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ディエゴ・エル・シガーラ来日インタビュー<1>

2015.12.04

トップ・カンタオールは100%カリベーニョ!?

 15年来、醒めることなく抱き続けてきたラテン音楽に対する熱情を、初めて東京で披露したトップ・カンタオールのディエゴ・エル・シガーラ。もちろん、今や世界でもっとも広く愛されているフラメンコの歌い手だ。前回、10年前の来日公演は、愛知万博のステージ一度きり。なので、ようやっと異端児の果敢な成果に巡り合えた、との感が強い。
 11月27日、オーチャードホール公演では、独特のマイペースな大物ぶりを発揮。定刻からかなり押し気味に、ゆる〜くスタート。グラス酒(ウイスキー?)に指を浸して、はじくように床に数度垂らし、額へひと滴当てて、おもむろにグラスを傾けグビリ。
 前半のプログラムは、9作目『トゥクマンの月のロマンセ』から5曲。急遽、ピアニストがカラメロ・デ・クーバこと、ハビエル・マソー“カラメロ”に交替。フラメンコギターもディエゴ・デル・モラオに替わって、アントニオ・レイが緊急登板。ステージ上で打ち合わせしながらの、いたって長閑な進行だ。
 中盤、かつて出演経験がある都内のタブラオについてコメントした後、レイとの探るような掛け合いを愉しみ、核心フラメンコ3曲をじっくり。これで、ぐっと場内の温度が上昇した。
 後半部は、名花ロシオ・フラードやブラジルの帝王ロベルト・カルロスを讃えるナンバーを含む多彩なラテン曲で、終幕を一気に熱く濃く締め括る。とりわけ「ラグリマス・ネグラス(黒い涙)」、渾身の「テ・エクストラーニョ」の熱演たるや……フラメンコの声とラテンの名曲が、幸せな熟成の時を迎えた瞬間だったと断言していい。
 日本の制作サイドにとって、予定していたプログラム構成を唐突に、客席の反応を読みつつガラリと変えてしまうシガーラのあまりの放縦さは、おそらく勘弁してくれよ〜と言いたいほどの展開だったろう。どうやら構成は、二転三転したらしいし……まったく同情を禁じ得ない。その一方で、これぞ芸能本来の醍醐味ではないかと、腹の中で快哉を叫びたくもなる。

 公演前日の取材日。インタビュー数本を終え、いざeLPopの出番かと思いきや、夜のタワーレコード・イベントを控え、ここらで軽く飯食っておきたいとのことで、しばし待機。どうぞ遠慮なく腹を満たしてくださいな……。で、何を召し上がるのかと思えば、なんと出前の味噌ラーメン! 和食好きとは聞いておったが、よもや味噌ラーメン派とは!? (11月26日、通訳:中原理恵氏)

――なぜ、そんなに味噌ラーメンがお好きなのか?
Cigala すごく美味くて惚れた。チャーシューも味噌スープも美味けりゃ、ゆで卵も入っているしな。和食全般、寿司も刺身も大好きなんだ(笑)。
――それは、なにより。90年代に何度か来日されているとか。どんな舞踊手と来日された?
Cigala パコ・ペーニャ(ギタリスト)と来日したこともあるが、おもに舞踊の伴唱として来日したんだ。たぶんマリオ・マジャの娘、ベレン・マジャと来たな(※93年9月のタブラオ《エル・フラメンコ》出演か?)。アンヘラ・グラナドスの舞台にも、たぶん参加した。あと誰がいたっけ……ギターのロサーダ兄弟。あー、よく憶えてないが……大人数のカンパニーでの来日もあった。ギターにミゲル・リナレスが参加していたし、カンテ(唄)は俺とチャパーロ・デ・コルドバ、アントニオ・ジェジェ・デ・カディス。それから日本在住のカンタオール、クーロ・バルデペーニャスも一緒だった。
――何年だったか憶えています?
Cigala アハハハ(笑いながら、お手上げポーズ)。まだ髭をたくわえてなかった時代だよ。髪も短かったしな(笑)。
――じゃあ、あなただと判らない。
Cigala 20数年前のことだもんな。でも、すごく素敵な体験だったよ。東京の後、沖縄、大阪、京都にも行って楽しかった。
――その時に、味噌ラーメンを味わったわけか〜。
Cigala そうだよ。京都で食べたんだったけかな〜(笑)。

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――現在、ドミニカ共和国にお住まいだとか?
Cigala プンタ・カーナPunta Cana(※島の最東端)にね。カリブの暑い気候だが、目の前がビーチで……。
――パコ・デ・ルシアと似た環境!
Cigala まったくだ。息子たちの学校も近くにあり、自転車通学できる距離なんだ。学校帰りに、そのまま海へ直行できる環境でね。ドミニカの人々はみんな心温かいし、キューバの人々みたい。気質が似ているよね。だから居心地が良くて、とても過ごしやすいんだよ。
――でも、マドリードにも家をお持ちなのでは?
Cigala ああ、でもここ3年は、ほとんどマドリードの家には帰ってないね。
――寒さのせい?
Cigala 気候もあるが、今のスペインは厳しいからね。経済状況の悪化で、人々はプレッシャーを感じている状態だ。失業率が高く、大企業のオーナーだったような友人らも失職して所在不明になったり、政府内は汚職まみれだったり。そんな状況下では、負のエネルギーが蔓延しているんだよ。もちろん俺はスペイン人だし、心からスペインを愛しているけれど、この現状のままが続く限り、どうしても気持ちは離れてしまう。歌のオファーが入った時だけ、バルセロナやセビージャを訪れているが、できれば早く飛行機に乗って、ドミニカへ戻りたいと思うようになっているね。
――じゃあ、もう90%ぐらいカリベーニョ?
Cigala 完全にドミニカーノだ!(と、いきなりドミニカ訛りのスペイン語でまくしたてる)

――来日前にメール・インタビューさせていただいたが、その回答で、次のプロジェクトの話が出た。セリア・クルスとエクトル・ラボーのレパートリーを含む新作になるとか……。
Cigala そう、サルサへのオマージュだ。エクトル・ラボー、ロランド・ラ・セリエ、チェオ・フェリシアーノ、ベニー・モレー、セリア・クルス、ティト・プエンテ……サルサの偉人たちを讃えるアルバムだ。ゲストにホセ・フェリシアーノ、オスカル・デ・レオン、マーク・アンソニーを迎える。
――ひゃ〜! 素晴らしい。もう録音は終わったんですか?
Cigala まだ4曲で、5曲目にとりかかったところだよ。東京公演が終わったらプンタ・カーナに戻り、マーク・アンソニーとの録音に入る。彼もドミニカ在住だからね。彼の家で一緒にレコーディング作業だ。それからプエルトリコに行って、ホセ・フェリシアーノとの録音……「コンカボ・イ・コンベクソConcavo y convexo」をね。♪Nuestro amor es así, y al hacerlo tu y yo. Todo es mas bonito〜♪(と、歌い出す。※このヒットソングの作者はブラジル・ポップ界の重鎮、エラズモ・カルロス&ロベルト・カルロスのコンビ)
――オスカル・デ・レオンとの録音は、どこで? ベネズエラ??
Cigala 日本に来る直前、ベネズエラ公演だったんだよ。でも彼は、今マイアミ暮らしでね。残念ながらベネズエラの置かれた状況も芳しくない。だからマイアミでのレコーディングになる。おそらく来年の4月か5月には、アルバムがリリースできるだろう。で、ニューヨーク・セントラルパークでのステージを狙っているんだ……狂気の沙汰に近いけどね(笑)。
――ゲストを迎えて?
Cigala そう、すべてのアーティストたちとだ。ホセ・フェリシアーノ、オスカル・デ・レオンとは、長年友情を育んできて兄弟みたいな付き合いだし、彼らと新作で共演できるのは名誉なことだね。これだけの充実したレパートリーを分かち合えるんだから。良質の選曲だよ……エクトル・ラボーの「エル・カンタンテEl cantante」「ペリオディコ・デ・アジェールPeriódico de ayer」「フアニート・アリマーニャJuanito Alimaña」(※3曲目のみ、よく聞き取れなかったため不確実)「アチェ・イ・マチェーテHache y machete」とか。セリア・クルスの「クアンド・デスピエルテスCuando despiertes」もね。癌で亡くした最愛の妻と、夜な夜な一緒にじっくり時間をかけて、これらのレパートリーを話し合いながら選んでいったんだ。
――奥様はスペインの方だったのか?
Cigala そう、バレンシア出身だ。
――でも、あなた同様、ラテンアメリカに恋してしまった。
Cigala そうそう、むしろ彼女のほうが、俺をカリブに導いた気がする。
――ドミニカ共和国に住もうと言い出したのは、どちら?
Cigala それは、俺だ。(※2013年のことだったらしい)

 四半世紀にわたってシガーラの杖となり支えてきた、奥方アンパロ・フェルナンデスを亡くしたのは今夏、ちょうどロサンゼルス公演の幕が開く数時間前だった。8月19日、ハリウッド・ボウルにおけるシガーラ公演は、「アディオス・ツアー」中であるブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブと対バンのステージ。悲報を受け取っていた彼は、観客やマスコミへ事実を伏せたまま、LA公演を敢行した。亡きアンパロは、シガーラとの間の二人の息子、ディエゴとラファエルの母親だという。
〈続く〉
posted by eLPop at 03:31 | 佐藤由美のGO!アデントロ