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「勝手にグアコ祭りfeaturing セシリア・トッド」ご報告!(後半)

2016.09.21

去る8/9(火)、《ベネズエラのスーパーバンド》グアコ、そして、ベネズエラの偉大なるシンガー/クアトロ奏者のセシリア・トッド来日を記念して開催した「勝手にグアコ祭りfeaturing セシリア・トッド」!@Li-Po

後半の採録です。
グアコについてガッツリ語り合っております!

※なお、「勝手にグアコ祭り Vol.2〜グアコで踊れ!」は、9月24日(土)です!
日時:2016年9月24日(土)開場 18:00 開演 18:30 ※トーク・イベントは21:30まで。その後はDJ+ダンスタイムの予定!(〜0:00)
会場:カフェ・ラバンデリア(新宿区新宿2丁目12−9 広洋舎ビル 1F)
出演:石橋 純/聞き手:高橋 めぐみ
チャージ:投げ銭+ドリンクのご注文

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
佐藤(以下S) は〜い、お待たせしました! 水分補給というか、アルコール補給はお済みでしょうか〜? そろそろ第2部に、グアコの核心に突入していきたいと思います! 

さっきの前半の最後に、グアコ・サウンドの原点はここにあるという、ガイタの説明を頂きましたけど、その前に、地域性というところをちょっと説明して頂きたいと思います。ベネズエラの国土の中で、マラカイボ、あの石油がとれる、生産地として一時非常に栄えて、今は埋蔵量ちょっと減ったんですけど……

石橋(以下I) そう。今のベネズエラの石油の採掘の中心は東部に移っちゃって、マラカイボ近辺っていうのは、もう中心じゃなくなっちゃったんです。

 一時栄えたころに、やはり、このガイタというリズムが全土的に知名度が上がったっていうことなんですかね?

 ベネズエラが産油国に転換したっていうのは、1910年代の末なんですけど、実はそれ以前に、ベネズエラが19世紀末に世界経済/グローバル経済に進出したのも、マラカイボ湖からだったんですね。産油国化する前のベネズエラって、何の国だったかっていうと、コーヒーの輸出国だったんですよ。世界恐慌の直前、ブラジル、コロンビアと常にトップ3の座を争う、世界有数のコーヒーの輸出国だったんです。で、産油国に転換してから、コーヒーはやめちゃって、今は100位にも入っていないんですけど、コーヒーはどこで出来るかっていうと、アンデス地方なんです。
Venezuela_map.jpg

(地図を見ながら)
ベネズエラの位置はここです。で、アンデスはここです。アンデスを登っていくとマラカイボ湖、汽水湖ですね、海水と淡水が混じり合ってる。で、アンデスから採れたコーヒーを積み出して、湖南地方――さっきの黒い聖人のお祭りがあるのが湖南地方――ここから積み出していたんです。で、その積み出しのビジネスが行われていたのがマラカイボだったんですね。

 っていうことは、石油を産する前に、コーヒーの積出港として栄え、文化が、というか都市が……

 そうです。で、更にいうと、コーヒーの前にベネズエラは何で世界経済に組み込まれていたかというと、その100年前はカカオだったんですね。今もベネズエラのカカオは、世界最高品質っていわれて、最近グルメ・ブームでベネズエラのカカオを使ったチョコレートが注目されていますけれども、カカオ・ブームの中心地が、このマラカイボ湖南地方だったんです。カカオの拠点はいくつかあって、このマラカイボ湖南と、中央海岸地方と、それから東部にもあるんですけど、全部熱帯低地。カカオは低地なんですよね、コーヒーは高地ですけど。なので、カカオ・ブームでマラカイボはまず栄え、そのあと、コーヒーは低地で出来ないんでアンデス地方の特産物、で、筆頭輸出品目として栄えてたんで、マラカイボっていうのは、実は常にベネズエラの農業経済を引っ張っていたんです。
で、なおかつ、孤立した地方ということが出来て、マラカイボ湖畔を、マラカイボ湖を囲んでいるこの地方をスリア地方といいますけれども……、これですね(地図を指す)。

 さっき、ガイタ・スリアーナって何度も言いましたけれども、スリア地方の、っていうことですよね。

 はい。どう孤立しているかというと、南はアンデスの急峻な山、この途中までやっぱり山が続いて、で、湖なんでアクセスは船しかない。で、北は砂漠。カラカスに行くのに、航空機と自動車が発達するまでは、船に乗っていかなければ行けなかったんですね。なので、ベネズエラの他の地域よりも、むしろ海外とつながっていた。そういう地域だったんです。

スリア地方が、ベネズエラの他の地域と本当に統合されたっていうのは、このマラカイボ湖の対岸につながる橋、ラファエル・ウルタネーダ橋といって、20世紀の代表的な、世界的な建築物といわれているんですけれど、通称マラカイボ湖大橋。これが出来るまでは、本当に孤立した地方だったんですね。
puente-celebra-anos-construido_NACIMA20150824_0034_6.jpg
そんなこともあって、スペイン語がそもそも違いますし、スペイン語の活用、アルゼンチンみたいなVosがあったり……。で、もう色々な文物が違っていて、言ってみれば、イングランドとスコットランド、東京と大阪みたいな、全く言語も違う、文化も違う。で、コロンビアも山と砂漠で隔てられているので、コロンビアとも違うんですね。

 あ〜、そこが山と砂漠で、隔てられてて、交流がない……。

 そう。なので、スリアの人は、スリア独立共和国って、半分冗談で言いますけど。“Republica Independiente de Zulia”って。そういう地域に生まれたのが、グアコなんです。

 そうだったんですね。グアコの方々がね、独特のユーモア感覚とか、独特の言葉とか、そして独特の音楽があるっていったのは、そういう地域性に由来してる訳ですね。

 地域性に由来してますね。地域性にも由来してますし、マラカイボは立派な都会ということですね。ある意味ではカラカスにも負けない。大阪の人が「東京なんぼのもんじゃい」って思ってるのと同じように、立派な都会だということですね。そんな環境の中で、都市の伝統音楽として生まれたのが、グアコの音楽ということです。

 はい、じゃ、そろそろ本題の、次の曲に行きましょうか。

 はい。次なんですけど1曲目はグアコじゃないんです。予習を十分したんですけど、もう一つだけ予習をおつきあい頂かなければいけない。というのは、先ほどセシリア・トッドの歌でガイタ・スリアーナをお聴かせして、初期のグアコっていうのはこんな感じでしたよ、ってお話ししたんですけど、(当日配った)このディスコグラフィーで言うと表の一番左が初期――私のレジュメでいうと黎明期という風に名付けたのがこの、初期なんですね。68年までと、私は言ってます。68年からは第1期。なので最初の3枚のLP――64年〜66年まで、これが初期ですね。
Guaco - Guacos Del Zulia (1964).jpg Guaco - Guacos Del Zulia (1965).jpg Guaco - Guacos Del Zulia (1966).JPG

初期の音は、さっきのセシリア・トッドとバリオ・オブレーロ(との共演)と寸分違わないサウンドと考えて間違いありません。で、そういう伝統的なガイタをやっていた若者たちが、なぜ今日のようになったか?って言う理由なんですけど、まあ、突然変わるわけなくて、何かの刺激があったわけなんですけど、その刺激は、ベネズエラ・ジャズの巨匠アルデマロ・ロメロという人が提唱したオンダ・ヌエバという新しいベネズエラ音楽のスタイルだったんです。
aldemaro_onda_nueva.jpg
これは、本人たちがそういっています。「なんでガイタ革新の道に歩みだしたの?」「アルデマロ・ロメロの影響がまず最初のインパクトだった」という風に本人たちが隠さずに語っています。そんなアルデマロ・ロメロのモダン・ガイタを最初に聴いて下さい。では、アルデマロ・ロメロと彼のオンダ・ヌエバの演奏です。「トンタ・ガファ・イ・ボバ」。これ、ガイタをモダンにしたものです。ボサノヴァ・ガイタと言ってもいい。どうぞ。


♪♪♪ Aldemaro Romero / Tonta, gafa y boba

 というわけで、ボサノヴァ風、ジャズ風、ジャジーなガイタなんですけど、このアルデマロ・ロメロが何者で、なんでこんなことをやったかっていうことを語りだすと、これまた一晩アルデマーロ・ナイトが必要なんで(笑)

 いずれやりましょう!

―― 会場笑 ――

 オンダ・ヌエバって言うのが、要するにブラジルで言うボサノヴァにあたる転換点ということで。まあ、重要な部分ですよね。

 そう。ベネズエラにおけるアルデマロ・ロメロって、ブラジルにおけるトム・ジョビン+セルジオ・メンデス、と思って頂ければ、

 ですね(笑)。音からしてそうですね!

 間違いない(笑)。とりあえず、ショートカットでそう思って、次に進ませて下さい! 時間がない! グアコに辿り着けない(笑)。

―― 会場笑 ――

 それで、こういうものが出てきたんで、血気盛んな、しかも一流国立大学のキャンパスで学んだ、新しいことやってやろう!っていう、そういう意欲に満ちたお兄ちゃんたちが、これに着想を得て、アマチュアだったけど、こういうガイタやろうぜ、と思ったわけです。そんな頃にですね、このディスコグラフィーでいうと、1973年、2段目の上から2つ目の、この東京オリンピックのロゴみたいなジャケットのやつから……これですね……
Guaco - Gaita a todo Color (1973).jpg

 疑惑!

 疑惑ですね! 43年前のベネズエラのデザインをパクったんじゃねーの、っていう(笑)

―― 会場騒然! ――

 また作り直しかい!(笑)

 これは告発しないといけない!(笑) 「全国のグアケーロよ、立ち上がれ!」って(笑) 「東京オリンピックはグアケーロのものだ!」(笑)

―― 会場爆笑 ――

 いやいや、「このロゴを使ってもいいけど、開会式にグアコをもう1回呼べ!」

 いいねいいねいいねいいね〜!

 すいません、ちょっとあらぬ方向に行ってしまいましたけど(笑)このアルデマロ・ロメロのオンダ・ヌエバの影響を受けた頃、1973年、そのアルバムでグアコが継承したガイタ・スリアーナ、こんなサウンドです。どうぞ。


♪♪♪ Guaco / Gaita de mi sueño

 このコーラスのコードの感じとか(笑)。

 はい。使い方とか、ちょっとジャズっぽい雰囲気入れちゃったみたいな(笑)。

 (フライングして早く切っちゃったけど、)今のブレイクの♪チャンチャンチャーン・タカタタカタ・チャンチャンチャーン〜のとことか、まるっきりアルデマーロ節っていう感じなんで(笑)。このコーラスとか、アルデマーロそのものですよ。すごい影響力ですよね(笑)。このあとのブレイクが全くアルデマーロ!

 これ、女声コーラス入ってます?!

 女声コーラス入ってます。

 ガイタ・バンドにありなんですか?

 ガイタは伝統的には男女のコーラスで歌うんです。その後、たぶんサルサの影響で女声コーラスが排除されて、今は男ばっかりになっていますね。

 そうなんですか! ちょっとマッチョなバンドになってますけど。

 だから、バリオ・オブレーロは、50年間ずっとスタイル変えてないって自ら言っているので、男女のコーラスでそのまま歌ってます。で、グアコも黎明期は男女のコーラスで歌ってます。で、その後の変遷を知らないんですけど、この頃、オンダ・ヌエバは、セルジオ・メンデスの影響をすごい受けてて、必ず男女二人ずつのコーラスなんです。あと、話が長いんでカットしますけど、ベネズエラ音楽の近代化の中で、コーラスの運動ってすごく大切で、4人揃ってモダンなハーモニーやったり、ポリフォニーやったりするっていうのがベネズエラのボーカルのアイデンティティなんですよね。そういうこともあると思います。

で、こんなことをやって、今の歌詞を詳しく説明しなかったですけれど、ガイタを俺たちモダン化しようとしているけれど、ガイタが好きだからやってるんだぜ、ということを自ら……(笑)

 釈明してる。

 釈明してるっていうか、宣言している(笑)。ガイタ改革のマニフェストの歌詞でもある。

 あ、すいません!

 やっぱり改革者、パイオニアなので、批判もされるので、グアコはよくマニフェストをしたり、言い訳をしたりします(笑)。

 あ、節目、節目に。

 うん。特に初期においては。最近はもちろん言葉では言わないけれども、そういうヒントを、こう、サウンドで、変わり目に出してきます。それはまた後でお話ししますけど。

それとですね、グアコを100%理解するには、もう一つだけ、グアコが影響を受けた先輩というか――実は後輩なんですけど、皆さんに聴いて頂かなければなりません。それは、先ほどセシリア・トッドのコーナーで紹介したアフロ系の太鼓ですね、それからガイタ・デ・タンボーラ。これから急にグアコにつながったわけじゃないんです。グアコはあの太鼓を直接取材したわけじゃなくて、先にやった人たちがいたんですね。グアコよりも10年後輩で、さっきの地図でいうとマラカイボ湖のちょうど対岸のカビマスという町のガイタ・バンド、グラン・コキバコアっていうバンドなんですね。グラン・コキバコアは、2拍子系のガイタをラテン・ダンス風にモダナイズするということをしました。なんでグラン・コキバコアだったかっていうと、なんでカビマスだったかっていうと、あのサン・ベニートの太鼓、さっきのアフロ系の太鼓、あれは対岸のカビマスまでしかないんです。伝統音楽としてマラカイボには伝わってなかったんです。湖南地方の、カカオの生産のためにたくさん奴隷化されたアフリカ人が導入されたところが本場で、ずーっと北上してカビマスまで伝わったけど、湖があったので、都=マラカイボまでは伝わらなかったんですよ。

 マラカイボは要するに、湖の入口ですよね。

 そうです。なので、そこでせき止められていて。チンバンゲレの太鼓は、対岸にはあった。で、対岸のグループであるグラン・コキバコアは、このガイタ・デ・タンボーラの、チンバンゲレ、サン・ベニートの太鼓のリズムを知っていたので、「これいいじゃん」って言って、サルサ風、まあサルサってまだなかった時代ですが、ラテン・ダンス音楽風にしたんですね。そして名前もガイタ・デ・タンボーラじゃなくて、タンボレーラという名前を付けたんです。このラテン・ダンス音楽風のガイタ・デ・タンボーラ=タンボレーラを聴いて下さい。これが、グアコに、この後サルサとフュージョンする道を開いたわけですね。だって、今のオンダ・ヌエバ風のは、ハチロク(8分の6拍子)だったでしょ? ガイタ・スリアーナです。そもそもマラカイボ出身のグアコの連中は、ガイタ・デ・タンボーラを知らなかった。では、カビマスのグループ、グラン・コキバコアの初期の代表曲「タンボレーラ・ナンバー9」、

 「9」?

 「ナンバー1」もあるんですけど、この曲は、サン・ベニートのリズムからイントロが入るのでいちばん分かりやすいんですね。聴いて下さい。


♪♪♪ Grab Coquivacoa / San Benito (Tamborera No.9)

 まあ、こんな感じですね。グラン・コキバコアのデビューは1968年か、69年かな。で、ちょうど1969年って、ガイタって音楽が、そもそも初めて商業的に流通した年だったんですね。

 要はLPとかが出るってことですか?

 マラカイボでは、1963年にガイタは初録音されていますけれども、商業的に、全くローカルな音楽だったので、マラカイボ、スリアの人しか聴きませんでした。

 カラカスとかには?

 よほどマラカイボによく行く人以外は、ガイタとか全く知らなかった。1968年に、全国的にヒットする最初のガイタが録音されて、流通しました。で、ちょうどそのころ結成されたのがこのグラン・コキバコアで、タンボレーラを最初に録音したのがいつか分からないけど――まぁ70年代前後と思いますけど――グアコはこのリズムを「これだ!」と思った。サルサとフュージョン出来る、という風に思った。しかもガイタだと、伝統音楽だと。まぁ、もちろん聴いたことはあったと思いますけど、自分たちの伝統音楽じゃないからやる気にはならなかったのが、これを聴いて、ようし我々もやろうと思ったんですね。で、そんなグアコが1973年、このディスコグラフィーでいうと2列目の一番上、これで録音したタンボレーラを聴いて下さい。90年に4列目の、カタカナで「グアコ」って書かかれているLPにも再録されている。
Guaco - Bubu (Guaco 73) (1973).jpg guaco_90_日本語.jpg

 これは、あの、別に日本盤じゃないですよね? グアコって書いてありますけど、この書体で。

 ……そう。

 自分たちでやったんですよねぇ?

 自分たちでやったっていうか、この頃、ボンバ・レコードで音源が出たり、月刊「ラティーナ」で記事が出たり、ビクターから出たり――ビクターはまだか、ソニーから出たりとか、そういう風に日本で露出したので、「グアコ」って日本語でどう書くのかってことを彼らが認識したんですよ。

―― 会場笑 ――

 あの頃よくある書体ですよねぇ。私、結構好きで、見出しとかによく使ってた(笑)。

 これ、何とかゴシックっていうんですよね。

 そうそうそう(笑)

 これ、たぶん私が記事書いて、佐藤さんが編集した「ラティーナ」の記事かなんかを、そっからスキャン、じゃなくて――当時まだスキャンもないからさ、写真で撮って、そっから起こしたんですよね(笑)。

 うわぁ、どっかで見たことある書体だぜぃ、と思った。

 ちょうど、私、88、89、90年って、この3年間、グアコとものすごく親しく付き合っていて、「ジュン! 今度こういうデザインにしたんだけど、どう思う?!」って、これを見せてくるから、「絶対やめてくれ!」って言ったんですよ。

―― 会場爆笑 ――

 「これから日本にプロモーションしようとしてるのに、絶対にダメだ、やめてくれ!」って言ったんだけど、「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ!」って。

―― 会場爆笑 ――

 いや、ちょっとそれを止める力、及ばず……。まぁ、今にしてみると、これもキッチュでよかった。

 貴重でしょう!

 まぁ、所詮グアコってキッチュな連中なんで。

―― 会場笑 ――

 結論はそれっすか?!

 まぁ、キッチュさも一要素ですよね。それを考えると、当時私もまだ20代ですから、どうしても、こう……、これからカッコいい音楽として紹介しようとしてるのに、こういうことやめてくれ!みたいな(笑)。まだ度量が狭かったね(笑)。

 そうだね〜。カッコ悪いところもひっくるめて受け入れないとね〜。

 そう。……あ、今日は持ってきてないか、残念だな。実物を持ってくればよかった。今にして思えば、これを、盤で持ってるのは宝ですね。はい! 話が飛びましたけど、1973年ですから、コキバコアがタンボレーラを世に出した直後、グアコがそれを、「よし、俺たちはこういう風にやってやろう」と。このまま今日のグアコに至っています。非常に重要な分岐点です。グアコのタンボーラ、曲名も「ミ・タンボレーラ」


♪♪♪ Guaco / Mi Tamborera

 ……すっかり変わったもんですねぇ〜。何やりました〜? みたいな。

 まぁ、やっぱり、単にアフロ系の伝統音楽と、じゃなくて、その間に一枚オンダ・ヌエバ=ジャズ、ボサノヴァが、噛んでますからね。時代もあるし。もっと言うと、アルデマロ・ロメロって、ベネズエラ流ボサノヴァを発明する前に、50年代には、マチートとかが全盛時代のニューヨークの、サルサ前夜のラテン・ジャズ・シーンで大活躍していた人なんですね。

 どういうところで活躍されてたんですか?

 まぁ、あの、小さいクラブとかそういうところで。なので、必ずアルデマロのオンダ・ヌエバには、マンボが入っている。これ、とても重要なことですけど、グアコに与えた大きな影響として、マンボというか、サルサ以前のラテン音楽の様式美といいますか、それが入っているのは大きいと思いますね。

ちょっと、今思い出したんですけれども、すごくトリビアルな話なんですけれども、今の曲と前の曲の歌手は、アルヘニス・カルージョ。超オタッキーなサルサ・ファンは名前を聞いたことがあると思うんですけれども、オスカル・デレオンが抜けた後のディメンシオン・ラティーナの歌手として迎えられた男が、アルヘニス・カルージョです。その後、アンディー・モンタニェスが来ましたけど。グアコの初代コンガ奏者で歌手。もう、独特の存在感を持ってた人ですね。スター歌手とは言えないけれど、やっぱりなんかその、サルサを横目に見たっていうか、サルサに片足突っ込みながらやってきたっていう。そこから人材も輩出しているっていう……。グアコを出る人は、だいたいサルサの世界に行きますから。ガイタには戻ってこないですよ。

 要するに、ローカルを脱していく……?

 う〜ん……、オスカル・デレオンはベネズエラから出てくるんで、サルサはもはや、ベネズエラも生産流通消費の中心地だったと思いますけれども。マーケットの大きさからいったら、プエルトリコ+ニューヨークよりも、カラカス一つのほうがでかいマーケットだったわけで、サルサの。やっぱ、ここまで行っちゃった人は、伝統音楽の世界には戻れない、っていうことでしょうね。そんな感じでしょうか。

次はですね、こんな風にしてサルサとのフュージョンを第1期において試みたグアコは、第2期、よりサルサへの傾倒を強くするんですね。第2期というのは、1979年〜85年までの6年間。グアコ、第一次黄金期です。第二次黄金期は、90年代。

 その前に、77年、ディスコグラフィーを見て頂くと、初めて、今も使われているグアコのマークが出てきます。この、さすまたのような奴。で、あたし! 年取ってきたら、さすまたの様な血管が浮くようになってきて、「あたし、すごくグアケーラかしら」と思って悦に入ってるんですけど(笑)。まぁ、後で、見たくないと思いますけど、見たい人はご披露します!
Guaco - 77 (1977).jpg

―― 会場笑 ――

 で、なんでこのマークを? ご存知ですか?

 いや、これは77年より以前からあると思います。

 ああ! そうですか。ジャケットにはないですよね?

 いや、創立初期からあると思います、これは。

 農業青年集団になったとか、そういうことは?

 いや、関係ないです。基本グアコはみんな都会っ子なので、ジャケットには72年からになるけど、たぶん創立初期からこのマークは使ってると思うんですよ。ちょっとこれの意味は分かんないけど、意味ないと思ってる。

―― 会場笑 ――

 いや、グアコの人たちって、音楽オタクなんですけど、音楽以外のことはどうでもいいっていうか、そういうところがあって。まぁ、はっきり言って、特にこのディスコグラフィーの1枚目ですけど、大手レコード会社がマーケティングした一番右のコラムは別としてですよ、はっきり言って、グラフィックデザインとして、何なの?! っていう。あの、東京オリンピックのあれは別ですけど、だけどなんか、そういうものに行ってみたり、見ざる言わざる聞かざるになってみたりとか……。サウンド・コンセプトは明確だけれども、サウンド以外に何のコンセプトも感じない。興味ない! だって、アルバムにタイトルがあるのなんて、これだけの長い歴史の中で、タイトルといえるものは、本当に近年の作品以外ないですよ!

 『79』『80』『81』『82』って、もう手抜きとしか思えない!(笑)

―― 会場爆笑 ――

 いやいやいや! 70年代だけじゃない! 90年代も、レコード会社移籍してから『Guaco 90』『Guaco 91』

――爆笑 ――

岡本 これ、(数字は)便宜的につけてるだけでしょ?(註:ほとんどは単に『Guaco』というタイトルしかついていない)

 あ、そうか。だから、90年代(タイトルがあるのは)欧文のGuacoとカタカナのグアコだけですよ、ほんと。だから、アルバムにコンセプトを持ってタイトルをつけ始めたのは93年以降ということ。強いて言うならば84年〜90年のソノグラフィカ時代の『Tercera Etapa』86年作品。これは間違いなくグアコが自ら付けました。他のやつは、はっきり言ってレコード会社のディレクターが、なんかタイトル付けてよ、って言ったから適当に付けたと思ってます、僕は。『Tercera Etapa』だけは、初めて本人たちが自発的に付けた。初期の、黎明期のものは割とまともなタイトルついてるんですけど、『Tercera Etapa』だけは、これ、非常にショックの年だったので、何か新しいことをやらなきゃいけない、これから俺たちは第3期に入るんだと、自ら名乗ったわけですよね。
Guaco - Tercera Etapa (1986).jpg

 その説明をしていただかないと。

 その説明の前に、第2期の音源にいかなければいけません。あ、これ今日用意した唯一の映像ですね。第2期は私の区分でいうと79年〜85年までのたった7年間。

Guaco - Guaco 1979.jpg Guaco 80 Portada.jpg Guaco - Guaco 81 (1981).jpg

Guaco - Guaco 82 (1982).jpg Guaco - Guaco 83 (1983).jpg Guaco - Guaco 84 (1984).jpg

Guaco - Guaco 85 (1985).jpg

なんですけど、この時に大きな変化が起こります。何が変化かというと、もう、リズム・セクション、ホーン・セクションがサルサ化します。コンガは――アルヘニス・カルージョと同時に入ってたんですけど――入れて、ティンバルも入れて、ドラム・セット、っていうと、もうサルサじゃねーじゃんっていう感じですけど、サルサ化すると同時に、モダン・キューバン・ダンス音楽との接近の時期でもある。まぁ、グアコに言わせると、「俺たちの方が先に、キューバでティンバと言われている音楽をはるかに先取りしていた」という風に……。まぁ、そうかもしれない、たしかに。あり得ますね。ロス・バン・バンがドラム・セットを入れるより早く、グアコが入れているはずです。まだ、バン・バンがチャンギートの色々セットにしたティンバルだった時代に、すでにティンバル奏者とドラマーと、別々に入れていますグアコは。+フルート入れて、チャランガ編成にもなりました。その後のバン・バンじゃねーか、みたいな。先取りしてたっていう。まぁ、自慢できる、かもしれないね。

で、様式としても新しい様式を打ち出してきます。どういうものかというと、<前半ガイタ・スリアーナ、後半タンボレーラ、で、モントゥーノ付き>という様式です。プラス、<最初から(テーマから)タンボレーラでいって、モントゥーノが付く>と。こういう形式の2つです。これで、まぁ特にサルサに接近しましたので、テーマもタンボレーラでいって、後半モントゥーノに入って、マンボを挟んでひたすら盛り上がると。こういうスタイルの、なんていうんですかね、サルサ・ガイタ、タンボレーラ・ガイタ、サルサ・タンボレーラ、まぁリトモ・グアコ様式、が出来たぞと。

で、ちょっと前半ガイタ、後半タンボレーラっていうのも聴きたかったんですけど、時間があんまりないので、それはまたの機会にしまして。やっぱり一番重要なのは、来日公演でも、この第2期のヒット曲がグアコの一番のヒット曲なので、絶対に演奏します。特に後半の盛り上がるときに、第2期の名曲をやるので、やっぱりこれをたくさん聴いたほうがいいということで、第2期の圧倒的な名曲を2曲お聞かせしたいと思います。で、最近見つけた1984年、まさにこの時期のプエルテレビ局のライブ映像っていうのがあります。これを見て頂きたいと思います。グアコの曲で、唯一この曲だけ歌詞を用意しました。5頁にありますね。モントゥーノの前のテーマのところだけ。「かき氷屋」って曲です。なんなのこれ?と思うでしょうが。

 グアコには多いんですよね?

 はい。映像を見て頂きたいので、今この映像準備の間に、歌詞の内容はたいして複雑じゃないので、むしろ、なんなのこれ?と、その違和感を胸に抱きつつ……

 このモントゥーノの時の「カキ、カキ、かき氷」って、なんなのコレ?! まぁ聴いて頂くと分かりますよね。

 はい(笑)。実はこの時期、81年〜85年まで、グアコは国内で全国的な超絶ヒットを連続して飛ばしました。第1弾は「宝くじ屋」(Billetero)、第2弾が82年「揚げパン屋」(Pastelero)、第3弾がこれからご覧いただきます「かき氷屋」(Cepillao)。あ「かき氷屋」じゃない! 「かき氷」ちょっと間違えました! 

 でも、その後も続きますよね?

 その後、ちょっと趣向が変わるんですけど、「コーヒーと煙草」。これ、この次に聴きます。で、最後「郷土愛」といくんですが、なんなんだ、これ?!っていう。

 「靴屋」もそうでしょ? サパテーロ。

 「靴屋」はね、第3期なんですよ。これまた曰くつきなんで、第3期に。「サパテーロ」も聴きますので、お楽しみに(笑) 

では、グアコの第一次黄金期である第2期の、このなんじゃこりゃシリーズの中でも、私が一番好きな曲です。このプエルトリコ・ライブ(映像)を見つけたとき、本当にもう「やったっっっっっ!」と(笑)。「これが見たかったんだ!」と(笑)。私、ベネズエラに住んだのが87年なので、この時期のグアコのライブ映像って当時は見たことなかった。もちろん、ライブ・ステージでこの曲は演ったんで、何度も聴いたことはあったんですが。この84年の、しかもプエルトリコの、このセリエ・カリーべって野球のカリビアン・シリーズで、決勝の直前にカリブ中のアーティストが、昔はホスト国に呼ばれて芸能を披露したの。

 すばらしい! 金回りのいい世界だな〜! 時代だったんですねぇ。

 金回りのいい(笑)。今はもう……そこでベネズエラも、やっぱりベネズエラ代表のバンドとして出演して、プエルトリコで演奏したと。音源では5分の曲ですけど、7分44秒たっぷりモントゥーノやってます。

この一連の「宝くじ屋」〜「郷土愛」に至るまでの5年間の作品っていうのは、全部、伝統的なガイタのテーマの作法に基づいています。で、ガイタは社会批評を得意とする都市民衆音楽でして、その社会批評のいろんなテーマがあるんですけど、その一つに「讃」=オメナヘっていうのがあるんです。

 讃えるってことですね。

 で、その、「讃」を捧げる最高の対象が、マラカイボ、スリアの人たちが信仰しているチキンキラノの聖母(Virgen de Chiquinquirá)と、それからさっきのサン・ベニートの黒い聖者。で、もう一つその対極にあるのが、庶民讃。名もなき庶民讃っていうのがあるんですよ。で、どうでもいいような、その、街角で見かける何とか屋さんとか、何の誰平とかを讃える。で、その周辺に、コマーシャル・ソングスっていうのがあるんですよ。つまりマス・メディアが発達する以前に、歌が物を販促する重要なメディアだったんですね。

 はいはいはい。

 何とか屋さんのコーヒーは上手いよとか、何とか屋さんの洗濯は丁寧だよとか、そういう歌が。

 そういう、メロディーに乗せてアピールするってことですね。

 そうなんです。それが、ガイタの非常に重要なテーマだったんですね。

 素敵だなぁ、なんか!

 で、もちろんそれは、カリブ音楽を古いものまで聴いている方はすぐに、「あれ? それって、プレゴンじゃん」っていう風に思ったかもしれませんが、キューバ、プエルトリコでいったら、物売り声からテーマを起こして、その風俗を描写して、歌に詠みこむ。ちょっとコミカルに詠み込む。やっぱりカリブ海共通の流儀なんですね。で、ガイタは、ソンやボンバやプレーナと共通しているところもあるし、むしろもっとカリプソとかサンバと似てるかなという気がしますけど、やっぱ叙事詩なんですね。語る、物語る、記録する、クロニカ。

 ニュースでもあり……、ニュースっていうか、活写していく、世情をね。

 そう、活写していく。「あいつ良くやってるぜ」みたいな。「いつもの、あのおっちゃん、あいつなしには俺の朝食は成り立たないぜ」みたいな。そういうことを、歌に歌って讃える。

 素敵ですよねぇ。「がんばれ」の一言で済ますより、よっぽどいいと思いますねぇ。

 そういう流儀に依っています。なので、とってもサルサ化したり、同時代のキューバ音楽と接近したグアコのこの時代だったんですけれども、色濃く伝統音楽の流儀を引きずっていたともある意味で言えます。お聴きください。El Cepillao、「かき氷」。


♪♪♪ Guaco / Cepillao

―― 会場拍手 ――

 かき氷屋さん。あの♪パフパフ〜は、豆腐屋のラッパと同じなんですね(笑)。

 そうですね。古くはロバにひかせていたので、それでこの歌詞になっているんですね。今も都市の下町にあるかき氷屋さん、パフパフ鳴らしてますけどね。

 日本で豆腐屋さんがまだ、かろうじて残ってるくらいのね。

 グアコ・ワールドを堪能して頂けたと思うんですが、これをですね、いきなり見て、「カッコいい」と思える人は、心の柔軟さ……、年疑いますよ(笑)。

 ちょっと昭和入ってるかもね〜?!(笑)

 これ、普通は、これ、もう、なんなんだ、と!

―― 会場笑 ――

 振り付けもちょっと違いますよねぇ(笑)。いわゆるカッコいいサルサの感覚とは、なんかちょっと一ひねりあるっていうか。

 まぁ、コミックなのか、アニソンなのか良く分からない。まぁ、日本だとこの手のクリエイティビティはアニメの世界に全部集中しているんでしょうねぇ、おそらく。え〜と、まぁ、いろいろ言うことはあるんですけど、音源だとこれ5分にまとめているので、でもこの第2期のグアコは、第2期のグアコのモントゥーノ付きの先っていうのは、必ず二段構えのマンボでまとめているんですよ。これは7分半だから、四段構えのマンボできているっていう(笑)本当に過剰な(笑)

 超サービス!

 超サービス。で、そのマンボの流儀にアルデマロ・ロメロから継承しているベネズエラ流のマンボの、この、なんともいえない、都会的に洗練されているけれども、何も考えずに、もう明るくあっけらかん、みたいなそういう感じがする。

 それが振付に表れてるよねぇ(笑)

―― 会場笑 ――

 でも、愛さずにはいられないですよね。あの、特に右から2番目の、ね(笑)。今回も来日してくれるそうですけど、やっぱりあの人がいるからグアコだっていう、グスタボ! あの人、見たいですよね。

 グスタボ・アグアド。で、グスタボの隣で歌っていたリード・ヴォーカルが、アミルカル・ボスカンって言いまして、グアコ55年の歴史の中で最大のスターですね。まぁ、第一次黄金期、たった7年間でしたけど、この間に、先ほど私が名前を挙げた曲が、1曲を除き全部アミルカル・ボスカンがヴォーカルをやってます。この次の曲もアミルカル・ボスカンのヴォーカルです。とにかく、もうすごい、アイドル並みの売れっ子になりました。

で、この、ライブで四段構えのマンボ、音源でも、常に二段構えのマンボ、ゴージャスなマンボで、モントゥーノで畳みかけてきた「セピ・セピ」みたいな、絶対一度聴いたら忘れられないこのキラー・フレーズを作った、天才的な作曲家であり、アレンジャーであったのがリカルド・エルナンデスという人で、アミルカル・ボスカンの隣にいた、ルックスは全然目立たない人、あの、ラスト、こう、バン・マスなので、締めていく彼ですね。全部、この時期のヒット曲はリカルド・エルナンデスが作って、アレンジしてました。もう、グアコの歴史の中で、音楽監督として最も重要な人だということができると思います。

 なるほど、ヒット・メーカーは彼だったんですね。

 ヒット・メーカー。リカルド・エルナンデス:作詞/作曲/アレンジ〜アミルカル・ボスカン:歌。これが黄金コンビです。この黄金コンビが、このグアコの黄金時代、第2期を築きました。じゃあ、その最大のヒット曲「ウン・シガリート・イ・ウン・カフェ」(コーヒーと煙草)を聴いて頂きたいと思います。今日、ちょっとこれ歌詞を用意してないんですけど、まぁソニーで日本盤も出たし、どうせあんまり内容はなくって、一杯のコーヒーと一服の煙草にまつわる、どーでもいー!日常生活の、はっきり言って、今でいうならグダグダのブログ的な世界。

―― 会場爆笑 ――

 「俺の毎日、コーヒーで始まり、コーヒーで終わるよねぇ」みたいな。お前のそんな話し、聞きたくない、みたいな。そういうブログ的な。でも、これも庶民讃の一変形です。嬉しそうに煙草を飲みながら、そうやってみんな頑張ってるねぇ、みたいな。で、そういうグダグダなブログの歌詞を、どれほどカッコいいサウンドでやってるかっていう、こういうギャップがやっぱり、グアコの魅力(笑)。この時代の、第2期、第3期までの。
ではお聴きください「コーヒーと煙草」。


♪♪♪ Guaco / Un Cigarrito y Un Café

―― 会場拍手 ――

 この黄金コンビのグアコ・ワールド、リカルド・エルナンデスとアミルカル・ボスカンを中心として展開された第2期グアコ・ワールドなわけなんですけれども。

 リカルド・エルナンデスって、どっか行っちゃったんですか?

 リカルド・エルナンデスはですね、この2年後にグアコを退団します。で、今の「ウン・シガリート・イ・ウン・カフェ」を最後に、まずアミルカル・ボスカンが退団します。アミルカル抜きで、リカルド・エルナンデスはもう1年間やりましたけど、その翌年、つまり86年をもって、リカルドも……。

 辞めてしまった。

 はい。

 結構メンバーの入れ替わりが早いバンドですよね?

 う〜ん、そうかな〜? 10年くらいの単位では、安定はしているんですけど、

 歴史が長いからか。

 アミルカル・ボスカンが抜けて、でも、リカルド・エルナンデスが支えていた……。ある種、私の仮説ですけど、ボスカン〜エルナンデスで、どちらが人気をとっていたのか、と。やっぱりフロントの歌手なので、アミルカル・ボスカンは「やっぱり俺がスターだろ」と思って抜けた、と。で、リカルド・エルナンデスは、ボスカンなしでやったら、セールス的には、今の「ウン・シガリート・イ・ウン・カフェ」と同じくらい「センティミエント・ナシオナル」がヒットした。で、「やっぱ俺だったじゃん」と、確信して抜けた、と。これ、一つの仮説(笑)。

あと、もう一つ大事なことはですね、もう創立25周年くらい経っているはずなんですけど……27年目なんですけど、アミルカル・ボスカンが抜けるまで、全員、マラクーチョ=マラカイボ出身者だけだったんですよ。で、拠点はマラカイボだったし、フル・メンバー全員、マラカイボもしくはスリア州出身の人しかいなかった。で、ボスカンが抜けて、後釜で、初めてマラカイボ、スリア以外の、カラカス出身の歌手を迎えたのが、この次の「センティミエント・ナシオナル」だったんです。

 そのカラカス出身の歌手って誰ですか?

 ダニエル・サマローという、なかなかいい歌手なんですけど、今日に続くカラカス出身のグアコのフロントの系譜をひいてると思います。まぁ、みんなカラカスになったわけじゃなく、カラカスからも自由に迎えるようになった。でも25年目にして初めてなんで!

 やっぱりローカルのプライドみたいなものがあったんですかね?

 そう。こともあろうに、ダニエル・サマローは、グアコ内でのあだ名は“エル・カラケーニョ”。

 カラカス人(笑)。“カラカス野郎”みたいな感じですね(笑)。それくらいね、おめぇ〜、東京人じゃねぇか、みたいなそういうやつですね。

 そういうやつです(笑)。では、お聴きください。リカルド・エルナンデス作詞・作曲・編曲、ダニエル・サマロー歌「センティミエント・ナシオナル」(郷土愛)。


♪♪♪ Guaco / Sentimiento Nacional

―― 会場拍手 ――

 まぁ、しかし絶頂期というのは続かないもので(笑)、この曲を最後に、リカルド・エルナンデスも、20年近く続けていたグアコ活動を辞めてしまったんですね。

 お父っつあんは、その後何なさってんですか?

 あ、別のバンドを……。で、この後すぐ聴きますけれども、グアコはこの後、やっぱりボスカンとエルナンデスが抜けたショックはでかくて、全く別の方向に進んでいくわけです。それが第3期。私の説明も短いんですけど、私が現地で共に過ごしたのは第3期だったんですけど。レコード的に回顧するとどうしてもこうなっちゃうかな、と。実際、この時期、ライブでのグアコと音源でのグアコとは、ずいぶん音が違っていました。ライブでのグアコは、ほぼこの第2期と同じような音でしたけど、レコードではずいぶん変わってしまったんですね。

このディスコグラフィーの中で、一番左の列が一番レアなことは間違いなくて、これは市場に出ないから、ほぼ入手するのは不可能です。入手できるかもしれなくて、最もレアなのは、今かけた「センティミエント・ナシオナル」が入っている音源です。で、私も持っていない、これは私は、コンピレーション盤のアナログでしか持っていません。これは、もしネットとかで見たら買いですね、アナログ盤$100くらいでも。
Guaco - Guaco 85 (1985).jpg

 安めのうちに買っといたら……。

 アナログ盤$100くらいでも、買っていいと思います。85年、これこれ(指さす)。で、その前の、「ウン・シガリート・イ・ウン・カフェ」のこれも、今流通してないからレアですけど、これはですね、幸いというか、自分で自分を褒めたいですけど、日本盤をソニーから私が出すことが出来たので、日本ではソニーのCDをどっかで見つけることが出来ます。相当刷ったはずだから。でもこれのアナログ盤はほとんど入手不可能なんですけど、そういう意味では、価値は若干落ちる。

 そのジャケットで出ました? ソニーの日本盤は……。

 違う。あれは私が撮った写真で。そう、なので「センティミエント・ナシオナル」が入った85年盤、別にこの84年盤と(ジャケットが)全然変わり映えしないこれは、超レア盤ですので。私はあんまりコレクター的なガッツがないので、見つけられないんですけど……。

はい、ちょっと話が飛びました。で、ボスカンとエルナンデスが抜けたんで、グアコはもう、座付き作者を失くしたし、アイドル歌手も失くしてしまったので、方向転換を余儀なくされると。で、そこで選んだのが、当時所属していたレーベル、ソノグラフィカ・レーベルで起こっていたアーバン・ポップのムーブメントに合流するという方向だったんですよね。で、サウンド的にはテクノ化していきます。グアコの歴史始まって以来初めて、レーベルの意向で、外部プロデューサーを迎えます。このプロデューサーは、ウィリー・クロエスって、セクシオン・リトミカ・デ・カラカスっていうウィリー・コロンのアルバムに参加したりした、当時のムーブメントを牽引するジャズ・ユニットだったんですけど、まぁしかし、「カリビアン・ダンス・サウンドの最先端を行く」と、当時、自分たちしか思っていなかったかもしれないけど、そういう自負とともにやっていたグアコが、外部プロデューサーを迎えてサウンドの革新をするっていうのはやっぱり、いろいろな……

 軋轢とか……

 軋轢っていうか、忸怩たる思いっていうんですかね、それはあると思います。え〜と、この辺から日本のファンはグアコを聴き始めたので、それ相応の思い入れがあるかもしれないんで、この時期のことを低く評価すると不本意かもしれないんですけど、グアコの長い歴史をたどってみると、やっぱりそうなんじゃないかなと思います。で、しかもですね、なんとこの時期、座付き作者がいなくなっちゃったので、やっぱりヒット・ソングを作ってもらわなきゃいけないので……

 外注してたの?

 外注したの! しかも、こともあろうに外注した相手が、関係も深かったけど、なんていうんでしょうね、ローカルなガイタ・マーケットの中では最大のライバルのグラン・コキバコアの音楽監督ネギート・ボルハスに作品を発注した。で、ネギート・ボルハスっていうのは、すごいヒット・メーカーで、リカルド・エルナンデスに匹敵する才能の持ち主です。で、当時、1980年代の後半っていうのは、グラン・コキバコアがベネズエラ中を踊らせるヒット曲を、もうガンガン出していたころ。

 下手したらグアコよりも売れてた頃?

 ローカル・マーケットでは売れてました。間違いない。年末3か月のガイタ・シーズンにおいては、グラン・コキバコアの方が、はるかにグアコよりも人気でした。そのネギート・ボルハスに作品を発注したわけで。外部プロデューサーを迎え、ネギート・ボルハスに作品を発注……ということで、やはり本人たちにとっては気分いい時代じゃないでしょうね。

 回顧しても、あまり楽しい話は出てこないですか?

 そんな感じじゃないですかね。まぁ、でもそれなりにワールド・ミュージック的な視点から、このバンド、ちょっとおかしいよ、なんか変だよ、面白いよ、と、注目された時期ではあったわけです。

 そうそう、引っかかったのね。そこで日本の色々なリスナーも、グアコって名前も面白いし、ちょっと普通のサルサとは違うよねぇ〜、みたいなものの見方をし始めた時期でもあった。

 そうそう。まぁこの時期の代表曲として、日本盤も出た『マドゥーロ』から「サパテーロ」(靴屋)、なんでこういう曲なのかっていうのは、もう皆さんお分かりになると思いますので、お聴きください。
Guaco - Maduro (1987).jpg


♪♪♪ Guaco / Zapatero

 これは馴染み深いですねぇ〜。

 うん、馴染み深くて、今マンボに入ったばっかりで、切っちゃったんですけど(註:現場では、マンボに入ったとたんフェイドアウト)、リカルド・エルナンデスのマンボほどは面白くないんで、切っちゃっていいかなって(笑)

―― 会場笑 ――

 私、このヴォーカル好きよ。

 ネルソン・アリエタは、ボスカン抜けた後の、第3期、第4期の重要なヴォーカリスト。

 写真見ると、コント赤信号の小宮君みたい、とか言ってたんですけど(笑)。あのメガネ姿が。

 そんで、こういう極端にテクノなサウンドっていうのは――この時期カラカスに住んでいたんで、88、89、90年って3年間死ぬほどグアコのライブ聴きましたけど――ライブではこういう音じゃなかったですね。イントロの時にちょこっとやるだけで。

で、この時期変わってきたのは、さっき、この音源におけるマンボはあんまり聴く価値ないって言いましたけど、この後、現在に続く独自のマンボのアレンジの着想が芽生えてきます。スタッカート効かせて、超難しい不協和音を、ホーン・セクションでやるっていう、そういうスタイルのマンボはたぶんこの後出てきますね。このアルバムではまだです。……ということで、第3期、こういうテクノに走ったり、外部プロデューサーを迎えたり、ライバル・バンドに楽曲発注しちゃったりとか、ある意味、節操ない。グアコには、節操のなさがあるんです!

 なるほど。素敵な節操の無さ!

 もう一つの節操のなさを挙げるとですね、この時期「ラティーナ」でインタビューをして、で、同時代のベネズエラのバンドで、87、88年くらいかな、一番リスペクトしてるのは誰? って聞いたら、アドレナリーナ・カリベって言ったんですよ。お〜、やっぱり! で、特にどこが?って言ったら、「なんといってもドラムのリズム・アレンジがすごい、アドレナリーナ・カリベのパーカッションすごい」と言った直後、アドレナリーナ・カリベからティンバルとボンゴを引き抜いた!

―― 会場笑 ――

 ということは、もう、財力はあるんだ?!

 財力(笑)プラス、ウィリー・クロエスと共演したでしょ? 共演というかプロデューサーとして迎えた。セクシオン・リトミカ・デ・カラカスのドラマーの、エリアサル・ジャネス、その当時、しつこくグアコに入らないかって、勧誘されたって言ってました。ただ、自分のライフ・スタイルとして、年末の3ヶ月ガイタ・バンドで演奏し続けるって考えられないので断った、って。

―― 会場笑 ――

 貴重な証言です(笑)

 だからもう、「良い!」と思ったところから、どんどん引き抜いて……

 あぁ〜、もう節操なく!

 節操がない。そういうところもある。

 で、大企業としてずっと続けていく、みたいなところありますよね。

 え〜、この当時、第3期はまだ大企業っていうか、中小でもないけど、国際進出果たせない……

 名前はあるけど、出たいけど……

 実力はグローバルな力があるのに、なかなかマーケットが開かれない、そういう感じだったですね。で、そういういろいろな悩みとかあって、電撃的にレーベル移籍、契約が残っていたのにソノグラフィカ・レーベルから、ソノロドベン・レーベルに変わって、第1弾が、あのカタカナの『グアコ』。あれは、明らかに音源としては、作りこみ不足。時間も足りなかったんじゃないかな。で、その翌年に作られたのが、JVCから『カリブ魂』というタイトルで出た……
カリブ魂.jpg

 あ〜、あれね。曲目の訳もすごかったですよね。邦題もね。

 ちょっと、あれ、だれがそういう邦訳をしたんだろう?(笑)

 (FM番組)「ワールド・オブ・エレガンス」の細川俊之さんとか、面白かったよねぇ。

 おばさま向けのトーク番組の中で「ベネズエラのグアコ、鳴ってるぜぇ」。
……ちょっと、こんな脱線してる時間はもうないんだ。若い方たちは何を言ってるか、もうわからない。

―― 会場笑 ――

 いや、でも、当時重要だったFM東京のすごい帯番組で、グアコが全トラックかけられたっていうのがね! その日の「ワールド・オブ・エレガンス」、グアコしかかかんなかったもん。いやぁ、あれは本当に感動しましたけれども。

 本当に、あれ、ねぇ、「鳴ってるぜぇ」とかいう訳を、細川さんが美声でトークするわけですよ。

 だから、「これはもう来たな、なんか!」と思って、「この3年後には来日かな?」と思っていたら、その後、25年が過ぎてしまいました(笑)。でも、来日するわけですから!

 フロント・ヴォーカルはもちろん変わってしまいましたけれど。

 はい。それで、まだ第3期までしかお話してないんですけれど、この後、第4期、第5期っていうのがあって……

 続きは次回かな? 踊る前に説明するかな?

―― 会場笑 ――

 でも第4期は第2次黄金期なので、触りくらいはかけなきゃ。なんで第2次黄金期かっていうと、第4期1993年から、2代目座付き作者を、グアコは獲得したのです。その名は、ホルヘ・ルイス・チャシン。この人が10年間にわたって、素晴らしいヒット曲をメンバーとして提供し続けて、グアコの第2次黄金期がやってきます。で、このディスコグラフィーでいうと、裏の一番左。これすべては第4期。駄作は1曲としてありません! で、今も入手できるので、これはもうどれ買ってもいいです! あれ? 今日、物販コーナーに在庫あるのかな? ありますよね?

今日からグアコ入門する人は、その3つのどれを買ってもいいです! 
94年の『コモ・エラ、コモ・エス』っていうのは、第2期の名曲9曲と、第4期の新曲4曲を、新録したものです! だからリカルド・エルナンデス作品が、9曲入ってます。で、なんと、リカルド・エルナンデス作品を、第2代座付き作者のホルヘ・ルイス・チャシンが2曲歌ってます! これは、もう、グアケーロならニヤリとしながら聴かざるを得ない! 素晴らしい作品ですので、入門として一番お勧めするのは、この99年作品ですね。
Guaco - Como Era Y Como Es (1999).jpg

でもオリジナル作品として素晴らしいのは、『エキリブリオ』『ガロパンド』。これはもう、円熟の境地です。因みに『ガロパンド』では、ホルヘ・ルイス・チャシンは、メンバーだったけど、もう作品は提供していないです。なので、チャシンの実力を知りたいなら『エキリブリオ』で、第2期の名曲を新録で聴きたいなら『コモ・エラ、コモ・エス』、この2枚が一番お勧め、入門の方には。
Guaco - Equilibrio (2000).jpg galopando.jpg

ということで、ホルヘ・ルイス・チャシンを1曲だけ聴いてみましょう! 93年なので、この一番左の一番上『トリセラトップス』、彼が座付き作者になって、まぁ、グアコのヤング・リーダーになって、最初の作品ですね。とにかく、ホルヘ・ルイス・チャシンの作品は、バラードとして素晴らしい。サルサ・バラーダが、1993年ですから、これから21世紀に市場を拡大していこうっていうこの時代に、素晴らしいバラード作者がグアコに入った。聴いて下さい「トド・ケド、ケド」。
Guaco - Triceratops (1993).jpg


♪♪♪ Guaco / Todo quedó, quedó

―― 会場拍手 ――

 はい、実は第5期、現代のもう1曲を残していたんですけど、まだ第2回も3回もあるし、とにかく現代はネット上でいくらでも聴くことが出来るので。で、第5期で何がどう変わって、その背景に何があるのかってことは、来月発売の月刊「ラティーナ」に、今日私がしゃべったことや、しゃべってないことを、書いていますので……。第5期、いったい何がどう変わって、どういう傾向になったか、いきなり聴いても、あれ? 何これ? 普通のラテン・ポップスになったじゃーん、って思うかもしれない。そうじゃない、そんなはずない、グアコが。今のグアコを聴いたら、普通のラテン・ポップスじゃん、その背景に何があるの?、ってことは月刊「ラティーナ」に書いてあります。で、そのカギとなるのがこの曲です「エル・ソニード・デ・ベネズエラ」。
「ラティーナ」を読んで、そして第2回、第3回の「勝手にグアコまつり」お待ちください!

 はい、第2回は9月24日土曜日、18時半ぎから。新宿の「カフェ・ラバンデリア」でやります。詳細は、またFacebookなどで。第3弾は、来日直前ということで、10月25日の土曜日に、四谷のジャズ喫茶「いーぐる」、とにかく音がいいので、なんか音のクオリティーを聴いて頂けるんじゃないかなと思いまーす。「来日直前研究集会」皆様ふるってお越しくださいませ!

 まだ我々の関係者、プロデューサーさえ、セットリストを見ていないので、何が起こるか本当にわからない。

 そう! どういうステージになんだろうね?!

 なので、直前集会には、本物のセットリストに基づいて…。

 はい、ということで、本日はどうもありがとうございました〜!

 はい、もう皆さん立派なグアケーロ、グアケーラですね!

(了)
posted by eLPop at 12:56 | Calle eLPop