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2/10 eLPop 金沢編 資料C「伊藤嘉章のかけた曲」

2018.02.27

プエルトリコはコロンブスに「発見」されて以来約400年の間キューバと共にスペイン領でした。それゆえ、音楽のルーツもキューバと共通なものがあると同時に長い歴史の中で違った個性も持っています。

カリブの音楽のルーツは大きく分けて3つとよく言われ、プエルトリコも同様です。
@ 元々そこに住んでいた人たち(アラワク、タイノ、カリベなどと呼ばれる人たち)
A 欧州から移住してきた人たち(スペイン、フランス、イギリスなど)
B アフリカから奴隷として連れてこられた人たち

そんなプエルトリコの音楽の流れに沿って3曲をご紹介します。


◆Rafael Hernandez作 ”Preciosa(プレシオサ)” 歌:マーク・アンソニー
CD “Romance del Cumbanchero”

プエルトリコの特徴を考えるとき、キューバにもし「リズム」指向があるとすれば、プエルトリコは「歌」への指向があると言えるかもしれません。その歌の一つとしてラテンには「ボレロ」というジャンルがあります。

ボレロは人々の心や日常、愛情を美しいメロディーで歌うものですが、一曲目は、そのボレロを含む様々な素晴らしい曲を生涯に3,000曲以上作曲した、ラテン音楽を代表する音楽家、ラファエル・エルナンデスの曲をご紹介します。

ラファエル・エルナンデスは1892年にプエルトリコに生まれ、音楽学校で学び、市立オーケストラに参加。第一次世界大戦に米国兵士として(プエルトリコは米国領)従軍後、1920年代にニューヨークに移住し、トリオ・ボリンカーノ、カルテート・ビクトリアを結成し、演奏と作曲活動を行います。ニューヨークやプエルトリコのみならず、中南米で大きな人気を得た中1932年にメキシコに移住。映画やオーケストラの音楽監督として活躍後、1947年に故郷プエルト・リコに戻りプエルト・リコ交響楽団のディレクターに着任という経歴。1965年にプエルトリコで逝去。73歳でした。彼の作品は本当に中南米で愛されてきた大ヒット/有名な素晴らしい曲が多いです。

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世界で、そして日本でも一番有名な代表曲は「エル・クンバンチェロ」でしょう。高校野球の応援で良く演奏されます。その他、上げればきりがないのですが「ラメント・ボリンカーノ」「Perfume de gardenias」「Capullito de Aleli」「Campanitas de Cristal」「Cachita」などがあります。

エルナンデスの曲は中南米・カリブ全域で人気でしたが、エピソードをご紹介しましょう。キューバでも人気のエルナンデスですが、キューバのソンを代表するグループの一つ、トリオ・マタモロスが1928年にNYに行った時、人気作曲家だったエルナンデスに出会い、その後1930年キューバでエルナンデスの"Buche y Pluma Na'ma"を録音して大ヒットさせます。

そしてその約10年後の1939年、NYで万博が開かれキューバも出展します。その時のキューバの公式本「キューバ・ポピュラー音楽」というパンフの中の「キューバを代表する80曲」としてこの曲を含む2曲が入りました。キューバの人の勘違いですが、彼の事をキューバ人と思ってしまう程、彼の曲がキューバの人々に愛され影響を与えたかがわかります。

さて、用意していたのはカルテート・ビクトリアの「Campanitas de Cristal」でしたが、「水口さんがマーク・アンソニーに似ている」という話がちょうど出たので急遽マーク・アンソニーが歌った「Preciosa」に切り替えました。この曲のタイトル「プレシオサ」は「美しい」という意味ですが、女性の事を歌ったのではなく、エルナンデスが生まれたプエルトリコの事がテーマです。

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1898年の米西戦争でプエルトリコはキューバやフィリピン、グアムなどと共に米国領となった後、キューバは実質的に米国支配であるとはいえ1902年に独立します。一方、プエルトリコはその時以来、アメリカの「準州」的な中途半端な状態で現在に至ります。米国領となっても島は貧しく、またハリケーンの被害にも合う事もあり、NYを中心に米本土各地に移住して働くプエルトリカンも多く、それが後年のサルサの誕生のベースにもなりました。一方でそんな厳しい生活の中で、故郷の美しい自然を歌ったこの歌は、プエルトリコの人々の心に大きく響いた曲でもありました。




◆Rafael Cortijo y su Combo “Oriza”(1958)
LP “Fiesta Boricua”

プエルトリコのアフリカ・ルーツの音楽に「ボンバ」や「プレーナ」と呼ばれるものがあります。強いリズムが特徴の打楽器を中心とした音楽ですが、マンボが成熟してゆく時代に、このボンバやプレーナにベースやピアノ、管楽器を取り入れ新しい音で大きな人気を博したのがラファエル・コルティーホです。ご紹介するこの曲はプレーナをベースにした大きなノリの曲で、このように踊りたくなるようなリズムがコルティーホの特徴の一つと言えます。

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マンボのビックバンド編成に対して、小さな編成のグループが若い世代の心をつかんできていた時代の中、そのバンドの強いリズムと疾走感、またノベルティー感やユーモアの要素もあるエンタテイメント性とかっこよさでプエルトリコだけではなくNYや中南米でも大きな人気を獲得しました。

ボーカルのイスマエル・リベラのボーカルも今までのマンボ時代の瀟洒な歌い方に対して、庶民感たっぷりの歌いぶりと、スピ−ド感抜群の即興で色々な事を歌い込むライブ感が大きな支持を得ました。即興で様々に歌詞を変化させたり、作って行ったりする事の出来る歌手は敬意を以って「ソネーロ」と呼ばれますが、イスマエル・リベラは「ソネロ・マジョール(最高のソネーロ)」の愛称で後の歌い手の多くに影響を与えています。

来日中のエディ・パルミエリに岡本郁生さんが行ったインタビューの中で50年代後半のNYのマンボの殿堂「パレイディアム」の当時の様子を尋ねた事がありました。彼の話によれば、パレイディアムは曜日によってユダヤ系が多かったり、白人やセレブが多かったりと特徴があった中、土曜日はコルティーホのバンドがプエルトリコ系で満員となったフロアの客を楽しませていたとの事です。

このようにバンドの即興性とスピード感、イスマエル・リベラのボーカルのスタイルはその後のプエルトリコのサルサに大きな影響を与え続け、またその後にコルティーホのバンドを母体にして誕生した、プエルトリコを代表するサルサ・バンド、エル・グラン・コンボにもそのノベルティー性やおおらかなノリが受け継がれています。




◆Marvin Santiago “Fuego a la Jicotea” (1979)
LP “Fuego a la Jicotea”

プエルトリコのサルサの魅力は前項のコルティーホのバンドが持っていた2つの側面、つまり疾走感と即興性の部分と、おおらかなカリブ海ならではのノリや歌の部分と言えます。

後者はエル・グラン・コンボや後のサルサ・ロマンチカの一部にまで引き継がれていますが、前者の疾走性はファニアの一部だったり、「ソネーロ」と呼ばれるインプロビゼーションの能力の高いボーカルを擁したグループや歌い手に引継がれていると言えます。

この前者を引き継ぐ一人がマルビン・サンティアゴです。1947年にサンファンの下町で生まれ、若くして地域のサルサ・バンドで歌う中、評判を呼び、ボーカルを探していたコルティーホのオーディションに呼ばれ、一発で受かって早速プエルトリコのみならずNYやシカゴなども含めた公演をこなします。1968年にはコルティーホのバンドメンバーとして初録音。その後1970年にファニア・オールスターズの主要メンバーであるボビー・バレンティンに抜擢され、多くのヒットを飛ばしました。

そんな中、マンボ時代から活躍する編曲家でプロデューサーであるホルヘ・ミジェはマルビンが若いころからその才能に注目していて、ソロ・デビューに際して全面的にバックアップします。こうして1979年にアルバム”Fuego a la Jicotea”はリリースされました。

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アルバム・タイトルのこの曲はプエルトリコ、NYのみならずベネズエラなど中南米で大ヒットとなります。コルティーホの作曲、ミジェの編曲によるこの曲は、息もつかせないスピード感のアレンジのと、それを加速するようなマルビンの歌の疾走感と、ちょっとした隙間に畳み込んでくる即興の言葉、歌詞が大きな魅力です。

マルビンの即興は、たびたびダブル・ミーニング(一つの言葉、センテンスに二重の意味を持たせる事)を伴い、庶民感覚溢れるユーモアやギリギリのエロチックなフレーズを短い音符の隙間に入れ込んでくるのでそれがスピード感を増強させる事となり、他の歌い手を寄せ付けない威力を発揮するのです。

素晴らしいサルサの歌い手の一人であるルベン・ブラデスはマルビンの即興の事を「マルビン(の即興)はフォルクス・ワーゲンのビートル(小型車)でも停められない小さな場所にマック・トラック(のような大型のトラック)を停められちゃうんだよ」と評したほどです。

2曲目でも書いたように、そんな即興のできる歌手を「ソネーロ」と呼びますが、マルビンは「ソネーロ・デ・プエブロ(庶民のソネーロ)」の愛称を得て、ファンから愛されてきました。前述のイスマエル・リベラにしろ、このマルビンにしろ、またチェオ・フェリシアーノにしろ、エクトル・ラボーにしろ、次の世代のフランキー・ルイスにしろ、即興で言葉を紡ぎメロディーを作って、聴衆とつながって行くスタイルを大事にするプエルトリコには、やはり言葉と歌を大事にする特徴があるのかもしれません。




posted by eLPop at 14:23 | Calle eLPop