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バナナ・ボートは北へ

2016.02.14

日本で唯一人、世界中でも二人しかいない「カーニバル評論家」のZZz-白根氏より、eLPopに寄稿文が届きました。今しも、宴たけなわのリオで格闘中だそうであります。



飯を食うのは音楽を聴くのと同じ、と言ったのは誰であったか、そのお言葉は限りなく重い。飯を食わないと肉体は死ぬ。音楽を聞かないと精神が死んでしまう。点滴でも生命は維持できるが、もはや生きている実感は持てない。皮膚でも音楽は聴けるが、心が死ぬと音楽は響かなくなる。

さてさて、音楽の話ではなくて、まずは食い物の話をしよう。長期間にわたって海の向こうの、しかも日本食や中華メシはおろか、食物自体が不安定供給状態の地に出向くと、とにかく飯を食うことがいかに人間にとって重労働かしみじみ実感させられることが多い。このような地に長居をしていると、そのうち腹が減ること自体が腹立たしくなってくる。空腹感とはなんとまた無粋なものを人間は身につけたのか、理不尽にも八つ当たりしてみたり、食したいものリストに頭を悩ませたりと、悪あがきに身をよじる事たびたびである。

その昔、南米某所でバナナ・ボートをヒッチハイクしたことがある。年がら年中酔っ払い気味の船長と港町の酒場で知り合い、無理を承知で頼んでみたら、あっけなく乗船許可が出た。とうに耐用年数を越えた小型のオンボロ貨物船で、エクアドル南部のひなびた港町から、輸出用のバナナを各地に寄港しながら積み込み、最後はメキシコまで北上するという。もうすでに、甘い香りのモンキー・バナナやらまだ熟していない調理用の青バナナの箱が、船倉に半分ほど積み込まれていた。船員手帳もないし、果たして国境を越えられるのかは不明だが、安請け合いの船長はメキシコまで面倒みてやるからオレに任せろと胸を張っている。文字通り渡りに船とばかり、喜び勇んで乗り込んだのであった。

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甲板の片隅に寝場所を確保し、ハンモックをぶら下げて出港となった。そろそろメシどき、美味い魚でも食わせてくれるかと思っていたら、酒臭い船長に軽くいなされてしまった。「お前の飯はバナナ、下の船倉のはいくら食ってもいいぜっ!」

それからの3日間、朝昼晩の三食はただひたすらバナナだけとなった。海の上で、他に選択の余地は皆無。こうなると、摂取量で差別化を図るしかない。朝3本、昼4本、夜6本などとサル知恵で工夫してみても、すでに翌朝にはバナナを見るのもいやになった。もはや美味な飯を食いたい、などという贅沢な思いはない。無駄な抵抗とわかっていても、思い浮かぶのはただバナナ以外の食物である。

それでも、時が過ぎれば否応無しに空腹感に襲われる。バナナに醤油をかければ日本食だろうか、などとアホな考えに浸る自分が情けない。3日目には、もう生涯バナナは絶対に口にしない、と八百万の神さまに固く誓ったのであった。実際、次の寄港地で脱走、じゃなかった下船して以降、丸一年間ほどはバナナを目にしただけで足はすくむは、拒絶反応で吐き気は催すは、完全なトラウマとなった。それにつけても、食べるものが選べる贅沢なんぞは普段まったく意識しないことだけに、あの3日間は貴重な体験と言うべきかも知れない。

カーニバル評論家 ZZz-白根

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タグ:カーニバル
posted by eLPop at 21:06 | Guindahamacas