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<Music Voyage 佐藤卓×岡本郁生:DJ&TALK SESSION>@ Cafe104.5(前半)

2016.08.20

去る7/12(火)、「Cafe104.5」にて
<Music Voyage 佐藤卓×岡本郁生:DJ&TALK SESSION>
- 卓さん、このレコジャケってどうですか!? - デザインから見るラテン音楽のアルバムジャケット

が開催されました。

グラフィック・デザイナーの佐藤卓さんと、私(岡本郁生)……実はかつてのバンド仲間なんです……が、ラテン音楽のジャケットをネタに、語り合い、音楽を楽しもうというイベント。

当日の模様をここに採録しますのでお楽しみください。

前半パートでは、我々の出逢いから、そのきっかけとなった偉大なイラストレーター河村要助さんの話、バンドの話、サルサ〜メレンゲの話……と展開しております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
佐藤卓(以下S) 皆さん、こんばんは。私が佐藤卓と申します。

岡本郁生(以下O) はい。岡本です。よろしくお願いいたします。

 我々は、一緒にラテンのバンドを、カメリア・グループっていうサルサのバンドがあってですね……

 はい、ありましたね(笑)

 やっておりまして。で、そのあとに、アラスカ・バンドっていう幻のメレンゲ・バンドを……

 はい(笑)、幻の……歌謡メレンゲ・バンド。

 メレンゲっていう音楽については、また後でメレンゲ・タイムを作りたいと思いますので、そこでお話ししたいと思いますが……

 卓さん、そもそも河村要助とは誰なんだ?っていう話からした方がいいんじゃないですか?

我々が出会いましたきっかけは、実はですね、イラストレーターの河村要助さん。河村要助さんがいなければ、我々は出会えていなかった。
河村要助の真実.jpg

 そうですね。イラストレーターとしての河村要助さんに関しては、卓さんからご紹介頂いた方がいいと思うんですけど、僕が初めて河村さんの作品を知ったのは、ニッカのブラック50(の広告)。河村さんのイラストを使った「黒の50」の広告が……あ、僕は1958年生まれなんですけど、高校生の頃だから70年代半ばにガーンと出まして。「かっちょええ〜」と思って(笑)。


で、同時に『ニューミュージック・マガジン』っていう……今『ミュージック・マガジン』っていう名前ですけれども……雑誌を読んでまして、それに河村さんが、主にラテンのことを書かれておりまして。で、最初、僕、同じ人だとは思ってなかったんですけれど、あとから、「あ、でも、この人なんだ……」と。

 ですよね。この河村要助さんていうのはですね、実は私の大学の先輩でありまして、(東京芸術)大学のデザイン科の先輩なんですけれども、イラストレーターとしては、今、若い方はあまりご存じないかもしれないんですけれども、昔、やっぱり河村要助さんっていうと、イラストレーターの、もう、大スター! 大スターでですね、湯村輝彦さん、それから矢吹申彦さん、まぁ、ちょっとご年配の人じゃないと分かんないかもしれないですけども、我々が……私もですね、もう、かなり憧れたイラストレーターの先輩でした。で、その河村要助さんが、実はラテン音楽については、かなりな人だったわけですね!

 そうですね〜。今はサルサっていう言葉が割と一般化してると思うんですけれども、そのサルサを、日本に紹介した人でもあるんですよね。僕が聞いた話だと、河村さんはもともとジャズとかソウルが大好きで、僕がいつもびっくりしてたのは、河村さんがマイルス・デイヴィスの公演を日比谷の野音で高校生の時に見たっていう……、1960年代初めにですね。で「え〜っ!」とかって反応をすると、いつもすごい自慢されて(笑)それがまた嬉しかったんですけど(笑)。

で、1970年代の初めに、ウィリー・コロンっていう人の『Guisando(ギサンド)』っていうアルバムがあって、『Doing a job』っていう英語タイトルもあるんですけど、これ、いったい何をやっているんだ?っていうジャケットなんですけど、“Doing a job”つまり“仕事中”ってことで、要は金庫破りですね。
WC_guisando.jpg

これを河村さんがある人からニューヨーク土産で貰って、「これ、ニューヨークで今一番流行ってるから」って言われて、聴いた。で、すごくいいなって思ったらしいんですけど、これ、だいたい何の音楽か分からない。歌ってる言葉が何語かも分からない。っていうところから始まって。で、昔は、LPの中の内袋にカタログがあって、住所が書いてあったんですよね、ファニア・レコード、ニューヨーク何番地って。そこに、全部注文したらしいんですよね、そのカタログに載ってるものを。

 河村要助さんが?

 はい。

 全て?

 はい。

 あ〜、やっぱり違いますねぇ。なんか、そのなんていうか、情報に対する情熱の在り方が、今とはね。

 もう、何が何だかわからないから、とにかく全部頼んで、届いたのを聴いて、っていうことをやったらしいんですよ。

 そこからサルサ?

 そうですね。それでどうやら1970年代初めに、サルサっていうのが流行っているらしい、ということを知りまして、で『ニューミュージック・マガジン』に色々書いて。後は、ブルース・インターアクションズから出てた雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』ですね、あれにサルサのことを連載して、それをまとめたのが、この『サルサ天国』。これが本当に我々にとって、もう、聖典(バイブル)のような。
サルサ天国.jpg

 はい、そうですね。それでえーっと、私はですね、ラテンの道に入ったのが、河村さんが、こういう風に、今まさにやってるように、カフェでレコードを聴かせるっていう会をやっていて。岡本さんと出会ったのも、私がサルサに興味をもってそこに行ったら、岡本さんがやっぱり来てたんですよね。で、河村要助さんがレコードの紹介をして、音楽を流すっていう、そういう会を、恵比寿とかでやってて。恵比寿の小さなカフェで。

 そうですね。でも、カフェとかっていうカッコいいもんじゃなくて(笑)。確か、月1回土曜日にやってたんですけど、僕が最初行ったときは公民館だったんですよね、恵比寿の。

 あ! そーか、そーかそーか!

 で、みんなで椅子を運んで並べて、ステレオ運んで持ってきて、みたいな。その後、喫茶店でやったり、カフェでやったりして、そこで多分、卓さんに紹介して頂いたんだと。

 そうですね。で、実は私は大学時代ロック・バンドをやっていて、週に1回ライブ・ハウスに出るようなバンドに入ってたんですね。で、そこでパーカッションを、コンガとかをやってたんですけども、河村さんにあるオープニング・パーティーで、大スターの河村要助さんにばったり会って、それでその時に「僕、あの、ロック・バンドでコンガやってるんですよ」って言ったら、要助さんが僕に「佐藤君、コンガっていうのはねぇ、ラテンで生きる楽器なんだよ。ロックなんてやってる場合じゃない」って言われて(笑)。それで僕は「えっ!ロックでコンガ叩いちゃいけないんだ!」と思って、それでサルサに興味をもって(笑)。それで、そのカフェに、聴きに行ったんですよ! 

それでですね、あの、貴重な、いえ、貴重でも何でもないんですけど、これが私が大学時代ロック・バンドでコンガをやってる時の私でございます。
卓さん写真_1.jpg
叩き方が、自己流なんで、本当にいい加減な叩き方をしていた頃の私でございます。ちょっとカントリー風のネルシャツかなんか着ちゃって、当時流行ってたんですけど、結構ロンゲです(笑)。もう1回言います。ロンゲです(笑)。こんな感じで、自分流にロック・バンドでパーカッションをやってたんですね。

 僕も、卓さんに紹介されたのが「サルサ天国」っていうそのレコード・コンサートの後だったんですけど、僕はまだ学生で、卓さんたぶん大学院生だったかと思うんですけど……

 そうですね、たぶんちょうどこの写真の頃だったかと思いますけど。

 (河村さんが、)「この人ね、僕の後輩なんだけど、なんかね、ロック・バンドかなんかでコンガやっちゃって」って(笑)。

 大スターです! 河村要助さんって! 我々の時代で言うと、本当にね、河村要助さんっていうのは、もう大スターなんです! イラストレーターが大スターだった時代です! ほんとに、今よりも全然大スターです。その大スターの憧れの河村要助さんから、「佐藤君、ロックでコンガなんてやってる場合じゃないよ」って……。その時のショック! かなりショックを受けましたね! そこで、私はもう、ロックじゃなくて、これはサルサだ、と。

 それでサルサに(笑)。

 気持ちを入れ替えて……

 レコード・コンサートにいらしてたんですね。そこで、お会いしたっていうわけですね。

 そういうわけです。

 それで、その時はたぶん2〜3回くらいしかお会いしてないと思うんですけど、なぜバンドをやることになったかといいますと、先ほどの、ウィリー・コロンですよね。そのウィリー・コロンさんが1987年に来日しまして。で、トロンボーン奏者のウィリー・コロンに刺激を受けて、河村さんが突然トロンボーンを始めてしまったと。

 そうです、そうです。で、「佐藤君、ちょっとラテンのバンドを始めたから、ロックでコンガなんか叩いてる場合じゃないので、僕の方に来なさい」って言われて、コンガを持って行ったんですね。そしたらそこに、デザインの雑誌で『アクシス』……日本ではデザイン誌では一番メジャーな雑誌です……そこのアート・ディレクターである宮崎さんていう人が、実はそのバンドに私よりも1日早く参加してたんですね。で、デザイン界のもうほんとに、なんていうか、友達……まあそれ以降友達になるんですけども、そういう人も要助さんの誘いでバンドを始めることになったんですね。それで、カメリア・グループって名前の、この、今、写真に写ってるのが、その後の我々のカメリア・グループです。
卓さん写真_2.jpg

まあ、ゆくゆくこうやって人前で、ライブをするようになったバンドなんですけども、当時、練習に行ったらばですね、あまりにもひどくて(笑)。宮崎さんとか私はですね、一応リズムキープできるわけです。あの、ロック・バンドでパーカッションやってたんで。ところが河村要助さんはですね、リズムキープが出来ませんでした! はっきり言って。トロンボーンで、憧れて、自分が好きで始めたもんですから、本当に、リズムを聴いてくれないんですね! 我々がパーカッション叩いてても、そのリズムを聴いてくれない。もう、自分のペースでリズムを作ってくんで、トロンボーンにリズムを合わせるっていう、すごい練習をしてましたね(笑)。曲がゆっくりになったり早くなったりするんです! すごい!

【会場笑】

 僕の方が、卓さんより先に(バンドに)誘われたと思うんですけど、僕はたまたま大学時代にジャズ研でベースをやってたんで、そういうのもあって、一緒にやろうって、光栄なことに誘われたんですけど。

で、とりあえず、河村さんの好きなウィリー・コロンの曲をやりましょうってことで、たぶん、卓さんが来た時に、「La Murga(ラ・ムルガ)」っていう曲をね、あの、♪タタッタタ〜、タタッタッタ〜……っていう(曲を練習していた)。で、(練習)やってるところを初めて見て、卓さんちょっと、目が点になってましたよね(笑)。

【Willie Colon / La Murga】

 あの〜、なんていうんですかね? 普通、管楽器は、リズム楽器にテンポを合わせるもんじゃないですか? 当たり前ですよね。みんなで一緒にリズムを作ってるわけですから。ところが、リズム隊のリズムを聴いてくれないで、トロンボーンを吹かれちゃうんで、もう、どーしようかな?! と思ったんですけど(笑)。それでも練習を積み重ねましたね。で、芝浦のインク・スティックっていって、今はもう幻のお店ですけれども、当時あったオシャレなお店で、そこでもライヴをやった。

 そうなんですよ。1989年ごろですかね?

 そうですね。そういうことでですね、その当時聴いてた曲を、ちょっと1曲聴いて頂きましょうか。

 そうですね。じゃあ、せっかくなんでウィリー・コロンの『El Malo(エル・マロ)』っていうデビュー・アルバムがあるんですけれども、この中から1曲目の「Jazzy(ジャジー)」を聴いて欲しいと思います。

 因みに、我々もこの曲をやっていました。すごく下手でした。

【Willie Colon / Jazzy 】

 はい、ウィリー・コロン、1950年ニューヨーク生まれのプエルトリコ人なんですけど、これ、デビュー・アルバムで、なんとこのとき17歳なんですよね。

 カッコいいジャケットですよね。

 はい。皆さん、サルサっていうの、聞いたことがある方もない方もいると思うんですけれども、要は、ニューヨークにいるプエルトリカンとかキューバンの人たちが、自分たちのルーツであるラテン音楽を、ニューヨークなりに解釈して、新しい音楽として提示したものが、サルサって言えるんじゃないかと思うんですけれども。

 だからサルサって、ラテン音楽なんですけども、ニューヨークで洗練されたラテン音楽ですよね。ニューヨークの音楽、といっても過言ではない。

 もちろん、キューバ、プエルトリコ、それがルーツになってまして、よく「サルサといえばキューバ」っていう誤解があるんですけど、キューバからの移民、プエルトリコからの移民、そういった人たちが、ニューヨークで、ジャズとかそういったものの影響を受けてニューヨークなりの解釈をした。だから、キューバ音楽、プエルトリコ音楽そのままじゃない、と。で、やっぱり、ニューヨークっていう場所がすごく大事だと思うんです。それが、サルサだと。

 そうですね。そして、このジャケットについて。

 今日は一応、レコード・ジャケットにまつわるお話、っていうテーマがあるんですけど。卓さん、このジャケット(ウィリー・コロンの『El Malo』)、どうですか?
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 すごく、カッコいいと思います! これはね、ラテンのアルバムの中では、かなりカッコいいアルバムだと思います。大体、とんでもないアルバム・ジャケット・デザインが多いんですけども、これはかなり洗練されてると思いますよ。

 後で、変なジャケットいっぱい持ってきたんで、お見せしますけど。

 これ、アート・ディレクターをどなたがされてるのか知らないですけど、ウィリー・コロンの初めてのアルバムにしては、かなり洗練されてるアルバムではないかと思います。

 黒と赤っていう。

 そうそう、だいたい黒と赤で全体が統一されてるんですね。あんまり、こう、色を多用していない。裏はどうなっているかというと、こんな感じですね。
WC_el_malo_back.jpg

 裏は、曲名と、右側にいるのはエクトル・ラボーっていう歌手です。まあ、いわゆるレコード・ジャケットの裏という感じ。それでね、卓さんにちょっと訊きたいなあと思っていたのが、これ、ウィリー・コロン、なんで二人いるんですかね?

 え?!

 なんで二人いるんですか?

 それは、アイディアってやつじゃないですか? いや、だから、そこが、何て言うか、このジャケットでそれが無くなっちゃったら、ただのワンカットになっちゃうので。

 でも、同じ人じゃないですか? エクトル・ラボーが片っぽでもよかったのに……。
WC_el_malo.jpg

 うん、だから、なんかこう……訊かれても分からないですよね、それは(笑)。分かんないんですけど、「こういう俺を見てくれ、でもこういう俺もいるぜ」っていう、なんか自分の二面性みたいな物を、このジャケットで、もしかすると伝えたかったのかもしれない、っていう……。

 ああ〜、なるほど。

 どうでしょうか? そういう読み解きは?

 それを聞きたかった!

 ああー、そうですか!(笑)。だってね、普通だったら写真をワンカットで持ってくるんだろうけど、これ、合成してるんですよね、多分。当時、コンピューターはない。コンピューターがないので、多分、フィルム合成って言って、フィルムで、こう重ねたりとか、なんかやってるんでしょうね。でも、それをね、さりげなーいワンカット写真のようなんだけれども、ちょっとそういう、こう、何て言うかな、工夫? ビジュアル的な工夫を唯一そこでしているっていう。しかも全体としてはかなりシンプルに、色数等絞っているっていうところがね、やっぱニューヨーク。キューバとかプエルトリコではなくて、ニューヨークの洗練?ていうのを感じますけどね、これは。

 本当にニューヨークって感じしますよね、コレは。

 文字なんかもね、遊んでないでしょ? ウィリー・コロンっていう文字と、エル・マロっていう文字なんかも、ああゆうのはゴシック体っていうんですけれども、あの、サンセリフっていう書体なんですけどもね、あんまり飾りのない書体ですよね。ああいうのも、普通だったらラテンの場合は、もうちょっと装飾的な文字を使うことが多いんだけども。

 すごい、すっきりした感じがする。

 もうね、かなりクール。クールに、冷たいぐらいの書体を、わざと使ってるわけですよ。で、当時のラテンのアルバムは、もっとこう、ギラギラした装飾的なものが多かったはずなんですよね。だから、そこに持ってきてこのアルバムは、かなり、ラテンの世界に対して、新しいデザインを提案しているはずなんですよね、当時……と思います。

 なるほど。「すっきり」って言いましたけど、もっと言うと「ひりひり」っていうかね、そんな感じがしますよね。

 いや、コレはね、ニューヨーク。まさにニューヨーク。当時のニューヨークらしさを、表してるんじゃないかと思いますけどねえ。

 じゃあ、せっかくなんで、この『エル・マロ』っていうLPをちょっと解説すると、「ワル」ってことなんですよね。なんで「ワル」かって言うと、要は、プエルトリカンは、『ウエストサイド・ストーリー』にしてもそうですけど、当時は、本当にワル、どうしようもない奴ら、白人とかから見たら、もうゴミみたいな……って言うのもアレだけど。まあ、今でもそういう差別みたいなのはあると思うけれども。

 人種/民族差別。

 そういうイメージを逆手に取って、「プエルトリカンはワル」。そこを前に押し出して、って言うことだと思うんですよね。

で、ついでに、その後もジャケット見て頂くと、この『エル・マロ』が67年なんですけど、ウィリー・コロンはとことんワル路線を追求していきまして、次がこれ、『ハスラー』。悪者たちがビリヤードやってるみたいな。
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それで三枚目がさっきの『ギサンド』。
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それで銀行強盗に入って、その後がコレ、『コサ・ヌエストラ』。スペイン語で言うとコサ・ヌエストラなんですけど、イタリア語で言えば、コーザ・ノストラ、まあマフィアってことですよね。で、よく見ると、機関銃じゃなくってトロンボーン・ケースだったり。
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で、その次が、『アサルト・ナビデーニョ』。“クリスマスの襲撃”って言う意味なんですけど、プエルトリコで、クリスマスの風習で“アサルト・ナビデーニョ”っていうのがあるらしいんですよ。なので、その“襲撃”を強盗にかけてみた、みたいな。
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それで、捕まって裁判にかけられて(『エル・フイシオ』)、脱走して『ロ・マト』。“この男を殺す”っていう。
WC_el_juicio.jpg WC_lo_mato.jpg

 こうやって見てみると、ウィリー・コロンのジャケットっていうのは、ちゃんとストーリーを持ってる。それで、アート・ディレクションがちゃんとされてる。だから、ラテンのアルバム・ジャケットの中では結構ちゃんとしてる。ずーっとLPを出していくんだけれども、ちゃんとこう、ストーリーを追っかけてるじゃないですか。だから、ただ、ラブラブなジャケットを作ろうっていうのとは、ちょっと違う。やっぱりちゃんと芯を持ってる。芯を持ってるミュージシャンのアルバム・ジャケットだってことが分かりますよね。そんなに多くないと思いますよ、ウィリー・コロンみたいなアルバムを作ってる人は。

で、それで、実はですね、私たちは、ラテンのバンドでずーっとこう、ライブをしながらですね、とうとうミニCDを出しちゃいました! 昔!
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 でも卓さん、その前に、あの〜、カメリア・グループはサルサ・グループだったんですけれども、一旦ちょっと解散しまして、今度はアラスカ・バンドっていうメレンゲのグループを……。

 そうですね。メレンゲのグループ。メレンゲっていう音楽を、ちょっとだけ皆さんに勉強してもらいたいんですけれども、え〜と、岡本先生、ちょっとメレンゲ行きますか?
メレンゲっていう音楽について。メレンゲって、一体どこの国の音楽ですか?

 カリブ海にドミニカ共和国っていうのがありまして、日本にもプロ野球選手がたくさん来てるんですけれども、そこで生まれた音楽で、サルサとかキューバ音楽とは、全然違う音楽なんですよね。

 これからちょっと聞いて頂きますけどね。

 で、「せっかくなんで、サルサじゃなくて誰もやっていないことをやろう」という、河村要助さんの意向がありまして……

 メレンゲを中心にしたバンドをやろう、と。メレンゲばっかりやってるバンドって、日本にほとんど、というか、全くなかったんですね。そこで我々がメレンゲ・バンドをやろうということで、河村要助さんが「バンド名はアラスカ・バンドだ」って言った。で、なんでだ? なんで暑い国のメレンゲっていう熱い音楽のバンドがアラスカなんだっていうことなんですよね。岡本さん、何て言ったんでしたっけ? 要助さんは?

 「ゾクっとするじゃない」って(笑)。

 寒くてゾクっとするって、くだらない冗談がありつつ、バンド名はアラスカ・バンド!っていう。河村要助さんていう人はですね、素直な人ではありません。まず、人が思う反対の方へ行くっていう人で、暑い国の曲をやる時には寒い国へ行くっていう。だから、そういう、こう、なんかね、常に反対思考みたいなものを、世の中が向かう方向とは反対の方向を行くセンスを持ってる。でもそのセンスが、はっきり言って素晴らしかったですね。

 いや〜、もう、素晴らしいどころじゃなくって、本当に我々は「先生〜!」っていう感じだった。あ、でも、メレンゲの話に行く前にひとつ。卓さんがバンドやってた中で、人生を変えるような出来事があったんですよね? 飲み屋で……。

 え? 何だっけ? 忘れちゃったよ!

 バンドの練習の後に……。僕らね、なんと毎週練習してたんですよ! 「今度練習しようよ」っていうと絶対集まらないので、とにかくスケジュールを決めて毎週○曜日、渋谷の河合スタジオで、と。

 週1で練習してましたね。

 はい。で、その後で必ず飲みにいくんですけど、で、飲んでる間に、箸袋に「卓さん、車描いてご覧」って。

 はいはいはい、思い出しました! 思い出しました! 思い出しました! えーとですね、私の人生で結構大きなことがですね、バンドの練習の後の飲み屋で起こりまして。実は、その飲み屋で酒飲んでる時に、河村要助さんは、イラストレーターなので絵を描くことがとっても好きなんですね。それで箸袋かなんかに、次々に絵を描いてくれるんですね。それで、私も一応デザイン科なので、昔予備校でデッサンもしてましたし、一応美大も出てるので、え〜、まあ、絵も描けるぞ、って思っていてですね、その箸袋に、僕も絵を描いたんですよね。

 「卓さん、車描いてご覧」とか言って。

 ええ、「車描いてご覧」とか「タンボーラの太鼓描いてご覧」とか言うんですね。で、河村要助さんは、先ほどお話ししたように、私にとっては大先輩で、大スターで、憧れの人です。その人とラテンのバンドをやって、お酒を飲めるような仲になりました。そしたらですね、ある飲み会の時に、私のその箸袋に描いた絵を見てですね、「卓ちゃん、絵が下手だね〜」…って、言ったんですね(笑)。そこが、私が絵をやめた大きなきっかけです。私はデザインが向いているかもしれない、絵描きはダメだと。その頃、まだ、絵を描くことにコンプレックスがありました。っていうか、絵を描きたかった! 実はアーティストにもなりたかった! 絵も描きたかった! 出来れば絵も描いてご飯も食べたかった! ところが、もう、一刀両断。尊敬している大先輩にですね、「卓ちゃん、絵が下手だね〜」って言われて、あ、俺はもう、絵はダメだ、って思ってやめました。それ以降、絵を描いていません。という、あの飲み会の夜が……。

【会場笑】

 多分、僕も隣にいたと思うんですが。

 ええ、やっぱりね、子どもの頃から絵を描くのが好きだったから美術大学に来たんですよ。はっきり言います。絵を描くのが、本当に好きで、美術大学に浪人もして入ったんですけど、もう、その日の夜の、その一言が、自分にとっては、ものすごく大きくて。逆に言うと、あ、デザインでご飯を食べた方がいいな、って言う風に踏ん切りがついたっていう。実はあの、そういう夜でしたね。ええ、そんなこともありました、はい。

 それで、寄り道しましたけど、メレンゲ。アラスカ・バンドでも、この人の曲をカヴァーしまして。後にオリジナルをやるようになるんですけど、まだ曲が何もなかったので、とりあえずこういう曲やってみようかなと思ってですね、アラミス・カミロっていう……。

 アラミス・カミロ、ちょっと皆さん、ジャケット・デザイン見てください。はい、これ見てみてください、このジャケット・デザイン。最低ですね〜。
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【会場笑】

 もう、あの、ラテンの最低のジャケットとは、まさにこういうジャケットでしょう!写真も大して良くもない。このセンスですね! これは、書体も、まあ、どうでしょう?この書体は? 志がほとんどない! 
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ただ、アラミス・カミロのロゴは、今見るとちょっと面白い。あの、左上に入ってるアラミス・カミロ、最近ちょっと、この辺の文字の流行がまたちょっとぶり返してるところがありますね。なかなか、アラミス・カミロのロゴ、面白いですよね。カミロの最後の「O」が、上の「S」とちょっと繋がっているという。まあ、たいしたアイディアじゃあないんですけどね。
aramis_camilo_LOGO.jpg

【会場笑】

 たいしたアイディアじゃないんですけど、そのB級な感じというか、三流な感じが、味を出している!

 ドミニカ共和国ですから、許して下さい。

 ええ、でもね、皆さん、誤解をしないで下さい。私今、最低と言いましたけど、かなり褒め言葉です!ええ、最低ですごくいいっていうものもあるっていうことですよね。ラテンの良さは、この何て言うか、ただ熱いだけの良さっていうか、ベタな感じ、こう、どこがいいんだろうっていう、まあこの感じがね……。じゃこのアルバムの中から1曲。

 そうですね、「Susana(スサーナ)」っていうのを聴いて欲しいんですけども。

 我々も練習しました!

 ええ。アラミス・カミロは、僕に言わせれば、“ラテンの鈴木雅之”! 写真を見て頂ければ。

 このアルバムの裏、鈴木雅之! はい、見て下さい、これ、このセンス!
aramis_camilo_back.jpg

 じゃあ、「スサーナ」聴いて頂きましょう。


【Aramis Camilo / Susana】


※1986年のライヴ・ヴァージョン。

 これがメレンゲという音楽なんですけれども、ドミニカ共和国、あの、ハイチと同じ島にあるんですけれどもね、2拍子が特徴ですよね。シンプルなリズムで、元々はアコーディオンをメインにしてた音楽なんですが、60年代の半ばくらいからこういうホーン・セクションが入ってくる。このリズムの基本になってるのがタンボーラって言う……。

 タンボーラ、皆さん覚えて下さいね、タンボーラ。

 卓さんが演奏してる写真があるんですけれども、これがタンボーラですね。
卓さん写真_3.jpg

 すいません、これ私でございます。タンボーラを叩いてる時代の私です。シャツ、ギラギラです(笑)。光っております! どこがデザイナーなんでしょうか?! かなりのセンスでございます、はい(笑)。

 これ、本当に面白い楽器で。ドミニカ共和国に行っても、別に楽器屋さんってないんですよね。で、例えばギターみたいにすぐ買えるってものじゃなくて、職人さんの家にいって頼む、みたいな。

 はい、この色っぽい女性の後ろで叩く私を見て下さい。いったいどういう関係なんでしょうか? はい、これメレンゲやってるところですね。
卓さん写真_4.jpg

 我々みんなメレンゲに魅入られまして。で、僕も最初にドミニカ行った時に、これから多分メレンゲ・バンドやることになるから楽器欲しいんだけどって言ったら、現地の人に、「それ、頼まないとないよ」って言われまして。3〜4日くらい、あ、もっとかなあ? 

 そうですね。僕もドミニカ共和国にタンボーラを買いに2回行きました。カリブ海に、タンボーラって太鼓を買いに2回行ったんです。もう本当にメレンゲが好きで好きで、日本ではそのタンボーラって太鼓の、手作りの太鼓を売ってなかったんで、ドミニカに行かないと手に入んなかったから、2回行きましたね。それで、楽器屋さんがないので、空港に着いてすぐ楽器屋さんに行って、楽器を注文するんですね、楽器を作ってくれる人に。そうすると、帰りぐらいに出来上がって。1週間くらいで出来上がって、それを持って帰ってくるっていう。そういう旅をしましたですね。これ(↓)、岡本さんです。メレンゲをやってる最中の岡本さんでございます。真ん中。
卓さん写真_5.jpg

 これ、多分、(原宿の)クロコダイル(でのライブのときの写真)ですよね?

 クロコダイルですね。

 で、さっきの卓さんの写真のタンボーラ、本当にこれ、手作りなんで、この、紐で締め上げるんですよね、チューニングは。

 そうですね、手で締め上げるんです。



 で、何と今日は、卓さんがタンボーラ、持ってきているので……、さっき練習してましたよね?(笑)

 いやいやいや、練習はしてないんですけど。

 どういうリズムが基本なのかっていうのを、ちょっとやって頂こうと思って。

【会場拍手】

 いやいやいや! 曲をやるわけじゃないですよ! ライブをやるわけじゃないですから! 今日は、メレンゲって音楽を皆さんに覚えてもらいたい。本当に素晴らしいんです。あの、ドミニカ共和国でメレンゲが鳴ると、こうやってこうやって皆さん踊るんです。
(踊ってみせる) 


※参考映像

一人で踊るんじゃないですよ。だいたい女性とペアで組んで踊る音楽なんです。本当に素晴らしい音楽なんです。私がタンボーラって楽器を実は担当してまして(タンボーラ準備)……

 これは、でも手作りじゃなくて、かなり近代化された……。
LP_tambora.jpg

 これでございますね。(タンボーラを見せる)
で、今日はタンボーラのリズムをちょっと覚えて頂いて。メレンゲっていう音楽はですね、タンボーラ、それからコンガっていうパーカッション、それからグィラっていう……
Guira_from_Dominican_Repub.jpg

 (グィラ見せる)
よく、ギロって言いますけど、あれはヒョウタン。本当はグィロっていう発音なんですけど。メレンゲで使うのは、これはグィラっていう女性形になってまして、見て頂くと分かる通り、ギザギザっていうか、でこぼこですね、缶を手で打ってるんですよ。で、こういう音がする。
(グィラを鳴らす)

 手作りで、こういうものなんですよ、本当に。ところが、プロがやると全然音色が違うんです! その辺に落ちてる缶カラの音じゃないんですね。同じもの使ってもプロがやると本当にいい音で。
guira_2.jpg

 じゃあ、まず、ちょっと卓さん、タンボーラの、基本的なのを……

 さっきの曲「スサーナ」ありますよね、覚えてますかね? えっとね、ちょっと久しぶりに叩きますんで。
(タンボーラ実演)

【会場拍手】

※参考映像

 実は今日、アラスカ・バンドを一緒にやってた森田君、グィラ奏者が来ているので、ちょっと、一緒にね……

 はいはい! ちょっと二人でやってみましょう!

 コンビネーションがどんな感じか……

 メレンゲのリズムですね。

【タンボーラとグィラ実演】
【会場拍手】

※参考映像

 あの〜、プロじゃないので、許して下さい! これでご飯食べてませんので! はい、このくらいのぐらいで(笑)。このリズムを頭の中で描いて頂きながら、次のアラスカ・バンドの曲を聴いて頂ければと思います。ありがとうございました。

【拍手】

 いや〜、ちょっと久しぶりに叩きましたね〜! なんかもう、手の皮がね、薄くなっちゃってるから、痛い痛い! 明日のデザインでは、手が震えます! 明日はまっすぐな線が描けません! それでは、J−WAVEでも、当時はこの曲ずいぶん流れました!

 作曲&アレンジは私なんですけど、作詞が河村要助さん。アラスカ・バンドで「私の彼は雪だるま」。

 オリジナル曲です。

アラスカ・バンド / 私の彼は雪だるま
※↑こちらで聴くことができます!

S&O ありがとうございました!

 恥ずかしい!

 でも、たまに聴くと、そんなに悪くないんじゃない?(笑)

 そんなに悪くない気がしますね!

 ねえ!

 何で、もっとメジャーになれなかったんでしょうね?

 でもこれ、当時、蒲田の有線でリクエスト10位かなんかで。

 大変なもんですよね! ということで、メレンゲの時間は、そういうことで(笑)。

(続く:後半はいよいよアルバム・ジャケットを斬る!です)
posted by eLPop at 01:10 | 岡本郁生のラテン横丁