにかけるもんでしょ」って(笑) こないだも言ってましたよねぇ! パルミエリ先生が。

(会場笑)

 だから、サルサっていうものに対しては、全くこだわりがないっていうか。あとは、ひとつ、サルサっていうのは、まぁ、政治的な意味っていうのも変ですけど、言い方として、「ムシカ・クバーナ/キューバ・ミュージック」っていうことで、言われてたと思うんですけど、それがキューバ革命後にアメリカ国内で、その「キューバ音楽」っていう言い方に結構風当たりが強くなってきて、それを言わないようにするためにサルサっていう風にしたっていう説も一つあって。ま、色んなファクターがあると思うんですけど、なので、どうですかね(笑)。で、サルサっていうのは、もう、色んなものを含めて……っていう風に考えて頂いていいと思うんで。

 だから、あれですよね、サルサはスタイルじゃなくて、概念だっていうね。

 あぁ、それは、ウィリー・コロンがね……。リズムじゃなくて概念だ、コンセプトだっていうことは、ウィリー・コロンが言ってるんですけど。サルサは音楽のスタイルとかリズムとかのことじゃなくて、言ってみれば、生きかただ、みたいなところでウィリー・コロンは捉えてるのかなとは思うんですけど。だからまぁ、リズムとか、そういうのは全部含むと考えて頂いていいと思うんですけど、いかがでしょうか。

<お客さん2> 岡本さん、あの、メレンゲのリフ感と、マンボのリフ感って、ちょっと通じるじゃないですか。あれは、メレンゲがあとからああいう風に進化したんですか? メレンゲは最初からああいう感じだったんですか?

 あぁ〜メレンゲとマンボね。メレンゲはメレンゲであって、ああいう感じのがあって、まぁ、どっちが先かって言ったら、まぁメレンゲの方が先かもしれないけど、それはどっちが先っていうよりは、一番最初に言ったように、たぶん、その、サックスの繰り返しのリフみたいなところと、メレンゲが合致するところが出てきたので、そこで、「マンボ」っていう風に、そこでも言うようになってきたんじゃないかなと思いますけどね。だから、ものすごく古くからマンボと、こう、ミックスしてるというか……

<お客さん2> でも、メレンゲでいうマンボは、なんというのかな、リフ感があるところじゃなくて、グィラが一つ打ちになるところがメレンゲのマンボですよね?

 う〜ん、途中、なんていうのかな……

<お客さん2> 一番盛り上がったところで、グィラが、チャッチャカチャって、一つ打ちになるところ、あそこがメレンゲのマンボですよね? メレンゲの世界でいえば。

 要は、繰り返しのところって考えた方がいいんじゃないかな。あんまり、そう、厳密にっていうよりは、って思いますけどね、はい。

 マンボって、もともとの言葉の意味もいまいち解っていないらしいのですが、なんかどんちゃん騒ぎみたいな、なんかそんなようなことのようですね。だからキューバも昔から、ああいう倍テンポとか、あとちょっと盛り上げるところは、マンボって、昔からいってたみたいだで、今でもマンボっていうと、ああいう部分のことをいっています。だから、メレンゲもマンボに影響されてるんじゃなくて、元々そういう部分があったと思うんです、分かんないですけど。

 たまたまそういう同じようなパートがあるからマンボって言い始めたっていうところはあるかもしれない。起源についてはちゃんと調べてみないと分かんないですけどね。
今日はどうもありがとうございました! 

(了)
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