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イルマ・オスノ「タキ −アヤクーチョ−」インタビュー その1

2017.08.19

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 これまでにも笹久保伸との共作「アヤクーチョの雨」で素晴らしい歌声を聴かせてくれた在日ペルー人歌手、イルマ・オスノが日本初のソロ・アルバムを制作した。その機会に改めて彼女にゆっくりインタビューをする機会を得たので、出来る限り編集しない形で紹介したいと思う。



 ペルーのアンデス南部、アヤクーチョ県の僻地ともいえる集落ウァルカスでケチュア語話者として育ったイルマは、いわゆる都市的なアンデス音楽とはまったく異なる農村部の先住民的アンデス音楽世界を自らの音楽として生きてきた。日本ではほとんど聴く機会さえないこの先住民的アンデス音楽は、ともすれば単なる民族音楽として一部のマニアの消費されて終わるものである。しかしイルマが日本に拠点を移し、日本で作ったこのアルバムは、こうした民族音楽の枠組みを軽々と踏み越え、大きな衝撃とともに日本のリスナーに受け止められたのではないだろうか。
 インタビューをさせていただいてからかなり遅くなってしまったが、彼女が語るアルバムへの思いやアヤクーチョの先住民音楽の音楽的背景や世界観などを紹介できればと思う。
(インタビュー:2017年6月13日)



-それではまずイルマさん自身について教えていただけますか?
1974年、私はアヤクーチョの小さな村で生まれました。当時は暴力の時代のさなかでした。村に医者はおらず、お金というものさえ知らずに育ちました。電気も水道もない、そんな生活でした。実際、非常に動物的な生活であったなあと思います。そんな中で私は非常に自由に育ちました。そう、まるで森にいる動物たちのように。それは私にとって非常に良かったと思います。そこで様々なことを学びました。そこでケチュア語だけを話しながら12歳までを過ごしました。そこではテレビも何もなかったので人々は音楽と踊りを一緒に分かち合いながら日々を送っていました。その村は自然とともに生きている、そんなところだったのです。
12歳の時にリマに出てきました。リマで勉強し、働いて、そう、先生になるために勉強して学位を取ってね、7年間学校で先生として働きました。でもその間も一度としてケチュア語と音楽を忘れることはありませんでした。いつもリマに住んでいるアヤクーチョの友人たちと共に音楽を楽しみました。いつも私は、そう今現在までいつでも私はもっと遠くへと行ってみたいと思って生活してきました。村からアヤクーチョへ、アヤクーチョからリマへ、そしてリマから日本へ。幸運にも(笹久保)伸と出会ったことで日本にまで来ることが出来ました。全ては予期せぬ偶然の連続でした。一度として計画したことはなかったし、こんなふうになりたいと思って人生を思ったようにするために戦ったこともありませんでした。でも常に知りたい、体験したい、行ってみたいと思い続けてはいました。でも決してそれを自分で計画したことはなかったのです。全ては偶然でした。人はよく未来のことを考えなければといいますが、私は本当に偶然によってここにいるのです。

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(アンデス音楽の本の表紙を飾るワフラプク)

-このアルバムの一曲目のワフラ・プクイを聴いた時、「ああ、まだワフラプク一緒に吹こうと言いつつ、まだ吹けていない」と思い出しました。
(※ワフラプク:牛の角をつなぎ合わせて作られたアンデスの角笛。インタビュアーは以前よりイルマとそのような話をしていた。アルバム@はWaqra pukuyワフラ・プクイというワフラプクの曲だった)
ああ、そうですねぇ。じゃあ、いつ一緒に吹きましょうか?(笑)。
私はもう6年もペルーに行っていないので、いいワフラプクを持っていないのです。知り合いに頼んで一つ送ってもらったのですが、そのワフラプクは非常に粗悪なものでした。ほんとにひどいもので。
-いい楽器に出会うのは本当に難しいですよね。
そうなのです。だから送ってもらった楽器を吹くためにものすごい力いっぱい吹いたんだけど全然鳴らなくて諦めました。ひどいものだった。
だからまたペルーに行ったらまた持ってきたいと思っています。今まで何度か一緒にワフラプクの楽団をしようと話していたのですよ。ロス・ワフラス、いいよね。
-いいですよねぇ。このアルバムではワフラプクはそれでは誰が吹いているのですか?イルマさんが吹いているのでしょうか?
私は吹きたかった。でも今回はワフラプクは使っていません。これはチューバです。
-ああ、なるほど。手に入れたという話を聴いていたのでてっきりそうだと早合点していました。それで、クレジットにはワフラプクの名前がなかったんですね。
はい。ワフラプクではありませんでした。アヤクーチョのケーナ奏者のイリチ・モンテシーノスにワフラプクが吹きたくて相談したんですが、彼でも吹けませんでした。楽器が本当にダメなものだったのでどうしようもなかったのです。なので他の楽器を探そうと思って出会ったのがチューバでした。高岡さんは本当に素晴らしい方でした。
-このアルバムでは例えばワンカベリカのハサミ踊りの曲など数曲でチューバが使われていますが、私はずっとどうしてチューバを使おうと思ったんだろうと思ってたんですが、それでは初めのきっかけはワフラプクの代わりとしてだったんですね。
はい。初めはワフラプクの代わりに使おうと思ったのです。
-それでその後でチューバを他の曲でも使おうということに。
はい。そうです。
-このチューバが入ったお祭りの曲なんか非常に素晴らしくって、これ本当に良いアレンジだけど
このCDはアヤクーチョの伝統的な音楽を扱っていますが、いわゆる一般的なアヤクーチョ音楽は含んでいません。例えば一般的にアヤクーチョ音楽といってイメージされるのはギターであったりケーナであったりするもの、そういった都会のものなんですが。マリネラとかね(※ペルー各地で踊られる舞曲)。でもアヤクーチョにはまだまだたくさんの音楽が田舎の方に残っているのです。それぞれの村々が固有の違った音楽を持っているのです。なのでこのCDでは、私の故郷やその周辺部の音楽を扱っているのです。私はアヤクーチョの人間として、ケチュア語でアヤクーチョの歌を歌っていますが、一緒に演奏している楽器の中にはその土地で使われていないものが使われています。チューバはその一つです。けっして一緒に演奏されることがない楽器でした。
-それだからこそ本当に面白いって思ったんですよ。
はい。でも同じように、バイオリンであったりケーナ、打楽器であるようなアヤクーチョの非常に代表的な楽器も使われています(二曲目に入っている打楽器のルンバのようなリズムは非常に面白かったですね)。あと、ハサミ踊りのハサミとか小型ギターのチンリリもね。チンリリはアヤクーチョのサルワでしか使われない楽器です。サルワはアヤクーチョのビクトル・ファハルド郡にある村の名前です。
もう少し説明すると、チンリリはビクトル・ファハルドで使われます。そこでだけ使われます。その地域ではそのチンリリであったり、ハサミであったりティンヤであったりが主なもので、ギターなどは使われないのです。なのでこのCDは、アヤクーチョの農村部の伝統音楽を中心にもう少しだけ広い範囲を扱おうと思って作りました。地方の本当に狭い範囲の音楽ということではなくて、もう少し広い豊かな世界を扱おうとしています。
-そうですね。なのである意味そのままというよりもすこし現代的というか、もう少し普遍的(ユニバーサル)というか。
そうですね。日本人も聴いて興味が持てるようなものに。それにせっかくなので音楽で少し遊びをしたかったのです。閉ざしたくなかったのです、サルワの音楽はこういうものです、というようなものではなく。
-これこそが真正なこの土地の音楽です、当地の音楽そのままで変えてしまってはいけないのですというようなものではなくて、ということですよね。
それに私にはそれはそもそもできない。なぜなら私はサルワの人間ではないし、住んでいたころからだいぶ時間も経ってしまっていますから。なのでそういう興味深いものをこういった方法、アバンギャルドな思考でもって新たにまた違った音楽を生み出したい、というものなのです。
それにまた日本人にとってイメージされるアンデス音楽といえばサンポーニャやケーナ、ボンボ、それに「コンドルは飛んでいく」になってしまっていますよね。それが日本人にとってのアンデス音楽になってしまっている気がするんですよね。でも、アンデス音楽とはもっと大きくて豊かなものです。それだけでは決してない。サンポーニャも「コンドルは飛んでいく」も「太陽の乙女たち」もあるけど、それとは全く違うアンデス音楽の世界がまだまだあるんです。それを日本人の人たちにも知ってほしかったというのもあります。

-それではあなたは農村部の音楽を紹介したかったということなんですね。
はい。
-なのでギターも使わないで、弦楽器はチンリリだけに絞った。
そうです。それにここで扱っている音楽は、人間の日々の生活とともにある音楽です。人生の日常とともにあるもの、それは私の、ということだけではなくて、アヤクーチョの人のでもなく、みんなの日常の中にあるものを歌っている。日本人もアルゼンチン人もドイツ人も含めたみんなの、ね。なのでこの音楽はCDのためであったりステージのためにあるようなものではない。この音楽は、毎日を生きている、その営みの中から出てきたものなのです。人間により近く、寄り添った音楽なのです。この音楽はそんなに遠くにあるものではない。たとえば私がこのまえ聴きにに行ったようなスティングの音楽とは違う。スティングの音楽はとっっても有名だけどおんなじようにとっても遠い。でもこの音楽はそういうものではない。この音楽はあなたのものでもあり、私のものでもあり、あなた方のものでもある。みんなのすぐとなりにある音楽なのです。

-イルマさんがこのCDを作ることにした時、まず誰のために、ということを考えましたか?故郷の人々のため?日本人?もしくは家族?
本当に音楽に関心を持っている人たち、そのような人たちに届けたいと思っています。音楽そのものに興味を持っている人、すなわちこの音楽は喫茶店などでかけられるようなものではありませんから、音楽というものと誠実に向かい合っているそんな人のためにと考えています。日本人だけでなく、音楽に興味がある人、芸術を愛する全ての人に届けたいと考えています。

-このCDのタイトルは「タキ:アヤクーチョ」ですね。でも11曲中2曲がアヤクーチョの外の地域、ワンカベリカの曲を扱っていますね。これはなぜワンカベリカだったのでしょうか?例えばアヤクーチョ中部は文化的にもアプリマックやアレキーパなどに近いイメージがあったのですが、ワンカベリカだったので少々驚きました。
地図を見ればアヤクーチョの周りにはアプリマック、アレキーパとならんでワンカベリカも隣接している地域になります。クスコもですね。そしてなぜだかはわかりませんが、私はワンカベリカの曲が好きなんですね。それに対してアプリマックやアレキーパはそこまでではなかったのです。私もなぜこれほどワンカベリカ音楽に惹かれるのか、自分でも不思議に思っています。そう思いながら地図を見ていたら、思っていた以上にワンカベリカはアヤクーチョに近いのだ、それもアプリマックやアレキパよりも近いのだ、という一つの結論に到達しました。それは彼らの話すケチュア語が私達の話しているものに非常に近い、ということも重要な点だと言えます。古くはチャンカ文化をになっていたワンカベリカの人々が、アヤクーチョまで来ているんですね。なのでタイトルにアヤクーチョと入れるかどうかは随分悩みました。アヤクーチョというと「うさぎ」の形のこの境界で区切られてしまいますからね(※アヤクーチョ県の形はうさぎのかたちになんとなく似ている)。現在の行政区分にわけられる以前、チャンカというより大きな地域があったわけです。そう考えると、私は自分の民族の出自的なもの、そしてその歴史的なものを探しているのかな、とも。アヤクーチョからだとアンダワイラス(アプリマック)も(地理的に)近いはずなんですが、私の住んでいるところからは、ワンカベリカのワチャコルパがいろいろ私たちと共通のものがあって、経済的なつながりであったり人の行き来があったりとより近いのだと思います。
そんなこともあってか、私はアプリマックやアレキーパと比べても、断然ワンカベリカの音楽が大好きなのです。あと、クスコも大好きですね。クスコもアヤクーチョに近いですよね。クスコとアヤクーチョも同じように古くから共通するものが多くあるように思われます。DNAが近いというようなイメージでしょうか。
-でもクスコは収録には採用せず、ワンカベリカだけ選ばれたわけですね(笑)。
はい。小型ギターであるチンリリで演奏するチュスチの音楽は、初めクスコの方からやって来たと言われています。(クスコでは)バンドゥリアという楽器でした。当時のクスコの人たちであったインカたちはその楽器を捨てました。反乱でアヤクーチョに来ていた時のことです。彼らはバンドゥリアを捨てて彼ら自身の楽器を準備しました。こうしてこの土地にもたらされた楽器が現在のチンリリなのです。なのでクスコ起源の楽器なのですね。だからチンリリではクスコの曲を演奏することが出来ます。非常に興味深いことです。でもチンリリでマリネラ・アヤクチャーナを演奏ることは出来ません。これらは本当に興味深いことです。

(続く) その2へ
posted by eLPop at 21:28 | 水口良樹のペルー四方山がたり