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<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.6(前半)

2018.05.04

「三角関係〜Vol4」での「マンボ」の考察を受けて、2018年1月27日(土)に開催した「三角関係〜Vol.6」。
「その後のマンボ」というテーマでいろいろと妄想を膨らませてみました。
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岡本(以下O) 以前、「マンボは何か?」というテーマでトークライヴをやったんですけど、結局、結論は出ない。ですけども、「こういうことなんじゃないか?」っていう、我々の妄想がぐるぐる回りまして(笑)。「エル・ポップ/elpop.jp」のページにアップしたので、それを見て頂いた方もいたと思うんですが、それを受けて、新しい音を聴いてみよう…となったのが前回。

 で、今日はまたちょっとマンボに戻って、今回、「その後のマンボ」っていうタイトルを付けてみたんですけど、その後のマンボがどうなったか……それもなかなか難しい問題でして。今日、僕が選曲したのは、マンボがその後どう発展していったかっていうよりも、マンボは、どういうところでマンボと感じられているのか、という視点からのリストアップになりましたね。

 当然、ティト・プエンテなんかがずっとやり続けてはいたわけですけれども、そこのメイン・ストリームじゃなくって、マンボっていうのがどういう風に発展というか拡散というか、していったかっていうところが感じられればな、という選曲になっております。伊藤さんはどうですか?

伊藤(以下I) 岡本さんがニューヨーク中心で、高橋さんがキューバかな、という予想でプエルトリコを軸にしたのを選んだのと、その他の国でのマンボっていうことで……コロンビア、ベネズエラ、フランス、ドイツとかっていうのを用意して流れでどうかけようかと。

 色々話してる中で、高橋君に「その後のマンボってどう?」って訊いたら、キューバはその後のマンボ的なものがあまりないよね……って話になったんすけど。

 おもしろいですよねぇ。どうしてキューバだけ、なくなったのかが。

 そう。で、結果的には割とペレス・プラードみたいなところが……

高橋(以下T) そうですね。ペレス・プラードが、特に日本とか、「マンボといえばペレス・プラード」みたいなことになってるけど、ペレス・プラードって、結構、色々変遷してて、後半にはロックと融合したりだとか、色々妙なサウンド作ったり(笑)、パチャンガとか流行ったんでペチャンガっていうのを作ったりとかね(笑)。そんなことをやったりしてたんですけど、まぁ、キューバ本国ではあんまり流行らなかった。色々と聴いてみると、ベニー・モレーでキューバ的なマンボっていうのは頂点に達しちゃったから、それの影響を受けたような人たちはいるんですけど、レパートリーのひとつとして入れてるみたいな、感じで、オレはマンボで行く!っていう人はいなかったと思います。

 やっぱりキューバだと、ソン・モントゥーノに、「これマンボじゃないの?」っていうようなのが多いんですよね。だから、もしかしたら、キューバの人にとっては、マンボってモントゥーノとかソン・モントゥーノと同じなんじゃないかみたいな。だから、キューバではチャチャチャの方が流行ったんですよね。「キューバ革命はチャチャチャと共にやってきた」みたいな、そんな言い方もあるんですが、キューバ革命前後っていうのはチャチャチャが、一番人気があったようですね。

 ある意味、マンボってコマーシャルなところですごい流行ったから、キューバがキューバ革命後は反米″みたいなところで考えると、(キューバ国内では)「反マンボ」みたいなとこまでは行ってないんですかね? そういう雰囲気も無きにしも非ずっていう気もするんですが……。ちょっと分かんないですけどね、想像でしかないから。

 それ、ジャズの話と同じで、本当に禁止されたのかどうかとか、忖度とかそういう感じになってくると思うんですよね、まぁどこの国でもそうなんだけど(笑)。

 最近ある人がFacebookに挙げてた話で、レゲトン、クバトンが一時期禁止されたみたいな……禁止というほどでもないんですけど……偉い人が「あれはいかがなものか」って言って、やっぱりみんなちょっと自粛しちゃったみたいなのがあるみたいなんですよね。マンボにも、そういうのがあったかどうかはちょっとわからないんですけど。あと、キューバのミュージシャンは特別にプライドが高いから、「マンボは俺たち作ったんだけど、その前のモントゥーノとかそういうのがあるぞ」みたいなね。だから、「サルサの前がコンテンポラリー・ソンって言って、ソンの発展形なんだ、俺たちがやってるのは」って主張してるようなのと、まぁ同じようなものだったんでしょうかね。

 じゃ、どんどん、出来るだけ曲をかけたいと思うんですけれども、まず1曲目は、モンチョ・レーニャっていうティンバレス奏者。プエルトリコの人なんですけども、ニューヨークで活動してて、これは1957年だと思うんですけども。ヴォーカルはモン・リベーラがフィーチャーされてまして。モン・リベーラ、60年代に自分のバンドで、ボンバ、プレーナですごい大活躍するわけですけれども、この頃、50年代は……この人、お父さんもすごい有名なミュージシャンで、すごいマルチプレーヤーで、ヴォーカリストで、人気があったという人なんですけれども。当時のアルバムで『A Night At The Palladium』って、いかにもライヴ盤みたいな名前ですけど、全然ライヴ盤でも何でもないんですが、この中でちょっと聴いてもらいたいのが「バイランド・プレーナ」。これ“プレーナ・マンボ”ってジャンル名が入ってまして、ベーシックにはプレーナなんですけど、なんでこれにプレーナ・マンボっていうジャンル名が付いているか、っていうところを聴いてみると興味深い。マンボっていうのをどう捉えらていたか、っていうのが分かると思います。


♪Bailando Plena / Moncho Leña Y Los Ases Del Ritmo Featuring Mon Rivera

 モンチョ・レーニャで、「バイランド・プレーナ」なんですけど、どこをマンボって感じるかっていうところなんですけど、まぁベーシックにはプレーナなんですが、途中のホーンのリフが、繰り返しのリフが出てくるところがマンボって、みんな感じてたんじゃないかなと思うんです。

 1957年なんで、ちょうどマンボ・ブーム真っただ中で、プエンテなんかも名盤をバンバン出してる時。プエルトリコでは、コルティーホとかもそろそろ出て来るところなんですけど、やっぱりあれですよね、ホーンのリフの使い方とかは、全然違う感じですよね。

 実は僕も1曲目にかけようと思ったセサル・コンセプシオンっていう、50年の、やっぱりプレーナとマンボの間、みたいな感じなんですけど、リフが、マンボの中で新しく聞こえたんじゃないですかねぇ。今までの、もうひとつ前の(時代の)バンドっていうと、プエルトリコだとラファエル・ムニョスとかその辺なんですけど、そうなるともっとゆったりしたラテンで、何でしょう、いわゆるルンバ的なオーケストレイションっていう感じなんですけども、マンボのリフっていうのはかなり新しく聞こえて、それがマンボだという印象があったんじゃないでしょうか。

 じゃあ、次、伊藤さんは?

 はい。かけようと思ったセサル・コンセプシオンはモンチョ・レナと似たサウンドなんでその他を。プエルトリコでは、54年にコルティーホのコンボが出来たり、60年代になるとそれがグラン・コンボになったり……サルサらしいスモール・コンボに流れていく。その直前にあったプエルトリコの音っていうのは、やっぱりビッグ・バンドでして、その代表的なのがオルケスタ・パナメリカーナっていう、リト・ペーニャがバンマスやってたバンドなんですけども、ここは色んなヴォーカリストがいて、ジャジョ・エル・インディオがいたり、コルティーホが自分のコンボを作る直前にいたり。その時の録音は、ノリが、マンボとプエルトリコの間みたいな感じでコルティーホ節。スモール・コンボのコルティーホの音に近づいてきてるみたいな、中間の音があったので、ちょっとそれをかけてみようかなと思います。曲は「エル・チャルラタン」。”おしゃべり”


♪El Charlatan / Orquesta Panamericana canta Ismael Rivera

I マンボのリフみたいなものが入っていながらプレーナ、ということがひとつなんですけども、もうひとつは、マンボの時代って、例えばサンティスト・コロンとか、ティト・ロドリゲスでもいいんですけど、きれいに歌う。もうちょっと前からいえば、ベニー・モレー。非常にきれいな歌い方で、直前のプエルトリコで言えば、セサル・コンセプシオンのジョー・バジェ、非常にきれいな歌い方するんですけれども、このイスマエル・リベラ、完全におっつあんな歌い方になってるわけですよね。ここがやっぱりすごい新しかったっていうか、大きなチェンジだったとこで、そこから先のサルサの歌の中で、朗々と歌うっていうところがなくなってきたのも、このイスマエル・リベラがある、とか思ってたりします。

 これを聴くと、コルティーホそのままっていう感じですよねぇ。

 ですよね。スモール・コンボでパナメリカーナをやっただけ、みたいな感じありますよね。

 そうですよね。サックスのリフはやっぱり出てきましたけど、まぁ、録音のせいもあるかもしれないけど、そんなにぐいぐいくる感じではないですよね。

 そうですね。そこもやっぱりプエルトリコらしいところですけれど、すごい切れがあって、プエンテとかのチャキチャキっとか、マチートのっていうのと違ってくるのが、むしろなんですかね……同時代の、50年代のカリプソ・バンドのノリみたいなサックスのフレーズっていう感じしますよね。

 なるほど。じゃ、続きまして……

 はい。先ほどお二人が、プレーナのマンボ化というか、プレーナの中にどうやってマンボが入ったかっていうか、リズムの途中で取り方を変えたりとか、あと、全体のフレーズっていうか、そのリズムの強調の仕方が、あっという間に変わってみたいな感じで言われたんで、それを受けて。今日、来る前に色々と直前まで聴いたりしてて、その中で、ペルチンの60年前後くらいのアルバムなんですけど、その中から1曲かけたいなと思います。

 キューバってやっぱり、マンボの元になったものっていうか、マンボを作り出したっていうのはキューバだっていうことで、かなり貢献が大きいところですけど、キューバ本国ではさっき言った通り、あんまりマンボって、その後、そういう名称ではなかなかない。ラテンの音楽って、必ずLPの裏の曲名に、例えばソンなり、グァラーチャなり、ボレロなりっていう形式名が書いてあるんですけど、マンボってそのままつけてるのはあんまりないんですよね。で、ぺルチンっていう人は、マンボのこう、出来るときのジャム・セッションとかそういうのの中心人物の一人だったんで、結構マンボってつけてるんですけど、このアルバムの中でもマンボってつけてるのは1曲だけで、他のアルバム見てもマンボってあんまり書いてない。必ず、ボレロ・マンボとか、マンボ・チャチャとか、そういう他のリズムと合わせてるっていう感じなんです。その中から1曲。マンボ・チャチャという表記になってる「マメイ・コロラーオ」っていう曲を聴いて下さい。


♪Mamey Colorao / Peruchin

 ぺルチンっていうのはピアニストなんですね。で、編曲やなんかももちろんするんですけど、他に、やっぱりキューバで、ブラスバンド系とかオーケストラ系っていうと、この時期代表的なのが、(オルケスタ・)リバーサイドとかですが、その辺のアルバムも色々チェックしてみると、やっぱり“マンボなんとか”っていう表記が多いんですよ。そういうのを聞いてみると、ブラスがすごい♪ブンバカブンバカっていう感じで鳴ってると。だから、伊藤さんと今話してたんですけど、もう、リズムというよりもそういう、盛り上げるためのパートみたいなね。元々そういうところからマンボって出てきたっていうような気がします。マンボ・ブーム後も、みんな意識的にそういう感じがマンボだったんじゃないかなぁっていう気がしますね。

 やっぱりマンボって盛り上げるっていう意味とかで……。あの〜、東京の有名なイベントで「ムーチョ・ムーチョ・マンボ」っていうのがありますけど(笑)、やっぱそれは、盛り上げるっていうことかなっていう、マンボばかりがかかるイベントじゃないっていう、そういう感じはします。

 ああ〜、そうですよねぇ! だからさっきかけた最初の曲も、「なんだ、リズムはプレーナじゃないか」っていうんだけど、途中に繰り返しパートが出てくることによって、やっぱりマンボ!っていうところを強調しているのかなぁって。さっき言ってましたけど、メレンゲでもマンボ・パートがあるし、サルサでもマンボ・パートがある。それはリフの繰り返しみたいなところで、そういう風に今でも言われてるわけなんで、だからリズムじゃなくて、繰り返しパートなんだ、っていう結論が出ましたね。あっ! 違うか?!(笑)

(一同笑)

 本当ですか?! なんか、似合わないですねぇ、結論出すの、このイベントとしては(笑)

 どんどん行きましょう、はい(笑)。
 ええっと、じゃあ結論が出たかどうかは分からないですけど、次はですね、エディ・パルミエリ先生の、これ、3枚目だと思うんですけれども、『ロ・ケ・トライゴ・エス・サブロソ』っていうアルバムで、さっき高橋君も言ってたんですけど、昔は本当にリズム名が全部表記してあって、で、サルサの時代になるとなくなっちゃってきて。先生方(エディ・パルミエリやラリー・ハーロウなど)に会ったときに、色々聞くと「昔はちゃんとリズム名があったのに……」っていうことは、よく言ってましたからね。サルサになってからリズム名がなんかわけわかんなくなって、もうダメになった、っていう(笑)

 お怒りがインタビューから良く分かりますよねぇ(笑)

 はい。ということはよく仰ってました。でもまぁ、とにかく、リズム名が書いてあったんで、我々も、聞き始めた頃は「あ、これがマンボかぁ〜」「これがソン・モントゥーノかぁ〜」っていう、そういうのはありましたよね(笑)

 そうそう。でもグァラーチャとモントゥーノは、どこが違うんだろう? とかね(笑)

 どこが違うのか、分かんないよねぇ(笑)。
 かけるのはタイトル曲、「ロ・ケ・トライゴ・エス・サブロソ」。これまさにマンボって書いてるんですけど、その曲をお送りしたいと思います。


♪Lo que traigo es sabroso / Eddie Palmieri

 エディ・パルミエリの「ロ・ケ・トライゴ・エス・サブロソ」。マンボって書いてあったんですけど……さっきの結論がいきなり覆されるようなんですけど! いわゆる繰り返しパートが全然出てこない(笑)。で、途中、6/8拍子、ベンベっていうかルンバみたいなとこもあるしねぇ(笑)。なんか……

 全体のリフもそんなにマンボっぽくないですよねぇ(笑)

 マンボっぽくない(笑)

 8小節くらいしかなかったっすねぇ、あのリフ(笑)。あれだけですよね。だから、ほとんどサルサですよね。

 ほんとサルサです。

 なんでマンボとか付けたんですかね、これ?

 分かんないですね。

 他にあるみたいに、“マンボなんとか”とか“なんとかマンボ”とか付けるならわかるけど。

 あれですか! お祭りマンボとかそういうやつ?!

(一同笑)

 いや、あの……「マンボ・チャチャ」とか「ボレロ・マンボ」とかって付けてればなんとな〜く、みたいな(笑)。さっきのリフのところ、少しあるからマンボだ、っていう風に(笑)

 これ、表記は「マンボ」だけですよね。

 そう! 堂々とマンボって書いてある。しかも1曲目で、タイトル曲で、マンボって書いてあって! これ、マンボなのかなぁ〜、って(笑)。みんなそう思ったのかな、っていう気もしないでもないんですけど。どうなんすかね。逆に、ジャンルはどうでもいいっていうことになってきたのか、ちょっと分かんないですけど。

 ソン・モントゥーノとか、デスカルガって、マンボはどう違うかっていうと……だいたい似た感じじゃないですか?

 すでに、エディ・パルミエリ・サウンドは確立されているので、あんまりマンボってこう、ジャンル名、出されるのは違和感っていうか……。

 あれですかね、その、旧世代のファンにも買ってもらおうっていうことで、「あ、マンボ入ってんじゃない!」みたいな。そういう、なんかゴマカシですかね?

 あっはっは、戦略ですか(笑)

 戦略かもしれない、本当に(笑)

 ちょっと難しい。

 ますます混迷を深めてる。

 混迷を深めてる!(笑)。 はい伊藤さん、次。

 じゃあ同じころの……っていうか、あ、録音はこれ2回目の録音なので69年なんですけれども、初録は64年。リッチー・レイとリカルド・レイが「マンボ・ジャズ」っていう曲をやってまして。じゃあこれは本当に、マンボとジャズの融合なのかというところを聴いてみたいと思います。


♪Mambo Jazz / Richie Ray & Bobby Cruz

 リッチー・レイとボビー・クルスの「マンボ・ジャズ」という曲なんですけれども、どうなんでしょうかね、これ?(笑)。マンボ……? まぁ、ジャズっぽいところはありましたね。

 ジャズっぽいところは!

 ジャズっぽいところは、4ビート入ってね、コード進行で3-6-2-5のドミナントモーションを強調したとか。…ですけど、マンボはどこだったんですかね?(笑)

 「これは、マンボ・ジャズだ」って歌ってるから、もうマンボ・ジャズなんですよ〜(笑)

 ちゃんと最初に宣言してるもんね〜(笑)

 あぁ! 宣言してる! そういうことですよね!

 言ったもん勝ち!

 そうですよね、ニュー・スタイルのマンボ・ジャズだ! ってね。うん、カッコいいだろう、って(笑)。

 そうそうそう(笑)

 って言われても〜(笑)。でも、そういうことなんですかね。言ったもん勝ちって、これ、前々回かなんかの、結論もそうでしたよね(笑)。マンボって言ったらマンボってことですかね(笑)

(会場笑)

 そうそう(笑)。でもやっぱり、どこがマンボか? って言われるとなかなかわからない。雰囲気マンボだよ、って言われりゃぁ、まぁ、そうかな? っていう(笑)。ボビー・クルスに、なんかこう……ほら、神父さんですから……説得力あるヴォーカルで言われると、そうかな? って(笑)。 それ、ないですか!?

(一同爆笑)

 宗教的な感じですかねぇ(笑)。う〜ん、確かにね。歌声もさすがに、ボビー・クルス、力強くって。じゃあ、ま、そういう風に言ったもん勝ちっていうのが、今のところの結論だっていう。そうですか?(笑)

 全然、さっきの結論と違う。ますます混迷が深まるばっかりになってきましたね(笑)

 1曲ごとに言うことが違う(笑)

 言うこと違いますよねぇ(笑)

 あの、いつも思うんだけど、リッチー・レイの、あのブラスのアレンジとか、元々どこからああいうアイデアって習ったんですかね? なんか、あの人は変なことやってたとかって……

 変なことやってた(笑)

 そういうような噂って、ないんですか? ちょっとヤバいこととかやってたとか(笑)

 ヤバいこと(笑)。どうなんですかね? でもまぁ、今の曲でも、どんな曲やってもリッチー・レイとボビー・クルスって、すぐ分かりますよね?

 すぐ分かる。

 分かりますよね。ちょっと特異なサウンドっていうか、アレンジだし。

 なんか、異様にバロック的な。

 バロック的な、クラシカルなところが、あったりするんだよねぇ。で、実はプエルトリコで絶大な人気ってわけではないけどコロンビアですごい人気なんですよねぇ。

 あぁ〜、そうですね! コロンビア!

 未だにコロンビアではすごい人気で、何なんでしょう、っていう感じね。コロンビア人気。

<お客さん> なんか、コロンビアに一番最初にサルサを持ち込んだのがリッチー・レイって聞いた。だから、コロンビア人みんな、リッチー・レイ大好きって。

 ですよね。でも、そのまま残ってるところがすごいですよね! あの時代、やっぱりその、「カリ・フェスタ」の初期で、最初に呼ばれたリッチー・レイとか、まぁグラン・コンボなんかも呼ばれてますけど、リッチー・レイは本当にずーっとコロンビアに残ってて、それで、コンピ盤とかですね、コロンビア・リリースのものがすごい多いっていうのは、何がコロンビア人に受けてるのか? っていうのがすごく知りたいんですけど。なんか分かりますかね、そこは?

<お客さん> いやぁ〜、分かんない。ただ、(曲が)流れるとみんな絶対踊るんですよね、影響受けて、私もすっごい好きなんですけど。

 ですよね〜。

 なんか、プログレっぽいですよね。

I プログレっぽい!(笑)

 そうそうそうそう!

 なんかそういう……なんだろ、神父さん的な、ちょっとバロック的なのを入れながら、かなり素っ頓狂なブラス・リフを入れるとかっていう(笑)

 なんか、異様にハイテンションじゃないですか。確かにこう、なんか変なものやってるんじゃないかって……。まぁ、昔は間違いなくやってたとは思いますけどねぇ(笑)

(会場笑)

 YouTubeで、彼らの若い時の、いくつか見たんですけど、ほんとロック・バンドみたいですよねぇ(笑)

 ロック・バンド! そういうアルバムも2枚くらいありますよね、ロックやってるのね! なんか、そういうフィーリングが、ちょっと違いますよね。ラテン王道の、マンボから来てるとか、そういうんじゃないですよね。

 じゃあ次は、ぐっと戻るってというか、ペレス・プラードですね。
 マンボを世界に広めたのはやっぱりペレス・プラードだ、っていうのは、これは間違いないことだと思うんですけど。日本だと、まぁ、自分たちの親が聴いてた音楽、みたいな感じで。僕は最初ラテン音楽聞いたとき、ペレス・プラードはダサいなー、なんて思ったりしたんだけど、色々聴くとすごい面白いし、カッコいいものもあって、以前の「マンボ」をテーマにした時も少しイメージが変わるようなのをかけたんですけど、今回も、その辺を数曲かけたいなぁと思ってます。

 かけるのは「クーバ・マンボ」って曲です。1947年録音で、たぶんキューバで録った何曲かのうちのひとつだって言われてるんですけど、この次の年にメキシコに行ったんですね。メキシコでベニー・モレーのバックバンドみたいな形で活動をはじめて、で、自分がやってたマンボっていうスタイルを、ベニー・モレーと共に、形として完成していくっていう感じなんですけど。それの出発点みたいな感じの「クーバ・マンボ」を聴きたいと思います。


♪Kuba-Mambo / Perez Prado y su Orq.

 ペレス・プラードで、「クーバ・マンボ」ですね。
 
 ペレス・プラードって、この先も、リズム名とかスタイル名を付ける天才じゃないか、っていうほど色々名前を付けてるんですけど、この時点で、これを、「マンボ・カエール」って言ってたんですよね。あの、caer(カエール)だから、ずっこけるとか、こう、落ちる、ような。ペレス・プラードのマンボ聴くと、すごい、こう、リフが深いし、あんまり速い曲って無くて、どっちかっていうと、なんだろ、重心の深いところで、こうリフを、どっちかっていうとゆっくりと決めていく感じなんですね。だからたぶん、そういうようなイメージで、「マンボ・カエール」って言ったんじゃないかなって思うんですけれど。

 これは、47年っていったら、あの大ヒットの「マンボ」とか「ナンバー5」なんかよりも前ってことですよね?

 前ですね。

 リフもほんとに、なんかこう、まぁ、地味っていうと変ですけど、後にはすごい強調されてますけど、今のは割と控えめ。

 うんうん。でも、ここで「マンボ・カエール」って付けて、自分のオリジナリティを出すっていうのは、やっぱ、ペレス・プラードはすごいなーなんて。いわゆるほかの人たちのマンボとはちょっと違うみたいなところは、確かに感じる。

 せっかくっていうのも変ですけど、ペレス・プラードの話しになったんで、続けて聴いてみたいなと思います。

 はい。ペレス・プラードは、48年にメキシコに向かうんですよね。で、その前にベニー・モレーは、トリオ・マタモロスの、コンフント・マタモロスの仕事でメキシコに行ってて。で、バンドが帰国するとき、メキシコに残るという決断をして。
 
 その辺のことは、去年オフィス・サンビーニャの『ディスコロヒア』っていうレーベルから出た、ベニー・モレーとペレス・プラードの共演録音のアルバムの解説に詳しく書いてあります。このアルバム、共演録音を全部入れてて、これを時系列というか録音順に入れてんですよね。今まで聴けなかった音源ではないんですけど、整理をし直した。解説も、色々文献をあたって田中勝則さんが書いてるんですけど、その中で、今まではベニー・モレーがペレス・プラードの楽団に入った、歌手として入った、っていうイメージがあったんですけど、そうじゃなくって、ベニー・モレーの方が格が上で、ペレス・プラードがバックバンドとしてついたと。ベニー・モレーは、ペレス・プラードとやる前にマリアーノ・メルセロンとかウンベルト・カネーとか、早くにキューバからメキシコに渡って活躍してたバンド・リーダーのビッグバンドと一緒に録音して……そこそこ人気はあったらしいんです。それ考えると、ペレス・プラードっていうのは、ベニー・モレーと一緒にやってどんどんどんどん音楽的にマンボっていうのを磨いた、っていうような話が書いてあって、その辺がすごい面白い。

 で、ペレス・プラードの「エル・マンボ」とかがヒットしたのが1950年なんで、ちょうどベニー・モレーと一緒にやってる時に自分もヒットを飛ばした、と。大ヒットをやっと飛ばせた、っていう感じなんですね。で、ちょうどその頃に、ベニー・モレーと1948年から1950年まで録音して、その最後の方の録音なんですけど、もう完全にベニー・モレー・スタイル、ペレス・プラード・スタイルが、こう、ぶつかり合ったような「アナバコア」という曲をかけてみます。


♪Anabacoa / Benny Moré y Perez Prado

 「アナバコア」、後に、グルーポ・フォルクロリコとかもやってた曲ですけど、これやっぱり、さっきの曲に比べると相当リズムが強烈というか……。

 そうですよね。だからこの辺がやっぱり、まぁ、田中さん、色々文献読んでそういう風に導き出したんだと思うんですけども、ベニー・モレーに刺激されてっていうことで、こういうサウンドが出来上がってきたということですね。で、この直前に、もう「エル・マンボ」が大ヒットしてた感じですよね。

 これであれですか……、2人が完全に袂を分かつっていうか、別れた?

 1952年にベニー・モレーがキューバに帰って、自分のバンダ・ヒガンテっていうね。ま、元々ベニー・モレーはビッグ・バンドと歌いたかったらしいっていうのがあるんですけど。で、逆にペレス・プラードは大ヒットを飛ばすんですけど、どんどんやっぱりアメリカ(USA)進出とかって、まぁ、レコード会社の意向もあったし、自分でも結構そういう野望とかあった人みたいなんで。で、そこで色々なリズムを、マンボを中心としてを考えてくるんですよね。

 で、次に聴いてもらうのが、スビーというリズム。リズム名、スビー。やっぱりリズム名をどんどん考えるのが、やっぱキューバ人上手いですよね(笑)。前もそんな話しましたよね。

 そうですよね。キャッチ―なことをやるのが得意ですよね。ベネズエラ人とか全然ダメだけど(笑)

(会場笑)

 だから、subir(スビール)だから、さっきのcaer(カエール)とは反対みたいな(笑)。 上がってくみたいなね、たぶんそういうような意味。聴いてみると、マンボとどこが違うの? みたいな感じなんですけど、やっぱりスビーで大ヒットして、アメリカのチャートなんかでもかなり上の方までいったんですね。では「セレソ・ローサ」。有名曲なんで聞いてください。


♪Cerezo Rosa / Perez Prado y su Orq.

 スビーとは何か?…って、全然分かんないんですけど(笑)。どっか違いがありますかね?

(一同笑)

 分かんないよね?(笑) 
 なんか、アメリカ(USA)でヒットさせるには、今までのテンポだと速いっていうのがあって、いわゆる、アメリカにいるラテン系の人じゃなくってね、いわゆる白人たちの前でやるには、っていうのがあって、それで、戦略的にゆっくりにして。で、結構ヒットした。ボールルームとかで。だから、歌もない方がいいじゃないですか、そういうところで踊るためにね。たぶん、そういう戦略でいったんだろうなぁ、っていう感じはしますね。

<お客さん> 他にもスビーの曲ってあるんですか?

 スビーは、いっぱいありますよ。

<お客さん> やっぱり、テンポは遅いんですか?

 うん、全体的に遅いですね。今かけてるのは、20数年くらい前に、ビクターから、ペレス・プラードの7〜8枚組っていうのが、BOXで出たんですよね、限定で。そこからかけてるんですけど、解説とか録音の資料とか結構ちゃんとしてるんですけど、で、ジャケットが河村要助さん。要助さんで、いいんですけど、やっぱり、要助さん、ペレス・プラードにあんまり関心なかったんでしょうね(笑)。絵に愛情があまりない(笑)どのジャケットを見ても。似てない。要助さん、似てない絵を描くことよくあるじゃないですか。

 まぁ、似てるっていえば似てるけどね、微妙ですよね、確かに(笑)

 そうそう、微妙な感じですよね。愛情があるやつだったら、もうちょっとこう、後ろの方に描きこんだりとかするんですけどね(笑)。サルサやなんかだったらあるんだけど(笑)。だからその辺の、ちょっと、こう、ペレス・プラードに対する愛情のない要助さんが、愛情がないイラストを描いた、というのでも貴重な(笑)

 ココナッツで誤魔化してる(笑)

 そうそうそうそう、ココナッツで誤魔化してる(笑)。他のもなんか、そうですよねぇ(笑)。細身になったペレス・プラード……まぁ、元々細い感じですけど、描いたりとかね、ただ単に描いてるだけ、っていう感じです(笑)。

 で、まぁ、それはさておき、もう1曲ペレス・プラード。これはですね、キューバン・ロック。ロック編成になってて、ロックが出てきたときに、かなり売り上げてる。で、やっぱりペレス・プラードは「じゃ、ロックと今までやったマンボを掛け合わせればいいんじゃないか」っていうんで、ロカンボとか、色々そういうようなリズムを作り出して。

 商売人ですね(笑)

 商売人ですよね(笑)。で、それもそこそこヒットして、その時の「キューバン・ロック」という、もう、そのままズバリの曲なんですけど、音楽的には、やっぱりさすがに面白いなぁ、なんていう風に思ってて。で、こんなの流行ったのか?っていうと、同じアルバムに「パトリシア」っていう曲があるんですけど、これは全米ナンバー1になったというんで、やっぱり、ちゃんと業績を残してて、そういうところすごいな、と。じゃあ、聴いてみて下さい。「キューバン・ロック」


♪Cuban Rock / Perez Prado y su Orq.

 あ、終わった(笑)

 短いですね「キューバン・ロック」。でも、結構、違和感ないというかね(笑)。よく言われるのは、ブラスのことですね。これだけ区切れがいい、高音のブラスができるのは、メキシコ人と一緒にやったからだと。メキシコの、マリアッチとかは、首都のシティーでと高地で吹いてて肺活量とか鍛えられてて、キレのいいブラスが出来たからだ、なんてことも言われたりしてますね。この後もっと新リズムを作って、「ラ・チュンガ」っていうのは、さっき言った「ラ・パチャンガ」が中南米〜ラテン圏で流行って、もうみんながパチャンガをやった時に、同じ1961年に、じゃあ、っていうんで、「ラ・チュンガ」というとても響きの似たのを作って(笑)。これはあんまり上手くいかなかったみたいで、これ以降はあんまり多くはないんですが。

 でも、そういう時代には、組曲作ったりとか、『ハバナAM3:00』とか、あと『ヴ―ドゥー組曲』とか、そういう大作みたいなもの作って、やっぱ才能があるなぁっていう感じはします。まぁ、こんなとこですかね(笑)。ペレス・プラードのマンボの広がりっていうか、変遷っていう感じでした。

 安易な曲っていっちゃ、アレだけど(笑)。「キューバン・ロック」って、「みんな、こういうの聴きたいんだよね?」みたいなところを出したんじゃないかなぁって感じましたけど、どうですか、伊藤さん?

 そうですね、まぁ、安易な曲っていえば、安易な曲ですよね(笑)。こういうロックとキューバの音楽の融合っていうのは、ロス・バン・バンもやるじゃないですか。で、それと大きな差があるなって思いました。

 やっぱり、レコード会社の意向もあったりとか、まぁ、あと彼がそういう方向にどんどん進出したいのもあると思ったんだけど、要は、マーケティングをちゃんとしている音楽だなっていうのは、後半になってくるとしちゃいますよね。ベニー・モレーとやってた時期、またはスビーの時期ぐらいまでは、そういう感じでもなかったんだけど、やっぱり、どんどん、そういうマーケティング優先になったっていうのは否定できないかなっていうのはありますね。

 ペレス・プラード続けて聴いて頂いたところで、ちょっと休憩をいただいて、後半また、色々。

(つづく)
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