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東京公演直前予習 マヌエル・ドナイレのプロフィールとコメント

2017.01.03

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 この年末年始にかけて、ムシカ・クリオーヤの大スターの一人であるマヌエル・ドナイレが来日している。来日が決まってすぐのツアー開始で、告知やツアー会場の決定も非常にばたばたと決まっていった感じであった。すでに12月30日の鈴鹿から日本ツアーは始まっており、中にはもう見に行かれた方もいることだろう。東京、下北沢で予定されている1月6日の日本人向けのコンサートを前に彼からコメントを頂いたので、彼のバイオグラフィーとともに紹介したいと思う。
(上記写真はビクトル・グスクマさん撮影:2017.01.01 Lima de Antaño)


 「ペルーの黒いダイヤモンド」という異名を持つ彼は、ムシカ・クリオーヤを中心にアフロペルーも歌うアフロ系歌手だ。
 マヌエル・ドナイレは、1948年にカニェテで生まれた。先に首都リマに出てきていたオバのメルセデス・トラスラビーニャが歌手としてニコメデス・サンタ・クルスのクマナナに参加しており、その縁もあって9歳の頃にリマへと上京した。歌のうまかったマヌエル少年は上京直後にメルセデスに連れられてラジオ局で乞われるままにバルスからバラードまで様々な曲を歌ったと言われている。

 上京した彼はリマのバリオ、バリオス・アルトス地区に住んだ。バリオス・アルトスは、ムシカ・クリオーヤのもっとも盛んなバリオの一つであり、数多くの素晴らしい音楽家が生まれている地区である。そんな素晴らしい音楽環境の中で、彼はその感性を育んでいった。
 そんな彼が大きな影響を受けたのは、当時大人気であった歌手、ルチャ・レジェスであった。非常に貧しい境遇から歌によって当時随一の人気歌手へと上り詰めたルチャと親しくなったマヌエルは、これまでのインタビューなどでも彼女から多くのことを学んだと語っている。

 そうして76年にマヌエルはついにレコードデビューを果たす。彼のハスキーでソウルフルな歌声は、一気にリマの人々の心を虜にした。それはこれまでのムシカ・クリオーヤにはなかった新たな歌声であった。彼は連日ラジオやテレビで引っ張りだことなり、ペーニャでもすごい人気となった。
 「ヨ・ペルディ・エル・コラソン」「ヌエストロ・セクレト」「ムニェカ・ロタ」といったバルスや、カイトロ・ソトがカホンで参加したランドー「ヨ・ノ・ソイ・ハキ」などが代表曲だ。

 80年代後半以降、ペルーはセンデロ・ルミノソのテロ活動とアラン・ガルシアの経済政策の失敗によるハイパーインフレによって一気に荒廃した。多くのペルー人が国外脱出を試みる中、マヌエル・ドナイレも1992年にアメリカに本拠を移すこととなる。以来彼は長らくペルーへと帰国することなくアメリカを中心に活動していくこととなった。

 彼の歌のインパクトは、ともかくその歌声にある。非常にハスキーで中性的な響きを持っていると言ってもいいだろうか。非常に力強く歌い上げるが、叫んでいるわけではない。とにかく一度聞いたら忘れない、そんな歌声である。

 そんな彼を日本へと呼ぶことは在日ペルー人にとって一つの夢であった。そして、在日ペルー人コミュニティだけでなく、ぜひ日本人にもこの素晴らしい歌声を共有してほしい、と栃木県の真岡でペルー料理レストランを営んでいるクリオーヤ歌手でもあるカルロス・シンノの情熱で、この度の下北沢公演は実現することとなった。元旦に彼の真岡のレストランでライブを行った後のオフのタイミングに彼にお願いしてインタビューをさせていただいた。以下、マヌエル・ドナイレへのインタビューのコメントを紹介したい。

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−−今回、どのような経緯で日本へのツアーが決まったのでしょうか?
マヌエル・ドナイレ この日本ツアーは、私の声を世界の人々に届けたいという気持ちから、ですね。

−−あなたはカニェテで生まれ幼年期を過ごされました。その当時のカニェテではどのような音楽を聴いて育ったのでしょうか?ムシカ・クリオーヤでしょうか?当時はまだアフロペルーの文化運動以前になりますが、アフロペルー音楽も聴かれていましたか?
マヌエル・ドナイレ カニェテではムシカ・クリオーヤを聴いていましたね。それにアフロペルー音楽も聴いていましたよ。他にもカリブ音楽、キューバやプエルトリコのものも聴きました。それから当時はグァラチャやクンビアといったアフロ系の音楽の時代でもありました。

−−あなたの非常に特徴的な歌声は、他のクリオーヤ歌手とは随分と異なる魅力をもった声だと思いますが、この歌声はどのようにして獲得したのでしょうか?ペルー内外を問わず音楽的に誰かの影響を強く受けたということはありますか?
マヌエル・ドナイレ 私の母はオバと同じように歌っていました。私はありがたいことにその音域の歌声を天賦の才として受け継ぐことが出来ました。

−−日本人のファンの方にコメントをお願いします。
マヌエル・ドナイレ 6日の金曜日に東京で私のアフロペルー音楽のステージをみなさんと共に過ごせる機会を持てたことに感謝します。みなさんとお会い出来るのを楽しみにしております。

興味がありましたらぜひ私の公式ページ(Facebook)ツイッターもよかったら見てみて下さい。


というわけで1月6日はぜひ皆さんのご来場をお待ちしております。
ライブの方法はこちらに!
posted by eLPop at 22:53 | 水口良樹のペルー四方山がたり