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「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.1」(後半)

2016.03.11

去る2016年2月13日(土)、新宿のバー「Con Ton Ton」にて開催した
「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.1」!
後半のトークを採録します。デスカルガにさらに迫っていきますよ!

(前半より)

★そして・・・
「<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.2」は、
同じく「Con Ton Ton」にて、4/23(土)19時より開催!
次回のテーマは「60年代」です。

では後半のトークをどうぞ。
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 じゃあ次は、ジャズというか、ジャム・セッション、デスカルガの方に戻りますけど。キューバじゃなくて米国で最初いつ頃こういうのが録音されたのかな?と考えると、よくわからない。キューバではやっぱり1956年だと思うんですけども、でもその前に、40年代のニューヨークでは、さっきから名前が出てるノロ・モラレスもいたし、ホセ・クルベーロ、ティト・プエンテ、マチートとかもいたんですが、デスカルガとは言わないですよね。あれはジャズっていう感じですよね。どうですか?

 そうですね、デスカルガっていう、まあその文字になって商品になったっていうのは、ないですよね。

 マチートなんかもずっと40年代やってたわけですけど、やっぱりちゃんとテーマがあって、アレンジがあって、で、ソロがあって、エンディングがある、みたいな。デスカルガはそれとはちょっと違うということなんですかね。

 録音はされてないけれども、昔からあって、要は、その中からマンボが発明されたっていうのが……。

 その、マンボが発明された、っていうのをもう少し詳しくお願いします。

 うん、「マンボは一体誰が発明したか」っていうのが昔からね、よく言われるんですけど、結局、そういうデスカルガ=ジャム・セッションの中から、面白いなって思ったようなスタイルを、実際に曲として、ひとつの曲として形にしていったっていうのがあるんですよね。リズムとか、あと、パーカッションとか、あと楽器演奏のインプロビゼーションをやっていて、その中で、スタイルとして、キメはなんかこんなキメがカッコいいよ、みたいな感じで、それをもっと拡大解釈していった、ていう感じでマンボって言うのが多分出来て来たんじゃないかなという感じなんですけど。

 まあ、色々な人たちが、「俺が一番最初にやったんだ」って言ってますけどね。それが実際にレコードとして形になって出てきたのが1945年前後くらいなんで、だから、録音としてはマンボが先にあったわけ。デスカルガから生まれた、あとから出て来たマンボの方が、録音としては先にあった、と。というのは、マンボは3分とかの中に収まるから、先に録音が出てきたと思うんですよね。それに比べて、デスカルガはもうちょっとこう、緩い感じで長くやるから、なかなかレコードには出来なかったんだと思うんですよ。だからこの辺の、マンボがどうやって形として出来上がり、キューバの外、ニューヨークやプエルトリコ、メキシコ、日本などに広がっていったかというのを、また次回以降のトークライブでやったら面白いんじゃないかなと思うんですけどね。

 マンボって、いわば、そこのパートのことを言うと思うんですよね。パートというか、セクションというか、そこのところをマンボと。だからいまでも、マンボって言いますもんね、サルサでね。メレンゲでも言いますしね。

 リフがね、こうすごく強力に盛り上がるところをね、マンボと言いますよね。

 そうそう。だから多分マンボっていうのは、そこのセクションのことを最初は言ったんだろうな、と。ちょっとまた話しがズレちゃうかもしれないけど、色んな、なんとかオール・スターズっていうのがいっぱいあって、アルバム・ジャケットを見ると曲ごとにリズム名が書いてあったりして、で、デスカルガって書いてあるのもあるし、マンボって書いてるのもあるし、グァラーチャとか、チャチャチャとか、ちゃんと書いてあったりするんだけど、「でもこれって、リズム同じじゃね?」みたいな(笑)。何なんだろうな? と思ってたんですけど、多分マンボって書いてある曲は、そのセクションがはっきり聴こえるやつなんだろうな、と、勝手に想像してるんですけど、どうですかね?

 そうですね、だから「俺がマンボを作った」って言うような人たちの「この曲だ」って言う有名曲を聴くと、結構そこのリフのところがすごい強調されてて。もう、最初から最後までリフを強調するっていうね。アルセニオ(・ロドリゲス)なんかも「ソン・カバージョ(Son Caballo)」っていう、「これがマンボ第1号作だ」なんて言ってるんですけど、それは他の曲と比べて最初からもう! あの人はソン・モントゥーノ(Son Montuno)の人だからそういうのが強いんだけど、その辺、もっとリフを強力に打ち出してるっていう感じですよね。

 伊藤さん、どうですか?

 そうですね、やっぱり僕も向こうでマンボって言うときに、さっきも言いましたけどメレンゲでも盛り上がるとこ、細かいリフで盛り上がるところ、皆ああいうのをマンボって言うイメージっていうか、概念があると思うんですけど、まあどっかでそれにペレス・プラードがね、「ウ!」をつけたところから、なんか、「ウ!」だけがマンボかっていう、そういう誤解があるようなんですけど。
【会場爆笑】

 「誰がマンボに“ウ!!”をつけた」っていう、吾妻光良& The Swinging Boppersの曲がありますけどね(笑)

 別に「ウ!」がなくても昔はマンボだったと思うんですけどね。なんでか「ウ!」だけが偉くなっちゃった(笑)

 「ウ!」じゃなくて「Dile!」だっていう話も……。まぁ、こじつけだと思うんですけど(笑)

 そうなんですよ。ま、ペレス・プラードが世界に広めたっていうのは間違いないですよね。

 それは間違いない。

 間違いないですよね。で、ペレス・プラードもね、結構誤解されてる人だと僕は思ってて、やっぱり若いときの演奏を聴くとめちゃくちゃ凄いんですよね。で、自分のバンド以前に参加していたオルケスタ・カシーノ・デ・ラ・プラヤってところにいたときの演奏とかも、ソロのとこになるともうめちゃめちゃ、何だこれは? っていうエキサイティングなソロをやったりするんで。結局ね、逆にその「ウ!」っていうイメージが強すぎちゃって、何かダサい(笑)、みたいな感じになっちゃったんですよね。これはちょっと、おいおい、ペレス・プラードの凄さっていうのを、実は聴いて頂きたいなぁなんて思ってますけど(笑)

 さて、次なんですけど、これがね、結構面白いっていうかね。

 一般的にはさっき聴いて頂いた『キューバン・ジャム・セッション』っていうのが、いわゆるデスカルガの最初の録音だと言われてるんですけど、その4年前にノーマン・グランツっていう、ヴァーヴとかパブロというレーベルを設立したいわゆるジャズ系のね、プロデューサーで、ディジー・ガレスピーの名盤とかいっぱい作って、特にアフロ・キューバものなんかをいっぱい作った人ですけど、その人が、ベボ・バルデスとあと何人か、キューバ人とハイチ人を使って、デスカルガっぽいのを録音してるんですね。それが1952年なんですけど。有名な「タブー」なんかも演ってるんですが、まあ全体的にデスカルガ、ジャム・セッションぽくて。一番最後の曲が特にデスカルガっぽい曲なんで、ちょっと聴いて頂きたい。
【PLAY♪ Con Poco Coco / Cubano Andre’s All Stars】
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 はい、凄い貴重な盤ですよね、これ。ノーマン・グランツのプロデュースで「コン・ポコ・ココ」聴いてもらったんですけど、いまの、因みにピアノはベボ・バルデス。チューチョ・バルデスのお父さんですね。2〜3年前に亡くなった。あとは、一応メンバー6人みたいなんですけど、2〜3人はハイチ人ですか?

 らしいですね。色々なものの本で見ると、2〜3人はハイチ人。なんかベボ・バルデスがこの時期ハイチで結構仕事してたみたいですよね。で、ハイチのレコード会社で結構録音残したりとかしてて。多分まあそういう関係でなんじゃないかなと。

 これ、録音はどこなんですか?

 それがね、ちょっと分かんないですけどね。キューバか、ニューヨークか、ハイチか。ハイチの可能性もありますよね。

 今、聴きながら3人でちょっと話してたんですけど、これ1コードね、まあファンクというか(笑)

 完全にそうですよね。

 後は、ジャズでいえばモードみたいな感じ? その辺が何かデスカルガの神髄というか、そんな感じがちょっとしましたけどね。一般のジャズとちょっと違う感じですよね。

 だからさっきね、岡本さんが言ってたのが、この辺の曲をマイルス・デイビスとかあの辺の人たちが聴いて、それでモードをやったんじゃないか、と言うような……

 凄い無理矢理な説なんですが(笑)。こないだシンコー・ミュージックから出たジャズの本があるんですけど、その中で、PANART(パナルト)盤は大ヒットしたので、やっぱり当時はジャズの人とラテンの人がものすごく……
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 近かったですよね。

 ええ、交流もあったし、因みに「パレイディアム」っていうダンスホールとジャズ・クラブの「バード・ランド」はブロードウェイを挟んでちょうど向かい側にあったんで、お互いに、見に行ったりしてたって話も聞きますので。僕は、PANART盤を聴いて、1コードもしくは2コードのデスカルガから、マイルスはモードを思いついたに違いない!っていう……

 パクリですか?

 っていう、無理矢理な暴論を書いて、誰にも何にも反応して頂いてないんですけど(笑)
【会場笑】
まあ、それは当たってるかどうか分かんないけど、でも聴いてたことは絶対間違いないと思うんですよね。伊藤さんどう思います?

 そうですねぇ(笑)、パクリかどうかは僕も見てないんですけど(笑)、でもやっぱりさっきちょっと岡本さんが仰ってたんですけど、普通ジャズだと、これノーマン・グランツが作ったんだったら、必ずテーマやってね、それからアドリブってやると思うんですけど、もういきなりこのスタイルっていうことはですね、そういうのが普通だったから、ノーマン・グランツも面白いなと思ってやったと思うんです。
それって例えばね、さっきファンクとかね、それからヒップホップに対してこうリリックを当てていくとかですね、またはその、延々とひとつのメロディーで踊ってく、ルンバでもボンバでも何でもいいんですけど、黒人芸能のやっぱりすっごいパワーっていうか力っていうか、それがデスカルガにはあって、そこがジャズのジャム・セッションと違うところになってますよね。

 デスカルガは便宜的にジャム・セッションっていう風に訳されてて、僕も原稿書くときによく「デスカルガ(ジャム・セッション)」って書いちゃって、まぁそれはある程度は当たってるんでしょうけど、ちょっと違いますよね、本質的な部分はね。……っていう感じがいま、聴きながらますますしてきたんですけどね。

 あと、これ、10インチ盤っていう、SP盤とLPやシングルとのちょうど中間に数年間だけ出てたような、いわゆる、大きさもシングル盤とLP盤のちょうど中間の大きさの盤ですよね。で、これってだいたい最初はシングル盤を寄せ集めて、ひとつのレコードで聴けるようにしようというような発想だったんですけど、ノーマン・グランツみたいな頭のいいというか、したたかっていうか、そういう人が、「あ、これだったら長い曲録れるぞ」ってひらめいてね。それで、彼がそのころ聴いてた、身近にいたミュージシャンの中で「あ、これおもしろいから録ってみようじゃないか」みたいなバンドをね、そういう発想で録ったんじゃないかなって思ったりしますけどね。

 続いてじゃあ、さっきのPANART盤のシリーズの一環ですよね。

 そうですね。カチャーオ。さっき聴いて頂いた『キューバン・ジャム・セッション』がヒットしたんで、その後どんどんどんどん色々な同じ様なのを出していくわけですよね、PANARTレコードが。で、その中で、『キューバン・ジャム・セッション』のシリーズではないんですけど、翌年にはもう出したんです。で、やっぱりカチャーオの凄さと、あと……まあちょっと先に聴いて頂きましょうか。前のとは、またちょっと違う感じだと思います。
【PLAY♪ Descarga Cubana『Descargas Cubanas』/ Cachao y Su Combo】


 これが、さっきのキューバン・ジャム・セッションの翌年1957年にカチャーオが出したやつなんですけど。スタイルとしてはまあデスカルガなんですが、やっぱりカチャーオが凄いというか独特だなというのは、完全に曲になってるんですよね。いままで聴いてきたデスカルガって、どっちかっていうと、みんなでワーっと勢いでやるみたいな感じの録音で、そこが面白いところでもあるんですけど、カチャーオになると、もう、3分とか4分っていう曲の中で、完全に起承転結を作っている。この曲は最初から最後までソロ回しだったんですけど、ソロを、もう、次はこの人のソロにいくぞっていうのが、曲聴いてると分かるみたいなね。あとは、誰かのソロになると他のメンバーが音量落とすとかね。さっきの『キューバン・ジャム・セッション』を録音して、その次の年に、「よし、売れるからやろう」って言った時に、こういう音を作っちゃう。やっぱりカチャーオっていうのは凄いなぁっていうか……。

 確かに何かね、さっきのとりあえずガーとやるっていうのではなくて、ちゃんと構成があって、何かホント……なんでしょうね、ヒップホップのミックスみたいのを即興でやってる感じしますよね。

 カチャーオはね、このあとニューヨークに行って、70年代にはSALSOULレーベルからソロも2枚くらい出すんですけど。
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 デスカルガのカチャーオって感じですよね。

 デスカルガのカチャーオなんですけど、でもそう言われてみれば、デスカルガのスタイルでやってるんだけど、ちゃんと曲の構成がなされてるなって、いま思いましたね、本当に。

 じゃあ、続いてまた50年代半ばのPANART盤から聴きたいんですけど、次が、ニーニョ・リベーラのやつですね。やっぱりPANART盤って凄くヒットしたんだろうなって、ま、想像するしかないんですけど、『カリートの道』っていうアル・パチーノが主演した映画の原作(エドウィン・トレス著)がありまして、その中に、ホントにラテンのことがいっぱい出てくるんです。PANART盤のフリオ・グティエレスの話もあって、小説の中なのでたぶん架空の話だとは思うんですけども、舞台としては70年代なんですが、その『キューバン・ジャム・セッション』の威力がどれだけ凄かったかっていうのが、あれを読むと感じられる。面白いなって僕は思ったんですけどもねぇ。
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 そうですよね、PANART社も大ヒットで次々に録音して、さっきのカチャーオのは番外編みたいな感じだった。で、『キューバン・ジャム・セッション』のVol.3が、今度のニーニョ・リベーラ。そのあとファハルドとかね、Vol.5までありますよ。で、さっきのカチャーオのまた次の年に録音したのがこのニーニョ・リベラの『キューバン・ジャム・セッション Vol.3』です。
【PLAY♪ Montuno-Swing『Cuban Jam Session Vol.3』/ Niño Rivera】


 ニーニョ・リベーラで『キューバン・ジャム・セッション』の第3集ですね。その中から「モントゥーノ=スウィング」という曲ですね。

 「モントゥーノ=スウィング」! カッコいい!

 ニーニョ・リベラって、キューバ好きな人の中ではトレス奏者ってことで有名ですけど、向こうの音楽家協会の会長もやってたりしていて、結構やっぱり色々な音楽的知識っていうのが凄かったみたいですよね。フィーリン・ムーヴメントの主要な1人でもあった。それでこの人はですね、1949年に「クビバップ」っていう、もう完全にバップを意識した録音を残してたりなんかして、やっぱりキーパーソンの一人だなあという感じがしますね。なかなか最後まで、キューバの外に出なかった人なんで(あまり知られていませんが)……

 同じデスカルガといえども、やっぱりリーダーというか、やってる人によって、当たり前ですけど全然違いますよね。そのへんもやっぱりなんかこう、ある意味ジャズっぽいというか。ジャズっぽいっていう言い方はちょっと違うと思うけど、これなんか聴いてても、やっぱりジャズとラテンの相互関係みたいのを凄く感じるところがありますね。
ええと、一応PANART盤は、いまわりと手に入りやすいと思うんで……。

 そうですね、手に入りやすいです。一番最初にかけた第1集と第2集は、CDでうちの会社から出してるんで(笑)
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 そうですよね(笑)

 今日は、1〜2枚持ってきてるので、よかったらあとで声かけてください(笑)

 で、ちょっとニューヨークの方にまた戻りたいんですけど、さっき言ったように、こういうPANART盤に凄い影響を受けて、さっきのアレグレ・オール・スターズですよね、まず出来たのが。そのあと、ティコ(TICO)って言うレーベルもありまして、それもオール・スターズを作って、色々なオール・スターズが誕生しまして、で、ファニア・オール・スターズもその流れの中にあるわけですけども。ま、ファニアはちょっとね、レーベルのスタートが遅かったんで、体力つけてからってことで1968年くらいなんですけど。
ティコ・オール・スターズは、1966年でしたかね。元はこんな感じの(ジャケット見せつつ)ヴィレッジ・ゲートでやって、これが3集くらい出てるんですけど、色違いですね、ジャケットが。ジョニー・パチェーコが入ってたりとか、チャーリー・パルミエリですね、ティト・プエンテも入ってますし、カンディード、まだご存命のカンディードが入ってたりとか、という感じなんですけども、これがなんと、70年代ですね、河村要助先生のイラストで日本盤もちゃんと出ました! ということなんですね。
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 じゃあ、その中から1966年のヴィレッジ・ゲート……“サルサ・ミーツ・ジャズ”っていうイヴェントをずっとやってたところですけれども……そこでのライブで、曲が「カルガス・イ・デスカルガス(Cargas y Descargas)」っていう、なかなか興味深いタイトルですよね。「カルガ」と「デスカルガ」。なんですかねぇ? この曲を聴くとその秘密が分かるのかどうか?というところですけども(笑)。じゃ、そのティコ・オール・スターズ聴いて頂きたいと思います。
【PLAY♪ Cargas y Descargas『Live at Village Gate』/ Tico All Stars】


 はい、ティコ・オール・スターズ、ヴィレッジ・ゲートでのライブから、「カルガス・イ・デスカルガス」お送りしておりますけれども、凄い盛り上がりですよね。で、やっぱりこう、ニューヨークらしいなっていう、凄いぐいぐい来る感じとか。あとその、キメもけっこう緻密というか、複雑になってますよね。だいぶやっぱり雰囲気違うけれど、でもこれ、お客さんの盛り上がりからすると、やっぱりこういうの、凄い人気があったんだなぁっていうのが良く分かるんですけどね。

 やっぱりアレンジが凄く細かいし、それからその、タンギングっちゅうか、キレがキューバより鋭いですよね。街のリズムが全然違う感じがしますよね。

 そうですよね、そこがやっぱり面白いところですよね。やっぱり街の音が、こういうものに凄く現れるっていうのが、良く分かりますよね。まあ、時代もあるけど、本当に街の、なんか風景が出てくるよね、それぞれの録音でね。

 あ、あともうひとつちょっと。なんかデスカルガって……、ま、ファニア・オール・スターズとか、この辺からサルサっていうのがどんどん形成されるわけじゃないですか。デスカルガって、キューバでもプエルトリコでもニューヨークでも、少し時代をおいて、また必ず出てくるっていうか隆盛するみたいなのがあって、それを考えると、なんか行き詰まった時、次のものを……というときに(デスカルガが)出てくるって思うんですよね。

 だからキューバだと最初にあの辺をやりだした時(1940年ごろ)にはマンボっていうのが出来たわけですし、それが飛び火して、ニューヨークでサルサが出来て、っていうね。あと、キューバだとそのあと(70年代)、エストレージャス・デ・アレイート(Estrellas de Areito)っていうのがあるんですけどね、あれなんかは70年代にやっぱりロックとかファンクとか、若者に凄い人気あったんだけど、ああいうのが出てきたあとに、「やっぱりソンをもう1回やろう」っていう風になって誕生したというような事情がある。
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 プエルトリコのプエルトリコ・オール・スターズなんかも、やっぱりあの時代(70年代半ば)って、ニューヨークから島に戻るみたいな、そういう様な気分と関係あったりするんですか? あんまりそれはないんですか?
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 あ〜、やっぱりタイミングとしては、ニューヨークから島に移った頃にやっぱり自分らの(音楽を作りたい)、っていう感じもあるし、そういうところで、「じゃあとりあえずジャム!」っていうかね、パーマネントじゃないメンバーが集まって演ったりっていうのはありますよね。逆にそれがまた行き詰まってきた時は、ま、もうちょっとあと(80年代初頭)にバタクンベレ(Batacumbele)っていうのがありますけど、今度はキューバに目を向けていって、そこでやっぱりジャム風に始まったっていう、やっぱり常にジャムの混沌から何かが生まれていくわけですね。
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 なんか、次の時代への装置みたいなね。そんな感じを受けるんですよね。時代をみてると。

 やっぱりあれですかね、伝統的にデスカルガっていうか、ジャム・セッションのね、さっきのコントロベルシアもそうだったしフィーリンもそうだろうし、「とりあえずセッションやる?」みたいなとこからなのかな、っていう気もしますね、そういう意味では。

 そのあとに、新しいスタイルが出来てくる気がしますね。

 だから、ある意味この60年代も、デスカルガが流行ってるのは、やっぱりひとつ、凄い試行錯誤という感じがあると思うんですよね。ニューヨークで60年代っていうのは、キューバ革命があって、どうしようか…みたいな雰囲気があって、で、まあ半ばになるとブーガルーになるんですけど、その中での試行錯誤のひとつの手段(がデスカルガだった)というか……。そういうことなのかな、と、いまお二人の話聞いてて思いました。

 僕、最近特に興味があるのは、これ、60年代半ばじゃないですか。キューバはその時にデスカルガやってたのかどうかっていうことなんです。PANARTが50年代でしょ、で、キューバ革命になって、そのあとの音源ってほとんど入ってきてないじゃないですか。録音されてたとしても。まあ、やってたんだろうけども、その60年代にね、デスカルガとかそういう文化っていうのは、どうなってたのかな、っていう。

 デスカルガっていうスタイルではないんだけど、60年代になって流行したのが、ニューリズムって言ってね、ページョ・エル・アフロカンとか、パチョ・アロンソとか、フアニート・マルケスとか、そういう人たちが、モサンビーケ、ピロンやパ・カとか、色々なリズムを出してきたんですよね。あれって、いわゆる襟を正して演奏したりするようなもんじゃなくって、もう完全にみんなでわいわいやって楽しんだりっていうところがあって、で、やっぱりソロのパートみたいのが必ずあったりするから、結構そっちの方に行ったと。革命が成功していままでの圧政から解き放たれた!みたいな感じで流行ったっていう風に、一般的に言われていますけど、その辺の音楽がデスカルガにとって代わったスタイルだったんじゃないかなという感じがします。

 デスカルガみたいのを、演らなくなったってことは、絶対ありえないですよね?

 うん、そうですね……。たぶんやってたんだろうけど、まあ、あと……、そうか、イラケレか……。イラケレもデスカルガと言えば、デスカルガですよね。
 70年代、60年代って、キューバは、我々外の人間が思ってるよりも、さっき言ったロックとか、ポップスとか、そういうのが流行ったんですよね。

 最近、ほら、変なの出してるじゃないですか(笑) 

 ファンク系のやつとかね(笑)
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 面白いですよね、なんつうか、今まで知られてなかったような感じの。

 そうなんですよね、YouTubeやなんかで検索すると、1970年代ですけど、『ソウル・トレイン』とまったく似た様なね、『パラ・バイラ』っていうテレビ番組があるんですけど、それの70年代終わりくらいの見ると、まったく『ソウル・トレイン』なんですよね。セットもソウル・トレインで、音楽も結構ソウル・トレインの、いわゆるソウルを流して、キューバの若者が踊ってるみたいなね。で、ロックとか出てきたり、って言う風に、思ってるよりも、そういう欧米、特に米国のものは流行ってて、そういうバンドもあって。逆にだから、さっき言ったエストレージャス・デ・アレイートとかは、やっぱりそういうような、フアン・パブロ・トーレスとかファンクっぽいのやってた人が大真面目にデスカルガに取り組んだっていうことで、「あ、これ面白い」ってなって、またその後の、ソン14とかグルーポ・シエラ・マエストラといったグループが出てくるきっかけとなったアルバムですから。ソンがまた浮上してくるっていうね……。だからまあ、やっぱり必要なときにはデスカルガはみんなやるんですよ(笑)

 なんかいま話してる中でもいろいろ突き詰めたいというか、知りたいことがいっぱい出てきたので……、まあ2回目、3回目と、何やるかちょっとまだ決めてないんですけど。

 じゃあ、そろそろちょっと時間もなくなってきたのでとりあえず次の曲で締めましょうかということで、最後はプエルトリコのデスカルガですかね。とはいっても、いままで紹介してきた曲でも、ミュージシャンとしては、皆プエルトリカン、キューバ人がやってるんで、特に、というのも変な気がするんですが、でもやっぱりプエルトリコにはプエルトリコならではのね、っていうのがありますから、その辺のところをちょっと、最後に聞かせてもらえればなあと思うんですけれども。

 そうですね、プエルトリコはいわゆるディスケーラ(Disquera=レコード会社)が録音してっていうのは随分後からなんで、やっぱりニューヨーク系の、米国系のレコード会社(が中心)っていうことになって、その、ニューヨーク録音のミュージシャンの中にプエルトリカンもいっぱいいるということで、プエルトリカンだけのデスカルガっぽいのっていうのはあまりないんですけど、ちょうど67年に、ファニアとかのアレンジャーで有名なレイ・サントスさん、今年のプエルトリコの「ハイネケン・ジャズ・フェスティバル」でオマージュを受ける、まあそういう有名な人ですけども、彼が『ロス・メホーレス・ムシコス・デ・プエルトリコ(Los Mejores Musicos De Puerto Rico)』、“プエルトリコのベスト・ミュージシャン”というタイトルのアルバムで、ミュージシャンを集めて、一種のデスカルガっていうか、セッション的な作品を作っています。

 どんな人がいるかっていうと、当時のグラン・コンボからは、歌でアンディ・モンタニェスとペジン・ロドリゲス、それからサックスのエディー・ペレスが入ったり、珍しくロベルト・ロエナがコンガを叩いてたりですね、あと、ピアノがですね、ルイシート・ベンハミンっていう人で、ニューヨークで凄く活躍した人なんですけどあまり知られてませんがパポ・リッカが一番好きだっていうピアニストの人とかですね。あと、リト・ペーニャという、オルケスタ・パナメリカーナのリーダーとかですね、ティト・ペレスさんとかですね、そういう人が集まったバンドなんですけど、それの曲をちょっとかけたいと思います。
【PLAY♪ La Costa Brava『Los Mejores Musicos De Puerto Rico』】
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 ……はい、ロス・メホーレス・ムシコス・デ・プエルトリコでした。

 はい、では、「三角関係」の1回目ということで、色々思うことを喋ってみたり、かけてみたんですけど、うまく伝わったかどうか、わからないんですが。まぁちょっと1回じゃ、とっかかりになったくらいだと思うんで、だらだら続けていければなあと思っておりますので。今日はどうもありがとうございました!

(了)
posted by eLPop at 14:23 | Calle eLPop