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フレディ・グスマン、インタビュー その1

2018.03.08

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 昨年、若手ペルー人ギタリストのフレディ・グスマンと知り合う機会を得た。アメリカでジャズを学んだ後、自分のルーツ音楽であるアンデス音楽にどっぷりとはまり込み、いわゆる「フォルクローレ」音楽とはまったく違う切り口からあたらしい現代アンデス音楽のあり方を模索している新進気鋭のギタリストだ。ファーストアルバム「Waijazz」はジャズ色がより強く出た作品ながら、ペルーアンデス音楽のトップアーティストたちをゲストに迎え作られており、クスコやアプリマック、アヤクーチョのローカルサウンドがジャズとこんな形に出会うことが可能だったのか、という新鮮な驚きを与えてくれた。その後アヤクーチョ、クスコの仲間とともに音楽ユニットワイジャズを立ち上げ、ファーストアルバムとはまたまったく異なる切り口でペルーを中心に活動、更に最新作品ではよりポップに軸足を移しつつあたらしい世界を模索し続けているアーティストである。
 そんな彼が最近日本を拠点の一つとして、なにか面白いことができないかと滞在しているので、少しお話を聴いてみた。(ライブ情報は「その2」の最後にあります)


■まずは簡単な生い立ちをお願いします。

 私のルーツは、ペルーのアンデス南部、クスコとアンダワイラス、そしてワンカーヨ出身の祖父母ににあります。小さい時に両親に連れられてリマに出てきました。両親は商売をしており、家族のフィエスタでは父方の祖父がいつもギターでムシカ・クリオーヤを弾いていて、小さい頃の私はそれを祖父と一緒に歌うのが好きでした。その後5歳からバイオリンを習いはじめ、やがてそれはマンドリンへと変わりました。ところが小学校の時に母がアメリカ人と再婚してアメリカへと移住することとなりました。新しい父は60年代から70年代のロックが大好きだったので、ロックを聴くようになり、私の興味は次第にブルースへと移っていきました。それはきっとブルースの持つ「センティミエント」と、生活の中から生まれてきた民衆音楽としての魅力に惹かれたのだろうと思います。そんなふうにブルースにのめり込む中で、更にジャズと出会いました。ちょうど大学に入る直前ぐらいだったと思います。そこからジャズを聴くようになり、大学時代にはジャズの作曲などを試みるようになりました。ところが、大学3年の時にペルーを代表するギタリストラウル・ガルシア・サラテ(2017年没)を聴き、大きな衝撃を受けました。自分の子供時代を思い出し、自分の故郷であるペルーについて考えるようになった。一気にペルー音楽に心奪われて、12歳から始めたギターで、ラウル・ガルシア・サラテの演奏をコピーしようと楽譜を入手して練習し始めました。大学を卒業した後、もう少し音楽の勉強したかったのでニューヨークへと移り、1年間バークレー校で学びましだ。そこで同じクラスになったギタリストに面白い学生がいました。彼は、ハービー・ハンコックやチック・コリア、カルロス・サンタナなどと一緒に演奏もしている、西アフリカのベナン出身のギタリスト、リオーネル・ルエケだった。彼の独創的なギターに惹かれていた時に、彼とその友人たちから、「フレディのケチュア起源のアンデス音楽とジャズを融合した音楽は非常に面白い」と言われて、ペルーに戻ってもっとしっかりと学ぶことを決意したんです。



■それでペルーに戻ってより深くペルー音楽にのめり込んでいったんですね。

 はい。ペルーに戻った私は、アンデス音楽勉強し、アヤクーチョを代表するギタリストのマヌエルッチャ・プラドやバイオリニストのチマンゴと一緒に演奏する機会も得ました。ファースト・アルバムである「ワイジャズ」を出した後、チマンゴにもっとアンデス音楽について学びたいと助言を求めたところ、現地に行かなければ話にならないと言われ、彼の息子を紹介してもらいました。やったってねって思いましたよ。それまでどこに行けばいいのか、どこから始めればいいのかもわからなかったから。それでアヤクーチョ南部、プキオ近郊のチパオに入った。ちょうど2014年7月の独立記念日でね。その村も祭りをやっていました。8日間もね(笑)。バイオリンとハープでね。僕は録音しながら写真も撮っててね。それで村長と祭りのカルゴを務める責任者が祭りのすべての場所に入れるように手配してくれて。そこでは色んな経験をしました。これまで感じたことのない寒さとかね。ちょうど寒い季節でね。当然暖房なんかもないし。ずっとストリートにいて、広場で音楽に合わせて踊りながら夜明けを見たりしてね。寒いし眠たいし、でも、来いって行ってくれたからね。おかげでそれまで見たことがないような、本当に貴重な体験を沢山することができてね。それが私の頭をぶち割ってくれて、世界が変わるようなね。この旅行ではたくさんの音楽家やその友人たち、プキオを中心に活動する素晴らしいダンサンテ(ハサミ踊りの舞手)にも出会って、素晴らしいことに彼らが、次はこんな祭りがあるとかどこどこで踊るとかどんどん声をかけてくれるようになってね。それでしばらくプキオ近辺をずっと巡っていました。
 その後いっとき一人で移動することがあってね。5月にチャクラヤというところで祭りがあってね、チパオとチャクラヤは近かったので、友達たちとチパオまでは一緒に行ったんですけどね。友達たちはそこからリマに行ってしまったので私は一人でチャクラヤに行ったんですよ。誰も知っている人がいない状態でね。なるようになると思ってたらね、チパオの村長さんがこのお土産を持っていったらいいって持たせてくれて。それをお祭りのカルゴンに渡したらいいって言ってくれてね。それで行ってみたら、知りあいの音楽家が向こうにいてね、「おい、フレディ、こんなところで一人で何してんだ」ってね。それで祭りに来たって言うと、どこに滞在するんだ?っていうから滞在も何もついたところでわからないというと、じゃあ、俺の部屋に来いよってことで。彼らの14時間ほど休むことなく続く音楽に付き合いながらね。チャクラヤの祭りの独特なところは、楽隊が2つあって、それぞれが12時間ずつ受け持つから、同じベッドを交代で使って休むことができるんだ。そんな場所で録音したりビデオを録画したりしながら、気がつけばこういう伝統的な音楽文化に心を完全に奪われてしまっていったんだ。そうやってどんどん文化の深みにハマっていくように各地を旅しながらいろいろ吸収していくっていうのをしばらくずっとやってたんだ。

■それじゃあ、はじめにプキオに入ってそこからさらに田舎の町へと入っていったんですね。

 はい。プキオは大きな街でいろんなものがあるから、ネグリートスとかからハサミ踊り、セキア、ハイラ、チマイチャ、ワイリーヤまで、ね。あと、トリルとかカルナバーレスとかね。そんな風にアヤクーチョ南部の村々にはすべてそれぞれさまざまな音楽があってね。毎年それをお祝いすることでしっかりと生きた形で文化が保存されている。
 
■それじゃあ、その後にクスコとかプーノでも地域文化を追いかけていくことになっていったという感じでしょうか?

 はい。そうですね。 プーノではマエストロ・レオ・カサスの家でしばらくケチュア語を習っていました。それでしばらくプーノにいたんですけど、そうするとカンデラリアの聖母の祭りに参加しないとって言われてね。2月にあるんだけどどうしても行けなくて。それでコニマ、ワンカネー、モオなどのシクーリに興味を持ってね。

■それじゃあ、そのあたり全部周ったんですか?

 いえ、実際に行ったのはコニマだけですね。でも本当にこれも衝撃的でね。アヤクーチョの音楽とも全く違っていて。管楽器の可能性というか。アヤクーチョは弦楽器が主体でしたから。とにかくとっても刺激的だった。
 それからクスコにも行きました。クスコには親戚がいてね。それでクスコでも地方の田舎音楽を探していたんですけど、それで友達に誰か地方の伝統的な音楽を生きた形で実践していてケチュア語にも堪能な人はいないかと聴いたんですね。そうしたら、「ああ、ホルヘ・チョケウィルカだ!」ってね。それで3年ほど前(2014年)に彼の家に行って話をして。それから一年後にちょうどCDを作ろうという時にホルヘに連絡をとって、ケチュア語の伝統的な歌手を探しているんだ。学校に行ってないとか関係ない。生きた民族音楽を実践している人が必要なんだ、というと、私で良かったらって言って、でもまず私の音楽を聴いて、それで必要ならって言ってくれたので、彼のバンドゥリア(鉄弦4コースの複弦楽器)で演奏している音楽を実際に聴いてみたら素晴らしくてね。で、彼にお願いするとなったら、すぐにリマまでバスで来てくれてね。それで一日でレコーディングしてまたバスですぐにクスコに帰っていった。なぜなら彼もクスコでコンサートの予定があったからそれ以上時間は取れなかったんだ。そんなふうにホルヘとの関係も始まったんだ。彼は私を故郷に連れて行ってくれてね。コイユリティ(星と雪の祭り)についても教えてくれた。5月にあるんだけどね。それでホルヘと一緒に行ってね。もう、これも本当にすごい信じられないような体験だった。快適な場所から出てまだ夜明け前の暗い中を山を登り始めてね。8時間海抜5000メートルを歩き続けるんだ。それも彼らのリズムで歩くんだ。だから遅れらない。彼らは高地順応してるしね。僕はまだだったから辛かった。もう疲れ果ててね。時々十字架に2分間ほど音楽を捧げるんだけど、それが唯一座って休憩できるときでね。終わるとすぐに歩き始める。「ほら、いくぞフレディ!」ってね。歩き続けるほかなかった。それでキャンプ地に到着したら、動けなくなって24時間倒れ果ててね。もうものすごい頭痛だし。でもその後さらにもうすごい忘れられない体験があってね。コイユリティはとにかくすごかった。
ともかく、そんなふうにアンデスの音楽へとはまっていったわけです。

後編へ続く
posted by eLPop at 09:56 | 水口良樹のペルー四方山がたり