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「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.3」(後半)

2016.08.24

2016年6月11日(土)新宿のバー「Con Ton Ton」での
「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.3」。
テーマは「60年代の続き」……その後半です! 

→前半はこちら!

※ なお、次回「Vol.4」は、9月17日(土)@「Con Ton Ton」の予定です!

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岡本(以下O) 2部を始めたいと思います。きょうは、「知られざるキューバを聴いて問い詰める」っていう感じですけどね、次、何行きましょうか?

伊藤(以下I) レア盤ですね!

高橋(以下T) 1部の最後にジャズの話が出たんで、次はモデルナに行こうと思うんですが、その前にですね、グアパチャっていうリズムがあって、それの一番有名な人を。バックで演ってるのはチューチョ・バルデス(ピアノ)です。

O 日本盤も出ましたよね?これ。

T うん、日本盤もウチで、アオラ・コーポレーションで出したんですけどね。そこで使ったジャケットとは違うオリジナル盤で。自慢です。


【Guapacha El Mejor / Guapacha con Chucho Valdés】

O 「グアパチャ・エル・メホール」、グアパチャ・コン・チューチョ・バルデス。いいっすね。これ、日本盤を高橋君に送って頂いて愛聴していました。思い出しましたよ、今(笑)。やっぱり、ギターが入っちゃったりしちゃったりしてるとこなんかがね(笑)。

T そうそうそう。

O いいっすよねぇ(笑)

T そうなんですよ、こういうギターってこの時代結構使ってて、その後も、サルサっていうか、コンテンポラリー・ソンみたいな中でも、こういうエレキ・ギターなんかが入ったりするんですけどね。ここでバックをつとめるのはチューチョ(・バルデス)なんですけど、それよりも前に、このグアパチャはお父さんのベボ・バルデスと、4曲ぐらい、録音してるんですよね。1962〜3年……これは64年の録音ですね。ニュー・リズムなんだけど、ジャズ寄りで、スキャットで。スキャット・ヴォーカリストは、グラン・フェジョーベとこの人と、それからもう一人、ダンディ・クラウフォルドって人がいたんですけど、50年代始めぐらいから、スキャットを取り入れたのを演ったりしてた。

O 今、聴いてて、ロス・サフィーロスって4人組、マヌエル・ガルバンっていうブエナビスタにも入ってたギタリスト、あの人が入ってたグループを思い出したんですけども。あれも、こういうテイストの、ジャジーで、なんかブラジリアン・テイストもちょっとあるって感じですけど。いわゆるキューバ音楽と全然違うっていう……。
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T キューバ音楽っていうと、どうしてもソンとかマンボとかチャチャチャ、て感じでずーっと紹介されてきたから……。日本に外国の音楽を紹介するためには、その中でも一番特徴的なのを紹介しなきゃ興味を持ってもらえないっていうんで、当時は、キューバ音楽を積極的に紹介していたのが中村とうようさんなんですが、とうようさんが中心になって、マンボやチャチャチャ、ソンなどを紹介されたんだと思うんです。だから、その後背にあった音楽とか、まあ一過性の流行りだったかも分かんないけど、こうゆう面白いものはなかなか紹介されなかったっていうのが、「こんなのあるんだ!」って思われる原因なんじゃないかな。

O でも、少なくとも米国とかには行ってないわけだし……。ヨーロッパには行ってるんですか、これは? どうなんですかね?

T 米国とは国交がなくなっても、ヨーロッパとはあるから、結構レコードとかは出てたりしたみたいですよ、独自録音もしてたし。50年代〜60年代って、キューバってやっぱり、さっき言ったジャズに対する憧れみたいなのがあったのと、もうひとつは、やっぱりコーラス・グループが多くてドゥーワップみたいなの、いっぱいやってんですよ。

ロス・サフィーロスっていうのは、キューバ版ドゥー・ワップみたいな感じですよね。これってフィーリン系の流れだと思うんですよ。フィーリンもU.S.A.のジャズや映画音楽に影響を受けた音楽だから、その流れとしてこうゆうのも出てきたと。U.S.A.のミュージシャンとは人的な交流はないから、ニューヨークみたいな、パレイディアムでどーのこーのっていう、ああいう話は出てこないけれども、やっぱりレコードやラジオで聴けたし情報も入ってくるから、それを取り入れるっていうか、真似てやってたらこういう風になった、っていう感じだと思うんですね。

O 当時、こういう人たちの活動の場っていうのはあったんですかね? 

T ……分かんないですけど、あったと思いますけどね。レコードで出てるから。ただ、その辺はちょっと、どこでどういう風にっていうのが、いまいち分かんないんですけどね。

でも、イラケレって、ああいうジャズやファンク系の影響が強いグループなんで、キューバ国内で、音楽好き以外にはそんなに一般的な人気はなかったんじゃないか?って思われる人もいると思うけど、すんごい人気あったですからね! 60年代後半……70年代になってから結成されるんだけど、80〜90年代にかけて、もう本当に人気あって、コンサートやればいっぱい人は集めてたからねぇ。まあ、そういう音楽を一般の人が聴いて楽しんでたって感じですよね。

O じゃあ、次は、どれいきますかね? ちょっと、キューバをまとめて聴きたいですよね。でも、今のを聞いてると本当に、何て言うのかな、洗練されているっていう言い方はちょっと違うと思うんだけども、いわゆるワワンコーだ、ルンバだ、っていうものとは全く違うところをすごく感じます。このグアパチャさんは、その後どうなったんですか?

T 早死にしちゃったんですよ。で、このアルバム出してすぐ死んじゃったんですよね。デビューしたときから人気があったんだけど、早死にしちゃって。もし彼が生きてたらイラケレでヴォーカルやってたかも分かんない。その可能性も結構あったから、それを思うと、イラケレもまた違うものを演ってた可能性あったなあと思うんですよね。

O これは、レーベルはやっぱりアレイトなんですね。

T そう、アレイト。アレイトっていうか、EGREMか。

O この頃はもう国営レーベルになってた?

T うん、なってる、なってる。なってからの録音だね。

O こういうの、いわゆるプロデューサーって、EGREMだAREITOだっていうと、一人とか二人とかがまとめてた訳なんですか?

T うん、そう2〜3人、ラファエル・ソマビージャとか、アドルフォ・グスマンとか、エディ・ガイタンとか、何人かいるんですけど、でもこれは多分その辺があんまり関わってなかったんじゃないかなあっていう。オーケストラやなんかになると、やっぱりスコア書かないといけないから、多分そういう人たちが関わらないと……

O 譜面を書けない。

T そうそうそう、オーケストラのね。ビッグ・バンドの譜面書けるっていうのが前提になるから。

O でも、そういうオーケストラとか、いわゆるその、メインストリームじゃないところで、こういう人たちを出す余裕もあったわけですか? レーベル的にも。

T うん、ありますよね。だからキューバは、前回も言ったんだけど、とにかくレコードは革命前から一杯出てて、インディ・レーベルがすごく一杯あったから、そういう流れも受けて。ジュークボックスがたくさんあって、バーなんかでも聴くっていうんで、政府も多分、キューバ革命後も音楽はちゃんと供給しないとダメだ、そうしないとこの人たちはうまくやっていけない、っていう見解が多分あったと思うんだよね(笑)。

O じゃあ、それはやっぱり社会を動かすために、少なくとも音楽はどんどん供給しなくちゃいけないっていう? ほ〜。じゃあ、次はこれ、ムシカ・モデルナ系ですか?

T それのひとつ前に言った、フランク・エミリオって人が、そういうジャズっぽい小編成のキンテート(クインテット)とかやってたんですけど、それが名前を変えて、革命が起きてから始動した。タタ・グィネスとか、有名な人たちが入ってる。

O これは何年ですか? 革命後ってことですかね? 64年くらい。

T その前からやってたんだけど、ここで新たに、って感じで。で、これが、キューバの曲なんだけど、リズム名は「ジャズ」って明記してあるんですね。

O じゃあ、ちょっとそれ聴いてみましょう。「ジャズ」というリズム名をそこにつけて、どういう演奏をするのか? 


【Quiéreme Mucho / Quinteto Musical de la Música Moderna】

O キンテート・インストゥルメンタル・デ・ムシカ・モデルナの「キエレメ・ムーチョ」だったんですけど、「ジャズ」って……やっぱり一応4ビートでやってるってことなんですかね?!

T そうそうそうそう!そうなんですよ! まあ、これがジャズか?っていわれたらそうなんだけど(笑) やっぱりジャズへの憧れがすごくあってやっている、っていうのが分かる演奏ですよね。彼らは、独自の路線でこういう風に行くんですけど、もっとキューバっぽい、キューバのリズムでやった方が全然格好いいんですけどね。

O アルバムでは、他にはキューバっぽいのやってるの?

T キューバっぽいものを、このアルバムの中ではかなりやってる。有名な、デスカルガで必ず取り上げられる「ガンディンガ・モンドンゴ・イ・サンドゥンガ」とかね、デスカルガのすごく手本になるような演奏なんですけどね、そういうのもやってたりして、その中でこういうの(ジャズ)もやってる。

O これが、ムシカ・モデルナっていう……

T ムシカ・モデルナ。フランク・エミリオのですね。

O ちょっとその、他の曲も聴いてもいいですか?

T ええ、じゃあ、これがさっき言ってたやつですね。

(伊藤、静かになっている……)

O ……伊藤嘉章様? あ、大丈夫ですか? 気持ちよくご就寝中のところを失礼致しました…(笑)

I もう、即身仏ですよ。

【会場笑】


【Gandinga, Mondongo y Sandunga / Quinteto Musical de la Música Moderna】

O はい、えーと、同じアルバムからですね。「ガンディンガ・モンドンゴ・イ・サンドゥンガ」。格好いいじゃないですか! これ、ねぇ!

T 格好いいでしょ? パーカッションは、タタ・グィネスとか、グスターボ・タマヨとか、もう名手たちですよね。そんですごいタイトでね、もうリズムで聴かせるっていう感じですよね。

O でも、これも、だってほら、ジャズっていえばジャズですよね。

T ジャズですよね、

O あの〜、実は今日、ジャズの大師匠(四谷「いーぐる」の後藤雅洋さん)が来てるんですけど……、あの〜どうですかね?! こういうのは?

大師匠(後藤) これはもう完全にジャズでしょう!

O ですよね?! だから、こういうのが、本当は当時もっと海外に、というか全世界に出てくると、色々その後のジャズ界も変わったかもしれない(笑)!

T 確かにね(笑)。そうですよね、そうそう(笑)。うん、この曲とかは、キューバのジャズ演る人は必ずやりますよ。とりあえず演る曲、って感じで。もう、リズムの「間」の取り方がねえ、完全にキューバって感じですよね。

O あの〜、本当に、「ニューヨーク、プエルトリコ、キューバの三角関係」と言いながら、この辺になると、なかなか絡んでるところがないよねぇ。三角関係というわけにはなかなかいかないんですが、でもやっぱり元を辿れば、すごくジャズから影響を受けてるっていうところですよね。で、しかも今、プエルトリコの方が沈没なさってるんで、あれなんですけど……(笑)

【会場爆笑】

O 大丈夫です! 今日はキューバ中心ということでいきますので(笑) いやでも、こういう貴重な曲、なかなか聴けないですよ。これは今、手に入ったり、聴ける場所はあるんですか?

T え〜と、CDでね、スペインのレーベルから再発されてたんだけど、今はもうなかなか手に入りにくいですよね。CD自体が、あんまり売れないから再プレスしない。

O ちょっと前にオバマがキューバに行って国交回復して、SONYがすぐ契約開始しましたよねぇ? あれはどっから出るんですかね? ……というのも、僕の知り合いのSONYの担当が、ちょっと前かな? 先週くらい、SONYの世界の年次総会みたいなの、ニューヨークでやってるのに行ってて。そこで今年の、というか翌年のプッシュものを、全世界からSONYの担当者が集まって会議をやるんだけど、その第1部は「キューバ」だったらしいですよ。細かい内容はちょっと聞いてないんだけれども、SONYがどこと契約して、どんなもんが出てくるかっていうのはすごく興味があるんですけど、その辺の情報はもうつかんでます? まだ?

T  SONY が最初に契約したのはEGREMですね。EGREMっていうのは革命後に、それ以前のレコード会社を接収した……まあ社会主義になったんで全部国営化して集約化したところで、それ以降、2000年くらいまではEGREMしかなかったんですよ。だからそれまでの録音っていうのは、ほとんどEGREMが持っていて、それ以降は、少しずつ市場開放をしたから、BIS MUSIC、ARTEXとか、COLIBRIとか、まあ色々いくつかのレコード会社が出来たんですけどね。だからEGREMが持ってる音源は、新しいのだけじゃなくて、古いのを掘り起こせばいくらでもあるって感じだけど、まあ、SONYさんではなかなか無理かな……。とりあえず配信からやるんじゃないかな、っていうのと、あと、聞いたところでは、完全に世界独占じゃなくて、地域独占なんで、他のレコード会社が、ヨーロッパとか日本とかがやりたいっていえば、それは出来るんだと思うんだよね。まあその辺の契約っていうは、なかなか一般の人には分かんないところだと思うんだけど、まあそういう感じなんじゃないかな。

O なるほど、じゃあ、次は何いきます? 

T じゃあ、次は、コレ……。イラケレの前身だったグループ、オルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナで、また“ムシカ・モデルナ”なんですけど、ジャズにインスパイアというか、ジャズに憧れた人たちが作った大所帯なバンドですね。曲は有名な「マニセーロ」、「南京豆売り」なんですけど、ビッグ・バンド・ジャズっぽく……。


【El Manisero / Orquesta Cubana de Música Moderna】

O はい、「エル・マニセーロ」、これライブですか?

T ライブですね。旗揚げ公演のライブです。だから1967年。チューチョ・バルデスとかが、別に色々なグループを、キンテート・スタイルでやってたらしくって、それと、このグループ結成直前に、オルケスタ・フベニール・デ・ムシカ・モデルナっていう若者のオーケストラが結成されて……。それらが合体して、オルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナになった。


(チューチョ・バルデスが、オルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナ参加直前に結成していたキンテート・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナ)

O それが、イラケレになったってことですか?

T その中から、元々のチューチョが率いてたメンバー+α、ちょっと変わったりなんかして、イラケレが出来た。それが1973年ですね。

O イラケレが紹介された当時に、「国策で精鋭を集めた」っていうような紹介のされ方もしたんですけど、その辺はどうなんですか?

T え〜っと、国策でっていうか、イラケレを世界のマーケットに押し出したっていうのは、多分キューバ政府が考えてプッシュした。そうしないと出られないですからね、自分たちの力だけでは。ただ、こういう音楽をやりたい、作りたい、こういうメンバーでっていうのはミュージシャンの意志だったと思うよ。

で、革命前からずっと音楽界で活躍していたラファエル・ソマビージャっていうディレクターが、取りまとめたんですね。なので、キューバ政府が目をかけたっていうのは事実なんだけど、それだけじゃなくって、音楽的な興味っていうのは、彼らが自分の意志でやってたんだと、僕はそう思いますけどね。

O コレもなかなか聴けるアルバムじゃないんで、もっと聴きたいんですけど、どれいきますか? 前回、喋り過ぎだっていうクレームがあったんで、今日は曲を多くかけようと思ってんですけど(笑)。 これはほとんど聴く機会がないですよね。

T ないですね。じゃあ、ラファエル・ソマビィージャが作った曲なんですけど、ちょっと長いんで、途中から。

O 何て言う曲?

T 「レクイエム」ですね。で、スペイン語で読むと「レキエム」ですけど。


【Requiem / Orquesta Cubana de Música Moderna】

O はい、オルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナのライブ・アルバムですね? 「レクイエム」っていうのを聴いて頂いてるんですけど、67年っていうことでいえば、米国では、ジャズのコルトレーンが死んで。67年に、なんか割と同じ感じのを演ってたんだなあ……と。米国にはほとんどこういうのは聴こえてこなかったと思うんだけども、キューバ国内では、こういう音楽は、当時メインだったわけじゃないですよね? どうなんですか?

T メインではなかったと思うけど、革命政府になってからは、いい意味で何でもありみたいな……。まあ、ジャズが自由に出来たかっていう話は、微妙なところあるんだけど、何でもやっていいよ、っていう。要は、別に売れなくても録音出来る、みたいなのがあったのと、やっぱり音楽好きだから、こういうのなんかも結構一般の人なんかも見に来てたんじゃないかなあ。入場料とか、すごく安く、ほとんど無料にしたっていうのもあって。

O まあ、いわゆる公務員みたいな感じですか? ミュージシャンが。

T そうそうそう。ミュージシャンは公務員で、音楽を提供して、市民は聴くのに別にお金いらなかったりとかね。ある意味、特殊な市場だったわけだから、実は何でも出来たっていう側面もある。社会主義国になると何にも出来なくなるんじゃないかって、思うかも分かんないけど、逆に、そうじゃないところって結構あったりすると思うんですよね。

O 前回も出たけど、ジャズが禁止されたのかどうかっていう、さっきもちょっと話に出ましたけど、そのへんはどうなんですか? まあ、さっきのアルトゥーロ・サンドバルの話もあったけども。

T ちょっとね、ちゃんと調べてみないと分かんないんですけど……。今度調べます。大使館にそういう法律あったのかとか聞いたりして。

O ジャズとかロックをやっちゃいけないっていう法律はなかったと? ローリング・ストーンズが行った時(3月)にも、何年かぶりにロックが解禁されましたみたいに(ニュースで)いわれたけれども、そういうわけではなかったらしいと。ちょっとこれも良く分かんない。

T 法律は多分なかったと思いますね。さっき言ったように、状況で、米国からの締め付けが強くなれば、やっぱりそれに対して民衆もそっちに傾くわけじゃないですか。敵国の音楽、みたいになるっていう、そういうような感じだったんじゃないかな、って気はしますね。ただ、社会主義国じゃないけど、一時期韓国であった法律による日本の歌の放送禁止とか、そういうようなことではなかったんじゃないかな。
※註:韓国では、1997年以前は、日本の大衆文化が自国に流入されるのを法令で制限していた。

O じゃあ続いて、同じオルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナの次のアルバムですか?

T はい、そうですね。え〜とね、アルバム3枚とあと1枚分の録音(註:スペインのレーベルからは、1枚のアルバムとして発売)があるんだけど、1969年の2枚目から。「エル・ニーチェ」っていう、コレはちょっとまた今まで聴いてきたのと、完全に曲調の違う楽曲。


【El Niche / Orquesta Cubana de Música Moderna】

O はい、オルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナの「エル・ニーチェ」ですね。これ、ブーガルーじゃないですか?(笑)

T そう、ブーガルー(笑)。ファーストは結構ジャズって感じでやってたんだけど、セカンド以降はね、何だろ、ポップコーン・ミュージックとか、タカタカタ、とかそういう、サイケなのを結構やってるんですよ。

O それ、不思議ですね。こないだも、ペジョのモサンビーケがどうやってニューヨークに行ったかって話があったけど、コレも、完全にもう、ニューヨークとかのを聴いて(いたとしか思えない)……。
で、♪アア〜・ピピッ、アア〜・ピピッ……で思い出したので(笑)、やっぱりこれはジョー・クーバ。「バン・バン」って65年の大ヒットがあるんで、それをかけたいと思います。ニューヨークですね。


【Bang Bang / Joe Cuba】

O はい、ジョー・クーバの「バン・バン」。色んな人がカヴァーして……デビッド・サンボーンとかもカヴァーしてるんですけど……、これが、全米No.1じゃないけど、10位とか、結構ヒットしたんですよね。だから、コレ絶対、さっきの人たち聴いてるよね(笑)

T 聴いてると思う(笑)。絶対聴いてるよ! 2年後ですからね。旗揚げでやったのはね。

O やっぱりそういう意味では、反応しているわけですよねぇ?

T そう、反応しているんですよね……っていうか、やっぱり向こう側、米国で流行ったやつっていうのは、多分新しいものとして、さっきから言ってるように新しい物好きなキューバ人としてはすぐに取り入れたい、っていうことでやってみたいと。

O でもそれは当時、市場としては国内しかないわけですか?

T 国内しかないですよね、基本的には。このぐらいの時期から、音楽大使っていって、キューバの有名な、音楽的にいいって認められたようなバンドを世界各国に送り込んでいた。長期のツアーとかさせ始めるのが、60年代、70年代くらいから。まあ、イラケレもそのひとつなんだけど、基本的には社会主義国だから、売れる売れないっていう話とは違うから、っていうのがあると思うんですよね。そういう意味で、ミュージシャンがやりたいことが実は出来てたっていう部分も……まあ色々と圧力はあるだろうけど、あったんだろうなって気はするんですよね。

O なるほどね。

T 逆説的だけど

O ヒットしないからダメ、とかじゃなくて。

T そうそう、この曲ヒットしないから録音しないよ、って感じではない。(録音)出来ちゃう。

O イラケレっていうのは、結構あとなんですね、結成自体は。73年でしたっけ?

T そうそう、73年。

O そっかそっか。さっきのバンドが67年か……。わりと間がありますよね。

T でも、チューチョ・バルデスは、イラケレの何人かとは、結成前にソロ名義でアルバム作ったりしてたから。それで最終的にイラケレ立ち上げっていうのが73年なんだけれど、まあ多分、その前から大体同じようなメンバーでなんやかんや活動をしてたと思うのね。

O で、謎といえば、こないだ高橋君とこで出した、ロス・ジョージとラウル・ゴメス。

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T それから、ロス・バン・バンの初期のね。
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O あ、ロス・バン・バンの初期の、去年の11月くらいでしたっけ、出したの?

T そうそう。

O ロス・バン・バンは69年(結成)ですよね。ロス・ジョージとかラウル・ゴメスっていうのは、さっきの、あんまり売れなくっても関係ないっていう路線の延長なのかな?あれは(笑)。いってみれば、AORやファンクみたいな感じですよね。

T ロス・ジョージは当時ほとんど売れなかったみたいなんですけど、もう一人のラウル・ゴメスっていう方は結構売れて。ロックもAORも何でもやって、という感じ。で、次かけるのがロックなんですけど、ラウル・ゴメスが作曲、彼がが入ってたロス・ブカネーロスっていうグループの録音。

O 何年ですか? ジャケットがコレ?
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T うん、シングルだったんだけどね、いわゆるコンピですね。当時のサイケな感じでしょ?(笑)

O これ、ドイツ語? ジャケットはなんかドイツっぽいですけどね。
(高橋註:後日チェックしたら、やはりドイツ語で表記されていた。アルバムタイトルは『MODERNE TANZMUSIK AUS CUBA(邦訳:キューバのモダーン・ダンスミュージック)』 ドイツ向けに発売されたアルバムだと思われる。1970年の大阪万博の時、キューバ館で多くのキューバ音楽のLPが販売されていたが、このアルバムもドイツでキューバをアピールする一環として発売されたものかもしれない。いずれにせよ、キューバ政府が、音楽をキューバのイメージアップの手段として活用しようとしていたことは確かだと思う)

T ビートルズ来日の年、1966年の録音ですね。キューバでは、その前からロックは演奏されていたけど、これは大ヒットした曲。曲名は「ラ・ソガ」


【La Soga / Los Bubaneros】

O はい……(笑) 何ですかね?これ(笑)

T 微妙でしょ?(笑)やっぱキューバ人がロックをやっちゃぁ、ダメですよね!(笑)リズムがね(笑) なんか、刻んじゃって、ある意味タイトすぎちゃってね(笑) でも、やりたかったんですよね!

O やりたかった、ってことだよね! 誰に向かってやってるのか良く分からない……(笑)

T だから……、やりたかった、ってことが重要なんですよ! ロス・バン・バンは1969年に結成されるんだけど、最初の頃は、本当に……何だろう……

O ビートルズ?

T そうそう、もっと歌謡ロックというかね、もっとソフト・ロックみたいなんですよ。で、1〜2年して変わったんだけど。ぼくは前から思っているんだけど、キューバ音楽にロックを取り入れよう、としたのではなく、ビートルズなどのロックに憧れてやりたくてやってみたけど、やっぱりちょっと俺たちのリズムと違うな、って思って、どんどんリズムを変えてって、自分たちが気持ちいいというか違和感が無いものにしていったら、ああいう独特なロス・バン・バン・サウンドが出来上がっていったんだろうという。他にもそういうミュージシャンは結構いると思うけど。あの……憧れで始めるっていうことが、やっぱり重要だったと思うんですよね。

O やっぱり、セールスにあんまり制約されないというか、売れなくてもいいというのは、大事かもしれないですよね。

【会場笑】

T ある意味、そうなんですよ! この曲は、キューバのロック史上燦然と輝く大ヒットした曲らしい(笑)

O 大ヒットしたの?

T 大ヒットした!(笑) キューバのロックっていうと、必ずこの曲が出てくるくらい。これよりも前に、ビル・ヘイリー系のロックン・ロールととかやってるグループも結構あったりするんですけどね。


(その代表的グループ、ロス・ジョピス(Los Llopis)、スティール・ギターが入っているのが特徴)

O それが、変な言い方ですけど、許されてたってことなんですよね?

T ええ、実際にやってたんですよね。ロックって謳わないで、Shake、Monkey、Fantasíaなどの形式名を名乗ったりもしていたけど、実際にRockってレコードに書いてあるのも結構あるし。ただたぶん、歌詞の内容には結構神経質だったかも、とは思いますが。

この後、1970年代だと例えば、ICAIC(キューバ映画公社)の音楽部門的なグルーポ・エクスペリメンタル・ソノラ・デ・イカイックってのが出てきて、彼らは色々やってて、ロックなんかもやってるんだけど、やっぱり、社会主義国的なっていうか、アジェンデ政権のチリなんかと連携して、ロックでそういう内容を歌ったりしてるから。たぶん歌詞の内容は、自由っていうわけにはいかなかったんだろう、という気はするんですけどね。

O ロックっていうジャンル、ジャズっていうジャンル、名乗ってたんですかね? そこ、分かんないですよねぇ……。

T そう、分かんないですよね。でも、「いいやコレは」って思うくらいの寛容さは政府側にあったんでしょうね。それと、70〜80年代になると「ソウル・トレイン」のキューバ版みたいな番組とかあったりとか。前回もちょっと言ったんですけど……それもYouTubeとかで見られるんですけど……それなんかも平気でやってるんですよね。テレビで。

O それはすごく興味深い。でも、チリと連携するっていうと、やっぱりすぐ思いつくのは、ヌエバ・トローバとかって感じなんだけど、そういうわけじゃないってことですよね?

T グルーポ・エクスペリメンタル・ソノラ・デ・イカイックの何人かがヌエバ・トローバの中心人物になっていくんだけど。ヌエバ・トローバとヌエバ・カンシオンっていうのが、結びついたのはやっぱり、チリとかアルゼンチンの軍政の悪政に対する双方のスタンスの一致です。選挙でアジェンデの社会主義体制が出来たときに、グルーポ・エクスペリメンタル・ソノラ・デ・イカイックはチリで録音したりしてるんですよね。それがこのグループのファースト・アルバムなんだけど、パブロ・ミラネストかシルビオ・ロドリゲスとかも参加した。ただし、グルーポ・エクスペリメンタル・ソノラ・デ・イカイックの音楽ってヌエバ・トローバだけじゃなくて、ロックもジャズもやっているんですよ。だから、その辺はやっぱり政治的に結びついているんだけれど、僕らがどうしても頭に思い浮かべる社会主義国的なものとは……まあ僕はキューバのこと好きだからこういう風に言っちゃうのかもわかんないけど……やっぱ違うんじゃないかなと。

O 本当に「知られざるキューバ」だと思うんですけども、今の65〜66年ですよね? さっきから言ってる通り、三角関係とは言いつつ、この頃になるとほとんど関係は作れなくなってくるんだけど。

T 特にキューバとね。

O ただ、さっきのブガルーなんか、聴いてんじゃないのこれ? みたいなのもあったですけど(笑)。

さて、時間もだんだんなくなってきたので、ニューヨークとプエルトリコをかけて、今日は終わりたいと思うんですけども、67年の、これはほんとに皆さんご存知だと思うんですけども、ウィリー・コロンのデビュー・アルバムの『エル・マロ』。これから1曲目の「ジャジー」を、ニューヨークとしては聞いて欲しい。ジャケット、すごく面白いなって思うんですが、みなさん、何度も見てるかと思うんだけど、なんでウィリー・コロン、二人いるんですかね?(笑)

【会場笑】

O わかんないですよねぇ、これねぇ(笑)。これがすごい不思議で。じゃあ「ジャジー」を。


【Jazzy / Willie Colon】

O はい、ウィリー・コロンのデビューアルバム『エル・マロ』から「ジャジー」なんですけど、当時17歳っていうことで、1967年ですね、1950年生まれなんで。17歳でこのデビューアルバム……。

(伊藤、復活!)
I すごいっすよねぇ、すごい人だよ。

O 当時、年上の人たちからは、ガキのくそバンドって言われたらしいですけど、でも聴いてみるとやっぱりすごい。ノリがすごいですよね。

T グルーヴがね、やっぱグルーヴがすごいですよ!

I そうそう。で、やっぱり若さっていうか、ギラギラしつつも、すごい上手いんですよね。

O いや、上手いですよ! 上手い!

T あと、コンセプトがすごいしっかりしてるっていうのが、すごいですよね。17歳とかで、そういうコンセプト考えるんだ、みたいな(笑)

O いや、ほんとにカッコいいなあと、いつ聞いても思うんですよね。ほんとねぇ、ジャケット何で2人いるのかずっと気になってて……。まあそれはいいんですけど(笑)。
じゃあ、ちょっと時間も迫ってるんで、復活した伊藤さん(笑)プエルトリコで締めて頂きましょうか!

【会場笑】

I いやぁ、あの、復活してるかどうかは、分かんないんですよ。

【会場爆笑】

O 起きてるってだけの話ですか?!

T 明日になったら、記憶がないとか?

I たぶんないと思うんですよねぇ、こういう感じはねぇ。いつもそうなんですけどぉ……(笑) で、どうすりゃいいんですか?

O 最後、何かけますか? 何年まで行ったんでしたっけ? あ、今の67年くらいだね。結構行きましたね(笑)

T 行けた行けた行けた(笑)。でも、60年代は、やっぱ大事ですからね!

O よく思うんですけれども、60年代って、1年がそのあとの10年分くらいあるじゃないですか。

T あぁ〜、濃い濃い濃い。

O すごいですよねぇ!

T 世界的に全てそうですもんね。世界の歴史見ても、それに付随した音楽見ても、文化とかって意味でも。日本でもそうだしね。

O 60何年だったかな、例えばエディ・パルミエリがカル・ジェイダーとやったアルバムがあるじゃないですか? あのときエディ・パルミエリ、たぶん29歳くらいなんだけど、七三分けみたいな(笑)とっちゃん坊やみたいな感じなんだけど、そのあと1〜2年で、(ヘア・スタイルが)ぶあーってなっちゃって、その辺の移り変わりっていうか、スピード感すごいなと思って。じゃあ、ちょっとプエルトリコ、最後、締めをお願いします。

I そうですねぇ、何をかけようかと思ったんですけど、やっぱりプエルトリコといえばコルティーホ。で、コルティーホさんは1962年に、ちょっとなんかまずいことがあって、お薬関係の……、薬品関係のね!(笑)

【会場爆笑】

I それで、66年くらいに出てきて、その間に世の中変わってるわけですね。で、変わったときにこれだろうと思って演った曲を最後にかけて……。


【Soy Buena Gente / Ismael Rivera con Cortijo】

【会場拍手】 

I&O&T おぉ〜

O 締まりましたね! いかがでしたでしょうか? 今日はキューバの、全然聴いたことないのがたくさん聴けて、楽しかったですけど。ええ。でも、聴いてると、やっぱり、こう、……だんだん苦しくなってくる(笑) ああ、違う違う!(笑)……あの、なんて言ったらいいのかな、

【会場笑】

I 苦しくなっちゃった(笑)キューバ嫌いだから!

O 違う違う違う!(笑)なんか、やっぱり、こう、そこでしかやれない(岡本註:基本的に国内にしか市場がない、という意味)みたいなさぁ、なんか、苦しいっていう言い方も変だけど。

T 確かに、ニューヨークやプエルトリコとの交流が盛んだったら、どういう風になっていたんだろうっていうのはありますけど。でもねえ、キューバ国内では、これでほんと、みんな楽しんでたんですね、まあそれは、経済封鎖などの政治問題とか、どうしようにも出来ないっていう状況がありましたからね。だから、キューバの特殊性って、ここからどんどん出てくるんだけれども。ある時まで、それはすごい良かったと思うんですよね。っていうのは、革命前までは顧みられなかった音楽とか文化、ミュージシャンもどんどん紹介されたということ。今まで国内で、存在してたけどほとんど気にされていなかったような音を取り上げたりし始めたから。

O だから、ある意味、セールスに関係なく、どんどん好きなようにやれたっていうことが、すごく良かったんだろうなっていう気もします。

今日は、どうもありがとうございました!

(了)
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