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ペルー・ボレロの世界

2018.01.03

 昨年10月にペルー最高のボレロ歌手の一人、イバン・クルスが満を持して来日した。
 ボレロといえばラテン音楽が好きな日本人の中でも、若い人は聴くことが少ないレパートリーの一つだろう。90年代にルイス・ミゲルが大胆なアレンジで歌ったことでメキシコでは話題となったが、日本において若者がボレロに惚れ込んで熱く語り合うという光景を見ることはなかなか難しい状況にあるのが現状だ。
 ところが、在日ペルー人の中では変わらずボレロは人気だったりする。日本に住んでいるペルー人の多くはアンデスやアマゾン地域よりも圧倒的に沿岸地域出身者が多い。なので日本では在日ペルー人にとっての「我々のペルー音楽」とはアンデス音楽というよりむしろムシカ・クリオーヤであった。そしてムシカ・クリオーヤのすぐ傍らにあった民衆音楽がカリブ&メキシコ音楽であるボレロやソン、サルサといった音楽だ。これらの音楽はペルーでも特に沿岸地域において非常に人気の高い音楽であるが、ボレロは沿岸部のみならず非常に広い地域で今なお愛されている音楽の一つである。それ故に在日ペルー人のイベントやパーティに行くと、サルサからレゲトン、ロック、バルスまで歌われる中に、必ずボレロが入る。そして多くの場合、そのボレロは会場中で熱唱されるのだ。

 このようにペルー人にとって、意外とボレロは重要な音楽であったのだが、決してそのこと自体の知名度は高くない。ボレロと言えば圧倒的にカリブからメキシコにかけてが黄金地帯であり、ペルー人にとってもそれは変わらない。それでもペルーにもペルーが誇る偉大なボレロ歌手たちがおり、彼らは今なお愛されている。
 ペルーで活躍したもっとも有名なボレロ歌手といえば、「ボレロの王様」の異名を持ち、ペルーのみならずラテンアメリカで広く知られた歌手であるルーチョ・バリオスであろう。1935年カヤオに生まれ、幼少期にリマ中心部のバリオス・アルトスに移りそこで音楽にのめり込んだと言われる。10代で「勝利への階段」コンテストのファイナリストまで残り、フリオ・ハラミージョにその才能を認められエクアドルに招待もされており、現地でバルスなどの録音を残している。60年代にはラテンアメリカでも知名度は上がりすでに数々のヒット曲を生み出すボレロ歌手としてペルーを代表する歌手の一人となっていた。2010年に残念ながら亡くなっている。


 昨年来日したイバン・クルスもルーチョ・バリオスに負けない圧倒的な人気を持ったボレロ歌手であるが、聴取層がもう少し庶民側へとスライドする。彼をたたえた二つ名も、「ボレロ王」だけでなく、「民衆のボレロ歌手」というものがあることからもそれはよく分かる。確かにその少しハスキーな声で歌われる泣き節には、心をかきむしられるものがあり、ペルー・ボレロ界の現役最高の歌手の一人と言われるのも納得である。イバン・クルスのデビューはルーチョ・バリオスらに比べると10年以上も遅い。彼がボレロを歌いはじめた70年代半ばはすでにボレロはラテンアメリカではサルサに取って代わられつつある時代であった。それゆえイバンはボレロを歌うべきかどうか迷いがあったという話もある。しかし、イバンによってペルーのボレロは蘇ったと言われるほど、彼はボレロで成功し往年のボレロ・ファンの思いに応え続けた。彼はリマのカヤオ生まれであるが、祖父はアンデス地域出身でギターやチャランゴ、バイオリンなどを演奏する人であったという。そんな祖父とカヤオの豊かなムシカ・クリオーヤの音楽環境の中でペルーの沿岸部とアンデスの両者の音楽的要素を受け継いだことが彼の音楽的な魅力をより奥深いものへとしたのかもしれない。


 また、バルスとボレロの二方面作戦で成功した歌手に「愛のナイチンゲール」と呼ばれたペドリート・オティニアーノがいる。バルス歌手として成功しつつボレロでも多数のヒットを飛ばした歌手である。彼が晩年歌ったバルスは日本でもムシカ・クリオーヤのオムニバスCDとして入ってきているので聴くことが出来る。

 
 女性ボレロ歌手では、60年代初頭より活躍した「ボレロの恋人」の二つ名で有名なアナメルバが特に有名だ。アンデス東斜面からアマゾンへと続くワヌコの出身である彼女は、エクアドルから出た世界に誇るボレロ歌手であるフリオ・ハラミージョと一時期結婚して子どももいたということでも有名であるが、その歌も非常に素晴らしい。歌手デビューはムシカ・クリオーヤを代表するグループ、ロス・キプスのメンバーとしてであった(ちなみにロス・キプスは素晴らしい女性歌手を多数世に送り出しており、その代表格がエバ・アイジョンである。キプス自体もボレロのみのアルバムなども出している)。アナメルバはその後ソロのボレロ歌手として揺るがぬ地位を築いていったが、その人気はペルーのクンビアを代表するアグア・ベジャがアナメルバ・ミックスのメドレーを歌っていることからも垣間見ることができる。2011年にアメリカで失くなった。


 また少し年代が下がって、「ボレロの貴婦人」もしくは「ボレロの女王」とも呼ばれた80年に初録音を果たしたガビィ・セバージョスも一時代を気づいた歌手だ。彼女も80年代以降非常に人気のある歌手の一人であったが、昨年2016年に長年連れ添った夫が失くなった半年後に亡くなっている。

 
 ペルーのボレロ・トリオの最高峰と言えばロス・モルーノスだろう。実は1958年の結成メンバーの一人がトリオの名付け親でもあった日系人のマヌエル・ヒロ・ミヤシロであった。彼はその後脱退してギターやレキント奏者として数々のボレロ歌手と共演した後、日本へと移住している。で、当のモルーノスであるが、メンバーの変遷を経つつも人気を保ち、81年にはトリオ最高のヒット「モティーボ」を発表している。また有名な逸話としては、1976年のトリオ・ロス・パンチョスのペルー公演時にトップ・ボーカルのオルビド・エルナンデスの急病にピンチヒッターとして代役出演したのがモルーノスのトップ・ボーカルであるマヌエル・オルテスであった、というものだ。

 
 このようにペルーのボレロ界にも綺羅星の如き素晴らしい音楽家たちがいるわけだが、最後にもう一人紹介しておきたい。それは、「ペルーNo.1ギター」の称号を持つムシカ・クリオーヤ最高のギタリストであったオスカル・アビレスの息子も実はボレロ歌手として活躍しているということである。ラモン・アビレスはボレロ歌手として人気を得つつ、ヌエバ・フィエスタ・クリオーヤなどのコンフントによってバルスなどのクリオーヤも歌い続けている。

ムシカ・クリオーヤといえばバルス、ポルカにマリネラが中心とされるが、ボレロはその周辺部にありながら、ペルーの民衆音楽の重要な一翼を担う音楽として今なお愛されている音楽なのである。ぜひ、この機会にマイナーながら豊かな世界を持つペルーのボレロの世界にも耳を傾けてほしいと思う。
posted by eLPop at 14:14 | 水口良樹のペルー四方山がたり