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イルマ・オスノ「タキ −アヤクーチョ−」インタビュー その2

2017.08.20

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2017年6月に発表されたイルマ・オスノのアルバム「タキ −アヤクーチョ−」。彼女の素晴らしい歌声とそこで歌われるアンデス的世界観は、日本で一般的にイメージされるアンデス音楽からは遠くかけ離れた音楽だ。それでいて、まさに「魔術的な」魅力をもってして聴く人を虜にする力を持っている。
そんなイルマさんに時間をとっていただいて行ったインタビュー、第二弾です。
(その1はこちら)


-このアルバムを収録した時、イルマさんは日本に住んでいますよね。このアルバムは非常にアヤクーチョ的ではありますが、日本から受けた影響のようなものは何かありますか?文化的、音楽的、もしくはインスピレーションを得たものとか。例えばE「Khori challwa wawa 回向の水に泳ぐ子」のライナーで書かれているようなものは他にありますか?
もちろんです。幸いにも私は日本に到着した後、秩父という土地にすぐに入り、以後はそこに住んでいます。秩父は私にとって特別な土地です。それは偶然のことでしたが。私が選んだわけでなく、そこに来ることになったのです。そして秩父では本当にたくさんのことと出会いました。
秩父は非常に長い歴史のある地域で、今もその過去の痕跡がしっかりと残っている場所です。そしてその風景の美しいこと。山並みや森、川、木々の形まで、そうしたものが私にインスピレーションを与えてくれます。それはまるで魔術的な力のようです。それが私を揺り動かすのです。私はこうした自然に非常に敏感なので、山や川に入った時に、ある木に藤が巻きついてその木を枯らして、いわば殺してしまったのに変わることなく藤の花が美しく花咲いているのなんかを見ると心が大きく揺れ動くのです。こうした日本の風景に私は大きなインスピレーションを与えられているのです。
E「Khori challwa wawa 回向の水に泳ぐ子」ではコリ・チャルワ・ワワというケチュア語のタイトルが着いていますが、これは私が実際に小鹿野で経験したことです。小鹿野は秩父にある場所です。ここはある種特別な子どもたちのお墓がある場所です(水子供養)。私がそこに行ったこと、そこの風景を目にしたこと、例えばそんないろいろなことが私のアヤクーチョ音楽の中に入り込んでいるのです。日本で出会った光景が要素となってね。それは楽器でも声でもなく、風景自身が入り込んでいるのです。その意味で私の作品には日本から多大な影響を受けていると言えます。
-この曲(E)を私が聴いた時、ライナーを読んでから聴いたというのもあると思うのですが、そこに書いてあったイルマさんが受けた水子供養の衝撃とその風景というものを追体験したような気がしました。
そうですね。この曲はまさに日本の風景にインスピレーションを得たものでした。でもそこに含まれるリズムは紛れもなくアンデスのものです。これはなんというかカルカスで有名なサヤ(カポラル)を彷彿とさせるリズムになっています。私はこうした日本のものを見てもアンデスの音楽をそこに重ねて作曲してしまうんですね。
この曲はまた、別の面から見るとペルーの文筆家、そんなに有名な人ではないんですが、プーノ出身のガマリエル・チュラタという人の非常に難解だけど刺激的なアバンギャルドな「黄金の魚(El pez de oro)」という本から歌詞を採りました。この人は、ペルー人でもほとんどの人が知らない文筆家です。歌詞として彼の詩をケチュア語に訳して使ったのです。彼は同時に先住民文化に対して非常にアバンギャルドな考えを持っていました。すごい面白い本です。
-たぶんその本は私が読んでも難しすぎて理解できないような気がします。私はまだセサル・バジェホも理解できないんです。幾度かトライしましたが、挫折しました(苦笑)。
チュラタはそれよりもさらにさらに複雑です。ペルー人である私達自身も正確には理解できないような作品です。私は「黄金の魚」を少し読みましたが、ほとんど全くと言っていいほどわかりませんでした。でもその詩は大好きでした。「黄金の魚」にはたくさんの詩が収録されています。それらの詩は非常に面白かったです。
-たぶん、理解することよりも感じることが大切な側面というのもあるのでしょうね。
そうなんです。前衛的なものって感じることが大切ですからね。このアルバムについても、理解できなくても全然かまわないんです。感じてほしいんです。それだけです。

-このアルバムは基本的にイルマさん以外は全て日本人の音楽家たちによって演奏されていますが、アルバムを作るにあたってどのように編曲を伝え、その骨子とも言えるリズムであるとか、音楽自体が持つニュアンスを伝えていったのでしょうか?
録音に参加してくれた皆さんには、私が最初にメロディーを送りました。こんなメロディの曲を録音したいと思っていますと言って。私は楽譜で作曲するわけではないので、例えばバイオリンを弾いている人には、私はこのメロディで行きますから、あなたはそれに合わせたパートを作曲して下さいとお願いするわけです。
-そのときに、バイオリン奏者に事前にアヤクーチョ音楽を聴いてもらったりというのはしたのでしょうか?それともまったく事前情報無しに?
はい。アヤクーチョ音楽をまったく聴いてもらうことなく、考えてもらいましたね。チューバもバイオリンもパーカッションも。ただケーナだけは知っていました。彼はフォルクローレ音楽(アンデス音楽)をやっていましたから。でもそれ以外の3人はまったくアンデス音楽を聴いたことはありませんでしたし、もちろん演奏したこともありませんでした。
なので、これは彼ら自身にとってもひとつの作品なのです。「冷たい音楽」ではないのです。楽譜を演奏するということになると、楽譜がこう書いているからその通り演奏するという姿勢になり音楽自体と距離が生まれてしまいます。「私自身はこの音楽とは関係ないものだ」という姿勢で関わる音楽にはしたくなかった。なので「今回はあなたが考えなければいけないです」と言いました。このメロディのために、チューバの演奏を考えて下さい、と。作曲して下さいと。
-コントラプントですね。
そうそう、コントラプント!まさにそれです。
それによって、例えばチューバを吹いている人にとっても、その音楽はもう遠いものではありえない。ぐっと近づくわけですよ。彼も同じ音楽を共有するわけです。私はもちろんいろいろお話して彼のお手伝いをします。彼がその音楽の歌詞を理解できるように。たとえば@ワフラプクイでは牛が丘に行ってしまって男が探しているとか、見つけたら死んでいて上からコンドルが見ているとか。そうすると彼は、じゃあ、コンドルの音をやりますね、といって演奏してくれる。ハエの音とか牛が死んだ音とかね。こうやって半分遊びながらね。彼もそうやって創作したんですよ。この音楽を一緒に作り上げたんです。いわゆるクラシック音楽とは違うんです。クラシック音楽は楽譜があらかじめあって、それを演奏するだけだけど、今回はその人も音楽の中に入る。仲間になる。
-ああ、ワフラプクなんかですと、私はずっとまずオリジナルのワフラプクの音を聴かなきゃいけないと思っていました。
一度も聴いたことがないままでした。バイオリンもパーカッションもオリジナルを一度も聴いていません。わざと聴かせませんでした。それをすると、聴いた人ははもうこれと同じにしなければならないと思ってしまう。そうするともうだめなんです。普通はアンデス音楽を演る人は、アンデス音楽をよく聴いて真似しないといけないと言いますよね。それと同じことをやらないといけない。でも、同じことやったら、それはあなたのものにはならない。あなたのものになるためには自分で考えて作らなきゃいけないんです。そういう考えで、私はこういう私が作った音楽があるから、それに併せてあなたの音楽をぶつけて一緒に作り上げていきましょうと。それがとてもおもしろいと思うんですよね。バイオリンの人もね。チューバの人が一番楽しんでやっていましたけどね。スゴイ遊びながらやっていて。
-ああ、それはその音に現れていましたね。
そうそう。そうなんです。ほんとに楽しかったです。
パーカッションの方とも「ここは私と競争だよ!」と言って、どっちが勝てるかな?私とあなたとどっちが負ける?といいながら、最後はすごい一生懸命やって本当に面白かったです。バイオリンの方も、私はかんたんな曲の見取り図を作って、自分の考えを伝えてお願いしたんですね。例えばこの赤い線は私の声で、この緑の線はバイオリンの線で、ここからここまでだけ決めておきます。ほかのところはおまかせします。だから彼もそれに合わせてメロディを作りながらやっていました。
-それではそれらは一緒に同時録音されたのでしょうか?それとも個別にレコーディングをしたのですか?
あ、今回は個別にやりました。はじめに声をいれて、その後他のものをいれました。私は部屋の外から、ここのところはコンドル死にましたよ!アブが来るよ!って言ってました。
彼らも非常に楽しんでくれて、それでそれぞれの音楽になりました。もはやそれはイルマ・オスノの音楽ではなく、それぞれの奏者自身の音楽にもなっていたんですね。それは大事だと思うんですよ。音楽と人間の関係として。音楽と人間は本当は一緒にあるもので。今はなんだか遠いところから来るもの、みたいになっていて、でも本当は自分たちの音楽は近いものであるはずで。
-例えば歌手だけのものではなく、それぞれの奏者一人ひとりが対等に同じレベルで対峙し合うことが大切ということですね。
そうです、そうです。
私が歌手だから私が一番で他の人はもっと私を支えるためにやりなさいってことじゃないんですよね。みんな一緒なんですよ。
-それは本当に大事なことですね。
それに気づいてくれてありがとうございます(笑)。
-全然アンデスの音楽を聴いたことがない人がした演奏だといういうことが聴いただけでは全くわからないですね。本当にすごいですね。
そんなふうには思えないですよね。
だから、そういうふうにやる方が音楽は楽しくなると思うのですよね。それで音楽がその人自身のものになるので。
クラシックはクラシックでいいですけど、私は一度経験があるのですが、難しかった。以前に一度新垣(隆)さんと一緒にやる機会があったのですが、彼が私が歌う歌を録音して、そのまま楽譜にしていたんですね。でも私は毎回自由に歌ってしまうので、本番直前のリハーサルで歌った後に新垣さんが慌ててやって来て「イルマさん、この間歌ったとおりにがんばって歌って下さい。楽譜がここにありますから」って。でもあの時どんなふうに歌ったかも覚えてなくてですね、本当に困った。もちろんコンサートはやったんですけどね。
だからみんな楽譜見てやるんですよねえ。私でも楽譜見ないからね、怖いなぁ、楽譜なんてないからどうしたらいいんだってね。

(続く) その3
posted by eLPop at 01:46 | 水口良樹のペルー四方山がたり