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「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.3」(前半)

2016.08.22

 去る2016年6月11日(土)、新宿のバー「Con Ton Ton」にて開催しました、
「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.3」。
テーマは「60年代の続き」です! 当日のトーク(前半)をここに採録いたします。

※ なお、次回「Vol.4」は、9月17日(土)@「Con Ton Ton」の予定です!

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岡本(以下O) じゃあ、そろそろ始めたいと思います。代々木から流れてきた皆さんが、たくさんいると思うんですけれども、今日はありがとうございます。
※この日の午後、代々木公園では「アイランドフェスティバル2016」が開催されていた。

「黄金の三角関係〜キューバ・プエルトリコ・ニューヨーク〜」の第3回ですね。1回、2回とやりまして、今までのは<eL Pop>というサイトに掲載・採録しておりますので、それをぜひ読んで頂ければと思います。まあ、ダラダラしてるんですけど(笑)、よく読むと、結構面白いなっていう、改めて発見が割とありまして。

が、2回目で言うと、「60年代」っていうことでやったのが、結局1962年くらいまでしか辿りつかなかった。その一番の責任が、高橋君が1953年から始めたっていうのがあったと思うんですけど(笑)。

ソンという音楽がキューバで1920年代の初めくらいに成立しまして、それをずーっと引き継いできて……まあ、マンボなんかもそこから出たんですけども……それから、飽きたというんじゃないけれども、ちょっと飛び出そうということで、ニュー・リズムが色々出てきたと。それの最初がチャチャチャだった。それが53年。……というところから始めたわけですけれども。サイトで、喋ってることをもう1回見直すと、色々と新しい発見がありましたね。

高橋(以下T) そうですよね。3人とも、ラテン音楽全般が好きで聞いてはいるんですけど、専門というわけじゃないですが、それぞれチェックしているところが別々にあって。そうすると、「あ、そうか。これとこれがこういう関係なんだ」みたいなことがありますよね。特にプエルトリコのこととか、知ってるようで知らなかったから、その辺はすごくありました。やっぱり読み返すと面白いなと。なんかね、自画自賛じゃないですけど。

O そうそう(笑)。あんまり自画自賛してもしょうがないんだけども、どうですか? 伊藤さん。

伊藤(以下I)この3人で喋ってるの、楽しいですよね。子どものような気持でやってまして、暖かく見守ってやって下さい。お願いします。ということで、今日はどこからスタートですか?

O そうですね。その前にですね、実はちょっと前に手に入れたジョニー・ベントゥーラ、“メレンゲの王様”の新作……。
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I これいいですよね、確か、キューバ録音?

T そうです。

O この人はメレンゲの第一人者で、ちょっと前までは首都のサントドミンゴの市長もやってた人。で、新譜が出まして。『トロンコ・ビエホ(Tronco Viejo)』。これがメレンゲなのかと思ったら、なんと全部キューバ録音!

しかもオマーラ・ポルトゥオンドとか、パンチョ・アマート、シルビオ・ロドリゲス、そういう人が入っているということで、今日は、本当は「60年代」の続きをやるってことなんですが、ちょっとまず、これを。衝撃的な内容、という言い方もちょっとアレですけど。1曲目はなんとヒルベルト・サンタ・ロサが共演なんですよね。「ラ・バラ」。


【La Bala / Johnny Ventura】

O ジョニー・ベントゥーラの新譜から、ヒルベルト・サンタ・ロサとの共演「ラ・バラ」を聴いてもらったんですけど、これ、アルバム全部がキューバ録音で、サックスがセサル・ロペスでしょ、あと、アレクサンデル・アブレウ、ピアノがロランド・ルナ、と。だから完全に今どきのキューバ人なんですけど、でもこれ、音だけ聴いたらあんまり、いわゆるキューバン・サルサっていう感じしないですよね。ほかの曲を聴いても、新しいっていうか、画期的なアルバムだなあと思いまして。どうですか? 高橋君、聴いてみて。いわゆるキューバン・サルサっていうのとは、違うんじゃない?

T うん、そうですよね。聴いてみて、キューバン・サルサとは違うんだけど、こういうリズムの、こういう演奏は、出来なくはないだろうなって。ラテン・アメリカの人たちはみんな能力高いですから。でも面白いのが、今、聴いてて3人で話してたんだけど、いわゆるプエルトリコとかニューヨークのサルサとは、ちょっとニュアンスが、やっぱり演奏の仕方が違うな、と。ブラスのキレみたいなのをすごく大事にする。全体のグルーヴよりも、キレを大事にするかな……みたいなのがあったりとかね。ただ、こういうような音を演ってる人は以前からいなくはないんですけど、……例えばユムリとかもこっち系のですが……確かに主流ではない、っていう感じはしますね。

O 伊藤さんは?

I やっぱり高橋さんが言うように……僕はベースの音をどうしても聴いちゃうんですけど……3、4拍目の音を切るんですよね。プエルトリコとかニューヨークは流すんだけど。そこがやっぱりキューバ。だけど全体のグルーヴはキューバじゃない。面白いですよね。

O ちょっと前までは、なんか変なの演ってたのに(笑)、なんだ、こういうのも出来るじゃ〜ん!(笑)

I 出た出た出た出た(笑)

T 岡本さんの、キューバが嫌いが炸裂している(笑)

【会場笑】

O ちゃんとこういうのも出来るし、「演りたかったんだよね」みたいなのが、すごく感じられたんですよね。

 これも国交が正常化したからこその企画で。まだ経済封鎖はそのままなのでそれは問題なんだけど……。もちろん、ジョニー・ベントゥーラはその前からキューバとの付き合いがあったけど、「今やろう」と思ってやったっていう感じ。こういう交流が増えてくると、それぞれがお互いに影響されて、っていうのありますよね。今までも、国交がなくっても音楽は色々聴けたから、お互いそれぞれ取り入れてやってた、っていうのはありましたね。ティンバっぽいのも、ニューヨークの人たちがかなり取り入れてたことあるんで。だからその辺が、楽しいかなっていう感じはします。

O ティンバで出てくるトゥンバオ(※ベーシックなリズム・パターンのこと)って、すごい大っ嫌いなんですよ! あの、ちゃらちゃらした上のほう(高い音程を使う)のがね! もっとやっぱり、どすん!と、低音で行ってほしいわけ、トゥンバオは! (このジョニー・ベントゥーラの曲では)そういう変なトゥンバオに行かない、というのが良いと思いました。

【会場爆笑】

T ティンバもねぇ、まあ、私もある時までは好きだったけど、そのあとちょっと飽きちゃったみたいなところがあったりするんだけど。あれは、トゥンバオの感覚を変えるっていうところから始まっちゃってるから。もう、R&Bだとか、今の米国の4つ打ちにどんどん近づけて演るっていうのが発想としてあったから。

O タテノリですよねぇ。

T そう、タテノリをどんどん取り入れちゃった。キューバ人、新しいもの好きだから(笑)。これまでもニュー・リズムとか、ボンボン出してみたりとかとい同じ感覚というか。でも、キューバ国内でもまた、伝統という言い方はあんまりしたくないんだけど、ティンバ以前のようなリズム感に還ろうっていう動きが……もう、ティンバがあんまりにも行きすぎちゃって……あるんですよね。だから国内でもまた、それこそソンっぽいのがやっぱりいいとか、アフロ系のがいいとかね。そういうのはありますよね。

O 別にティンバを批判するってわけじゃないんですが、でも、やっぱり最近聴き始めた人たちは、キューバっていうとキューバだけって思いがちだけれども、本当はキューバだけじゃなくて、ニューヨークとの関係、プエルトリコの関係っていうの無しには今のキューバ音楽はありえない、と。それを改めて、今のを聴いて思ったんですよね。

T そりゃそうですよね。サルサだって、それ以前のキューバ音楽との関係無しには語れないですしね。

O それでまあ、我々のやってることも意味があるのかなあと。また自画自賛してますけども(笑)。ということで、トゥンバオがどーのこーのって、いきなり面倒臭い話しをしちゃったんですが(笑)、じゃあ、「60年代(の続き)」ということでね、本当に、「謎が謎を呼ぶ」と言ったらちょっと大げさかもしれないですけど、やっぱり特にキューバが分からないことがたくさんあって。

で、高橋君、昨日でしたっけ? イラケレの前夜の話……みたいなことをFacebookにアップしてたの? その話はまた後でしてもらおうと思うんですけども。あとやっぱりプエルトリコに関しても、なんとなく分かっているようで分からない。コルティーホからエル・グラン・コンボになって、それで、ハラ・ハラっていうリズムがものすごい大ブームになったり、っていうのがあるんですけども。そのへん、もうちょっと聞いていきたいと思うんです。

その前に、ニューヨークではどんな感じだったのか。61年くらいに、1回目でやりましたけどもアレグレ・オール・スターズのデスカルガのアルバムが大ヒットして、あと前回やった、エドゥアルド・ダビッドソンのパチャンガのヒットを受けてジョー・キハーノとかそういう人たちがパチャンガを演ってた。で、もう一つ大きい流れっていうか、これはラテンだけに限らずですが、モンゴ・サンタマリアの「ウォーターメロン・マン」、これがやっぱりすごく大きい。これ、ラテンだけじゃないですもんね。「ウォーターメロン・マン」、聴いてもらおうと思います。

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【Watermelon Man / Mongo Santamaria】

O はい、あっという間に終わってしまいましたけど、モンゴ・サンタマリア。ご存知の方、たくさんいらっしゃると思うんですが、元はといえばハービー・ハンコック。デビュー・アルバム『テイキン・オフ』(62年)に入っているんです。


で、このモンゴ・サンタマリアのヴァージョンがものすごくヒットしまして、全米チャートのトップ10ヒットくらいになった。

なぜモンゴが演ることになったかっていうエピソードがまたすごく面白い。実はモンゴ・サンタマリアのバンドの当時のピアニストがチック・コリアだったんですよね、62年当時。まだデビュー前で、アルマンド・コレアですね。で、彼がなんか都合が悪くて、いわゆる“トラ”でハービー・ハンコックが……シカゴ出身でニューヨークに来たばっかりのハンコックが……入ったらしいんですよね。で、どっかのクラブで演ってたら、あんまり客も入ってなくって、「じゃあちょっとお前の曲、演ってみるか」っていってですね、「私、最近デビュー・アルバム出しまして、『ウォーターメロン・マン』っていうのがあるんで演ってみましょうか」っていって、演ったら客が大盛り上がり、バンドも大盛り上がりになって。それを聞きつけたプロデューサーのオリン・キープニューズが、これやってみるかってシングル・カットしたら、なんとこれが大ヒット……っていうことなんです。これ、いわゆるポップ・ヒットしたんですけども、やっぱりジャズの世界からもなんとなく鬼っ子じゃないけど、ジャズからもラテンからも……っていうところありますよね?

T モンゴ・サンタマリアが、ラテンやジャズのシーンでどういう立ち位置で演ってたのか、どういうスタンスで演ってたのか、っていうのが、なんかよく分かんない。そういうイメージがどうしてもありますよね。

O モンゴ・サンタマリアって、もともとキューバからニューヨークに行って、前回かけた……

T ベジョ・エル・アフロカーンのいとこ。ハバナの、アフロ系の多い黒人地区の出身でね。だからそういうアフロ系の伝統とかすごく身に着けている人ですね。

O なんですけど、ニューヨークに行って、ティト・プエンテとも演って。モンゴ・サンタマリアっていうと、ジャズからいっても、なんとなく曖昧模糊としたイメージで……っていうのは、色々ポップスも演ったしね……っていうような人だと思うんですけれども。この曲はヒットしてすごく良かったんだけど、なんか谷間みたいなね、そういう風に思われてる原因になった曲でもあるのかと思うんですよね。どうですか? 伊藤さん。

I ジャズ好きで、学生時代ずっとやってたんですけど、思い出すとジャズ側でも“アフロキューバン”以来みんな興味あった。モダン・ジャズでハンコックが偉いのは、そういうのをちゃんと聴いてて、そこで登場したモンゴと、一期一会じゃないですけど交わったっていうことだと思います。

O ジャズからいうと、なんか主流じゃない、みたいな感じで言われてましたよね、この辺は。だけど例えば、こういうアーシーなジャズみたいなのって、ジャズ・メンとかジャズ・マニアからはあまり好かれてないけれども、大衆からはものすごい受けたっていうのはありますよね。

I アート・ブレーキーの「モーニン」じゃないけど、あーいうファンキー・ジャズみたいなのとか、後になるとレア・グルーヴの人たちとか、いわゆるジャズ・マニアとは別に、「ああ、いいじゃない」っていう、当時から同じような感覚を持った人たちはたくさんいたんですよね。

O 「ウォーターメロン・マン」、これ、要はR&Bとジャズとをミックスしたみたいな感じだと思うんですが、そういう流れで、レイ・バレットの「エル・ワトゥーシ」を聞きましょう。これも同じ頃なんですが、レイ・バレット、後にファニアに入るわけですけども、50年代はティト・プエンテ楽団にいて、これが本人のデビュー・アルバム『チャランガ・モデルナ』。
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この中から「エル・ワトゥーシ」っていう、「ウォーター・メロンマン」的なテイストの曲。ニューヨークでの62年くらいの録音ということで、聴いて頂きたいと思います。


【El Watusi/ Ray Barretto】


【El Watusi 65/ Ray Barretto】※1965年のリメイク・ヴァージョン。

O はい、これも、あっという間に終わってしまったんですけれども。チャランガ・モデルナっていうくらいで、チャランガ編成、いわゆる、ヴァイオリンとフルートをメインにした編成で、「ワトゥーシ」ってまあ、“黒人”みたいな名称ですね。リズム的にはパチャンガというか、それの原型みたいな感じですけどね。

サルサがどうやって出来たかっていう話があって、ニューヨークを主体として考えると、いちばん典型的な言い方としては、50年代にマンボ・ブームがあったんですけれども、59年にキューバ革命があって、そのあとキューバから最新ヒットが来なくなったので、ニューヨークのラティーノたちが自分たちのリズムをクリエイトしようとして、その結果として70年代くらいにサルサが生まれた、と。まあそれは、ある意味で正しいと思うんですけども、当然色々な要素が入ってくるわけで、61〜62年っていうのは、さっき出たパチャンガ……ダヴィッドソンのコピーしながら、あとはデスカルガをやったりとか、やっぱり本当に試行錯誤の時だったと思うんです。

T マンボがずーっと流行ってて、まあ、こういう言い方は違うかもしれないけど、マンボに飽きたというか。だからさっきキューバに関して言った、ソンの発展形でずーっとやってたのが、ちょっと行き詰ったり、飽きた、みたいなのがあったんだろうという感じはしますね。同じようなことがニューヨークでも起きてた、というね。

I えーと、またなんか50年代に戻っちゃったんですけど……

【一同爆笑】

I 話が50年代に戻って、いいのかな? でも、いいですよね。

O その辺のところがやっぱり一番面白いですよね(笑)

I 58年のプエンテのアルバム『ダンス・マニア』、あれがマンボ時代の頂点と言えますが、58年のパレイディアムは、一番いい時間はティト・プエンテが演ってた一方、マチネーのところには、例えばコルティーホが並行して人気だったとか。あともう少し前なら、マチートが黒人のほうのダンスのサヴォイに行って演ると、普段はジャイヴとか踊ってるやつらが、「マチート、カッコいいね!」って言って、両方が混じっていったとか、なんか、モヤモヤモヤっとしたものが50年代から60年代あった、っていうことが面白いですよね。だから、キューバ革命があって〜ていう話って、なんか後付な感じがするんですよね。踊り手があって聴き手があって、っていうのが絶対、先行してると思います。

O だから「ワトゥーシ」っていうのね、ステップが絶対あったはず。どういうステップなんですかね? ちょっとそれが今わからないんですけども、絶対あったはずだし。で、こないだも言っていたけれども、フォックストロット、マッシュポテトだったりとか、そのあとだとモンキーだったりね、そういう風にしてみんな、ステップと関連付けてヒットを出そうとしてたわけで。数打ちゃ当たるじゃないけど、バンバンいろんなものを出してた中のひとつでワトゥーシが大ヒットした、ということだと思います。

T キューバのリズムって、前回もやったんですけど、あれも全部ステップがありますからね。ピロンならピロンのステップがあるし、モサンビーケならモサンビーケのステップもあるし、パ・カならパ・カのリズムのステップがある。その辺はやっぱり、お客さん踊らせてなんぼ、みたいなところがあるから、そういう発想でみんな、どんどんどんどん新しいのを出してきた。

I ミュージシャン側が新しいリズムを出してきた一方で、ダンサーのチャレンジも絶対あったと思うんですよ。さっきの、サヴォイで黒人たちがいて、マチートが演奏しに行くと、「このラテンのリズムで俺たちはどう踊るんだ?」っていうってとこが絶対あったと思う。「ワトゥーシ」の話出ましたけど、『ブルース・ブラザーズ』の1本目の、「レイズ・ミュージック・エクスチェンジ」って名前のレイ・チャールズの楽器屋、あの場面で外で踊るじゃないですか。あの中にワトゥーシ出てきますよね。ジャークとか、モンキーとかのステップと一緒に。ああいう風に、ラテンとそれ以外の音楽はダンスを通じての関連が絶対あると思うんですよね。


O あとはね、さっきもちょっと出て来たけど、マンボが飽きられてきたっていうか、プエンテとかのフル・オーケストラから、ジョー・クーバみたいなスモール・コンボの時代に、50年代末くらいにはだんだんなりつつあったのかなっていう気がして。で、レイ・バレットもそうですよね、たぶん。小さい楽団でそういうニュー・リズムっていうか、新しいことをやろうっていうのと、キューバ革命っていうのが、ちょうど同じ時期だったのかな、と。それで、あとはそれこそモータウンが出来て、っていうね。そういう、時代の要請みたいなところとしっかりマッチしたのかなって……それこそ後から見て、っていうことなんだけど……そういういう感じはしないでもないですねぇ。

I 50年代って、例えばロックン・ロールの音、ビル・ヘイリーとかプレスリーって小さいコンボだし、58年とか60年のドゥーワップの流行があって、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレムと黒人地区のハーレムは隣り合っていて、絶対影響受けるはず。「あいつらカッコいいな」、とか。そういう風に混じってるとこがサルサってことなんで、別にキューバ・ストレートとか、プエルトリコ・ストレートとかじゃないですよね。

T 特にやっぱりニューヨークってそういう状況があるから、そこからサルサが生まれてきた、その状況があったから生まれてきたってことですよね。それに対してキューバだと、もうちょっと、やっぱり島って感じですよ。あんまり、そういう切羽詰まったものがあんまりなくって、もっとこう……言い方がなかなか難しいんですけど……のほほん、っていうかね。あんまりその辺の、競争みたいなのじゃない、っていうところで、作ってきたっていうのはあると思う。

O ほら、ハイチなんかでも、ミニ・オールスターズっていうのありますよね。ミニ? オールスターズ? どっちなんだ?!って話なんだけどさ(笑)。やっぱり“ミニ・ムーブメント”、あれですよね。ミニっていうのが、まさに、ビッグ・バンドに対してスモール・コンボっていう。それもやっぱり60年代に多かったじゃないですか。だからやっぱり、そういう時代的なことはあった。本当にいろんなものがシンクロっていうか、リンクしてるっていう感じがしますけどね。
じゃあ、そういう62年。62年といえばやっぱり、エル・グラン・コンボでしょうね。

I プエルトリコはそうですね。

O 62年に出来たんですものね。何をかけますか?

I 62年のエル・グラン・コンボで、新しいリズムでハラ・ハラっていうリズム。それをちょっと聴いて頂きましょう。


【Jala Jala/ El Gran Combo】

I ということで、ハラ・ハラっていうリズムがプエルトリコで62年にできてたんですけど、ニューヨークのほうにはまだ来てなかったのかな……?

O 来てないですねぇ。

I カリブ海ですっごい流行ったんですね、これ。マルチニークとか、キュラソーとか、ハイチとかね。で、ちょっとさわりだけ、ハイチで2年後に……

O 2年後だと、64年ってことですね。

I さっき、コンパって出ましたけど、その奔りのバンドでシュル・シュルっていうバンドがあるんですが、それのアルバム1曲目で、ほとんど今の♪チャッチャカ・チャッチャカ〜みたいなのが聴けるんで、ちょっとだけ聴いてもらいましょう。


【Original Shleu Shleu】

O え〜と、今のはハイチのバンドなんですけども、伊藤さん、あのハラ・ハラっていうの、やっぱり、謎が多いじゃないですか?

I 謎が多いです。

O ハラ・ハラってだいたい、意味はあるんですかね?

I いや、なんか……、あんまり聞いたことない。意味としては無いような気がします。ビートとしては、クラーベなんか全然なくって、汎カリブ的っていうか、♪ドゥン・ドゥン〜っていう。まぁ、あえて言えば……ボンバ、ですけど。でも、ボンバってわけじゃあないんですね。

O ボンバと、あと、やっぱ、ちょっとメレンゲ的なところがあるね。

T 中の引きずるところね。

I ですよね。ぐっと引っ張るところ。

O ♪ドコドコドン〜はないですけど……

I やっぱりその辺、ニューヨークとはまた別の世界だし、キューバとも別の世界の……なんですかね、東側のカリブの世界っていうようなのが、あるような気がします。

T でも、これも私のこじつけですけど、前回も言ったんですけど、マンボとかソン的なものから、その元だったカリブのリズム、ハイチのリズムへ先祖返りみたいのがあると思うんですよね。やっぱりそっちに1回行ってみよう、っていうか。だからやっぱりハイチであり、メレンゲでありっていう、ねぇ。カリブ海のメラングとか、その前の、そのリズムね。その辺のリズムのものにどんどん近づいて行ったっていうのがあるんじゃないかな、っていう気がしますけどね。

O 今のハイチのなんですけど、エドゥアルド・ダビッドソンのオリジナル、いわゆるメレクンベみたいな? そういうものに近いような感じもしますね。

T 前回、パチャンガのいろんなパターン、オルケスタ・スブリメとかダビッドソンとかエル・グラン・コンボとか、あとジョー・クーバとかのパチャンガを聞いていただいたんですけど、どれも、なんか「トン、トン、トン、トン♪」って2拍子の頭打ちを、すごい強調していた。それは、もう曲の最初から最後まで、ずーっと。その辺がこの時代のひとつの音楽の方向性だったんじゃないかと。

O じゃあ、ハラ・ハラのもっと後の、大ヒットしたヴァージョンてことで、「リッチーズ・ハラ・ハラ」、ちょっと聴いてみませんか?

T ニューヨークの匂いが。

O そうですねぇ。今のが、64年? これは、65年か。リッチー・レイとボビー・クルスといえば「ハラ・ハラ」、って感じですね。じゃあ、リッチー・レイの、お願いします。


【Richie’s Jala Jala/ Richie Ray & Bobby Cruz】

O リッチー・レイとボビー・クルスの「リッチーズ・ハラ・ハラ」だったんですけども、伊藤さん、これ、ハラ・ハラが基本ですけど、途中マンボになったりとか、後半の方ですごくジャズっぽい感じのソロが出てきたり……

I このリッチー・レイとボビー・クルスって、プエルトリコ系なんですけども、ボビー・クルスは12歳の時にもうニューヨークに来て、で、リッチー・レイの方はブルックリンの生まれで、プエルトリコのお父さんお母さんで。だけどやっぱりニューヨークだから、マンボが入ったり、プエルトリコに戻ったり、ジャズっぽかったりっていうのがあります。ここがニューヨークらしいですよね。

O ハラ・ハラって、昔から思うんですけど、ほんと不思議ですよね。時期的にはブーガルーのころなんだけども、ブーガルーはブーガルーで全然違うじゃないですか。やっぱり今のを聴いても、もちろんニューヨークのテイストはあるんだけども、やっぱりカリビアンっていう感じがあるよね。さっき高橋君が言ってた先祖帰りじゃないけども……

T なんか、そっちにみんな向かってたっていうか。

O 悪い言い方すると、良く分かんないっていうか、曖昧模糊としたような。

T そう、ひとつひとつ分析するとどうか分かんないけど、やっぱり全体的としてはそういう、新しいものを作ったり探そうとしたら、何かこう、先祖帰りみたいなリズムになったっていうところが面白いですね。やっぱり、激動の60年代ですよ。

O ベーシックなところでは、やっぱり、2ビート、2拍子ですよね。シンプルなところからバリエーションに展開していく。え〜と、今の何年でしたっけ? 65年ですね。じゃあ、同じ65年で、こないだも出ましたけども、トミー・オリベンシアの最初の録音。

I カリブ海はこういった2ビートもありながら、プエルトリコでは、エル・グラン・コンボがあって、ソノラ・ポンセーニャがあって、で、トミー・オリベンシアっていう楽団がある。そのなかでオリベンシアが65年、マルティニークで人気があって、初めて録音をした。その曲を聴いて頂きます。「トゥルクトゥ」。


【Trucutu / Tommy Olivencia】

O はい、トミー・オリベンシアでした。これ、言ってみればもう、サルサですよね。

I そうなんですよね。だから、サルサはファニア・オール・スターズが68年で、生まれた、とかいうことじゃないような。65年とかに、もうこういうのが出てる。

O これとハラ・ハラの関係はどうなんでしょう? ハラ・ハラがあって、これがあるわけじゃないですか。プエルトリコっていうのは、そこが面白いですよね。エル・グラン・コンボの中でも、ハラ・ハラがあるけど、他にはボンバ、プレーナあり、まさにサルサと言える楽曲も、もうこの時代にありますよね。

I なんでしょうね……。ダンスとの関係が大事だと思うんですけども。ダンスに対して色んなリズムを作って演っていくっていうところが……。そして巡業、つまりカリブの人たちは、ニューヨーク以外にも、キュラソーに行ったりマルティニークに行ったり、っていうことで、地元の音楽やバンドに直接出会い、「お、これカッコいいんじゃないか」っていうのを、どんどん混ぜてってたような気がします。

T あと、前回言ってたように、基本的にチャランガの編成がなかった、っていうプエルトリコ。それがこういうサルサのサウンドに繋がっていくっていうような。ちょっと今聴いて、思いついたんだけど、違いますかね?(笑)

I あ〜、そうですよね、ヴァイオリンがいない、

T そう、だからノリのパターンが全然違う。。

I ヴァイオリンをがっちり入れて演れるところって、まずキューバ。プエルトリコはどうだったのか? あと、マルティニークやグアドループ。ただ大編成ができるほど多くいないとしたら、そこは他に何の楽器で演るかっていうと、管楽器ですよね。

O さっき、「これサルサじゃないですか」って言っちゃったんだけど、でも当時サルサっていう言葉はないですよね、まだ。だから今から考えれば、っていうことなんだけど、当時は何て言われてたんですかね?

I どうなんですかね?

T リズム名とか、そこ書いてない?

O でも、リズム名はグァラーチャとかなのかな?

I 書いてない。これはCDだからちょっと分かんないですけど。なんにも書いてないですね。

O 謎。

T でも、普通に年代を知らずに聴いたら、サルサですよね、これ。初期サルサ。

O じゃあ、ちょっとここで、同じ時期にキューバはどんなことを演ってたのかっていうとこを聞いてみたいんですけど。65年ぐらい。

T そうですね。65年ぐらい。前回も言ったニュー・リズムが50年代の後半位からどんどん出来てきて、それがずーっと60年代も続いてたんですよね。で、老舗のバンドも色々演ったりとかして。で、今から聴いて頂くのはその中のひとつ。ニュー・リズムを新しく演ったバンドだけが人気があったわけじゃなくて、老舗のバンドもずーっと人気があったんです。アラゴンとか、チャポティンとかね。で、アラゴンが自分たちで色々作ったんだけど、そのひとつで、チャ・オンダっていう、当時かなり流行ったんですが。どんなのか聴いて頂いて、ちょっとウンチクはそのあとで。



O はい、オルケスタ・アラゴンの「アプレンディエンド・ア・バイラール・チャ・オンダ」。

T チャ・オンダというのが、彼らが発明したリズムですね。でね、アラゴンとか知ってる方は、アラゴンっていうとチャチャチャとかダンソンとか、もうちょっと優雅な感じだと思うんですけど、60年代はやっぱりこういうことをどんどんやってて。で、この曲は、そのチャ・オンダを紹介してるような内容なんですけど。これ作ったのはアレハンドロ・トマス・バルデスで、彼もやっぱりダンサーとしてもかなり有名な人だったらしくて、ブラジルのカポエイラのリズムを取り入れて作ったんだって、言ってますね。間のリズムなんかは言われてみればそうだなあって感じしますけどね。

キューバだけじゃないと思いますが、キューバの特徴は、60年代のニュー・リズムって、やっぱりアフロ。アフリカ系っていうとこを前面に出したリズムが多い。それまで、あんまりその辺を、出さなかった訳じゃないんだけど、もうちょっと市場のこと考えて……レコードを買うのは白人層が多いっていうのがあって……あんまり多くなかったんだけど、革命があって、その辺がばっと、そういう足枷みたいなのが取れて、こういうようなリズムをどんどん演るようになった、っていう気がします。

O これは、アラゴンの中ではどういう位置づけのアルバムなんですか? 

T 1960年代に、やっぱりアラゴンも今までの50年代の優雅な感じから、その時代に乗る、みたいな感じで作ったのがチャ・オンダで、これがかなり大ヒットして、キューバではかなり流行った。で、日本に来たのもちょうどその後くらいだから……60年代終わりか……なので、来日公演でもそういうリズムなんかも演ったみたいですね。

O チャ・オンダって、他では、ほとんど知られてないですよね? キューバ国内だけ?

T たぶん。60年代に入って、モサンビーケより後に出てきたものは、やっぱり(キューバ)国内だけですよね。少なくとも、ニューヨークとかそっちの方にはやっぱり飛び火しなかった。その辺からやっぱりキューバは、この後聴いてもらいますけど、独自路線をどんどんどんどん突き進んでいく。それが、強みではあるんだけど、同時に、その後のマイナスに……マイナスというか弱みでもあるかなあという感じはします。

O でもこの辺になってくると本当にね、「三角関係」と言いながら、全く関係ないっていう感じになっちゃいますねえ。

T 特にキューバはそうですよね、なんか特殊性がどんどん出てくる、みたいな。国の体制が変わったことによってそうなっていったというのもあると思います。。

I そうですよね。ある意味鎖国な訳ですよね。もちろんマイアミからのラジオで聴いてる音楽はあるし、でも、一時なんでしたっけ? 別に禁止はされてないけど、ジャズっていうものを演ってると言っちゃいけない、みたいなことありましたよね。

T いや、えっとね、前回のあと色々と調べて、チューチョ・バルデスがインタビューで「ジャズは出来なかった」みたいな、おおっぴらには出来なかったって言っていたということなんですけど、同じチューチョ・バルデスが、岸のりこさん(日本のラテン歌手)……彼女、チューチョと昔から仲いいんですけど……アルトゥーロ・サンドバルのあのテレビ映画(アンディ・ガルシア主演『さらば愛しのキューバ/For Love or Country: The Arturo Sandoval Story』)があって。
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その中でアルトゥーロ・サンドバルは「キューバではジャズも演奏出来ない。ジャズ演ってると、なんだ?みたいな感じになるから出来ない」っていうのが亡命の理由と、あの映画ではなってたんですけど、あれを見たチューチョが怒ってたらしいんですよ。要は、キューバでもジャズは出来た、って言って。まあそれは、ミュージシャンだから、その時その時の社会の雰囲気での対応なんだろうけど。

I でも、それは多分ね、年代だと思いますよ。パキート・デリベラの自叙伝でも言ってました。62年ではまだジャズって言ってはいけなかった。だけど65年、多分全然問題なくなった。

T いや、でも、あ〜、そうかそうか。1962年はU.S.A.による経済封鎖があってキューバ危機が起きた年。U.S.A.との関係が一番最悪だったときだから、その辺の微妙な、時代を反映した社会の雰囲気があったのかな。

O アルトゥーロ・サンドバルの方が年齢は下ですよね? チューチョより。

T うん、下。彼が亡命するの、90年代に入ってからですよね。

O 亡命したのは80年代?

T 1990年ですね。 で、一時期韓国が日本の音楽を禁止したような、そういう法律はキューバにはなかった。だからやっぱり、社会の空気なのかな。経済封鎖が厳しくなればやっぱり、民衆も米国への敵対心じゃないけど、反感みたいなのは(出る)。だけど、キューバはジャズがやっぱり好きだなぁっていうか、ジャズに憧れがあったんだなぁって思います。ほんとうは年代を細かく確認しないといけないんだろうけど、ジャズっていう風にスタイル名に付けて演ってるのもあった、なんとかジャズっていう風に、ボレロ・ジャズとか。ジャズっていう風に書いてあるのは、結構60年代もありますね。まあ、その時の情勢でミューシャンが判断したのかも知れないけど。

O あとね、高橋君がFacebookにアップしてた、「何とかムシカ・モデルナ」。まあ言ってみりゃ「モダン・ミュージック」ってことなんですけど、やたら、ムシカ・モデルナっていうのがあって、それがまた面白いなって思ったんですけども。そういうものに対する憧れみたいなのもある訳ですよね。

T それは、ありますよね。キューバ人はやっぱり新しい物好きだから、音楽で新しいのがあがってるとか、面白いのがあるぞっていうと、絶対それ、すぐ取り入れたがるというか、演りますよね。で、この時代はやっぱりジャズがそうだったんじゃないかな。そう。「ムシカ・モデルナ」っていわれてるのは、だいたいジャズにインスパイアされた音楽なんですよね。グルーポ・クバーノ・デ・ムシカ・モデルナ、とかね。

O ややこしいよね。

T そう、色々あるんですよ。キンテート・インストゥルメンタル・デ・ムシカ・モデルナとか。それぞれ、ちょっとずつメンバーが違ったりとかね(笑)

I パキートが、たしかジャズっていう言葉っていうより、なんか帝国主義の音楽がよくない、っていうことになって、ジャズって言えなかったから一番最初はムシカ・モデルナって呼んだって言ってた気がします。

T それはあるでしょうね。ただ、演ってる音楽はほんとジャズだったり、実際にジャズとかビバップとか形式名がレコードに記載されているんですね。だからその辺、キューバ社会の雰囲気がある程度反映されていたのかな。

O ちょっとここで少し休憩したいと思うんですけども。その後に、ジャズですか? ムシカ・モデルナね、聴いて頂きたいと思います。

【休憩】→後半はこちら!
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