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追悼ロベルト・トッド

2016.07.24

8月に来日するベネズエラの大歌手セシリア・トッドの兄で、ギタリスト、クアトロ奏者、プロデューサー、評論家であったロベルト・トッドが7月23日に亡くなった。近年は認知症を患い、療養中であった。享年79歳。

ロベルト・トッドは1937年カラカス生まれ。家庭の伝統でベネズエラ民衆音楽にしたしみ、クアトロとギターを独学。のちにクアトロ独奏をフレディ・レイナに師事。1970年代末にはブラジルに留学し、ギターを学んだ。

ロベルト・トッドは、ベネズエラとブラジルならびにアルゼンチンの音楽交流に大きな功績を残した。とりわけ、ベネズエラにショーロとボサノバをいち早く紹介したことは、1960年代後半以降の都市ベネズエラ音楽の展開に大きな影響を与えた。演奏家としては、ミゲル・デルガード(ギター)、クリストバル・ソト(マンドリン)らとともに《ロス・アナウコ》を結成。リリア・ベラ、シモン・ディアスらの歴史的名盤の伴奏をつとめ、ベネズエラ都市弦楽の展開に大きな影響を与えた。

プロデューサーとして、ジンボ・トリオ、ファクンド・カブラル、ブエノスアイレス8、パコ・イバニェス、ジョアン=マヌエル・セラー、メルセデス・ソーサなどラテンアメリカ〜スペインの大音楽家のベネズエラ公演を制作。また、インディオ・フィゲレード、フルヘンシオ・アキノ、アンセルモ・ロペス、セシリア・トッドらベネズエラ伝統音楽の音源も手がけた。のちにベネズエラを代表するクアトロ奏者となるチェオ・ウルタードの才能をウルタード10代のころから見出し、国内外に紹介する役割も果たした。

音楽評論家としても健筆をふるい、日刊紙『エル・ナシオナル』をはじめ多くの音源ライナーノーツを手がけた。

ロベルト・トッドと私は、1990年前後、個人的に深い親交を持った時期があった。サルサの影響から抜けだした新しいアフロベネズエラ音楽のバンドを二人でプロデュースしようと、ロベルトは《CUMBOTO》というユニット名まで提案してきた。ちょうどそのころ、レコード会社との交渉のこじれから新作を発表できずにいたセシリア・トッドの2作品『Una sola vida tengo』(1992年)と無題(90年頃録音、未発表)のDATを、ロベルトは「陽の目を見させてやってくれ」と私に託したことがあった。その中から2つのトラックが、このたびセシリア・トッドの来日記念盤で使われる運びとなった。感謝をこめて評論記事にもライナーノーツにも、ロベルト・トッドの名を本文中に記した。彼の病状は親しい友人から伝え聞いていたので、遠からずこの日が来ることは予感していた。

ありがとう、ロベルト。セシリアの、本当の意味での「初」といえる日本公演を必ず成功させます。



「coplas」《Liria Vera vol.2》(1976年録音より)伴奏Los Anauco(クアトロとコーラス、ロベルト・トッド)
posted by eLPop at 10:43 | 石橋純の熱帯秘法館