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映画「SIGO SIENDO(カチカニラクミ)」を巡る徒然 その2

2015.11.30

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◆その2 チンチャ/エル・カルメン〜アヤクーチョ編

 ペルーのそうそうたる民衆音楽家が出演して作られた映画「SIGO SIENDO(kachkaniraqmi)」。そこで描かれる生は、まさに一般民衆とともに生き、そのうえで音楽に寄り添い続けた人々の肖像だ。
 第2回めでは、この映画の中盤、ナスカ近郊のチンチャ〜エル・カルメンにかけてのアフロペルー集落のエピソードと、この作品におけるアンデス音楽を担う地域、アヤクーチョ県プキオ近郊のエピソードを紹介していきたい。


 映画では、新たにリマからチンチャを経てアヤクーチョの故郷へと帰る音楽家が登場する。ペルーを代表するバイオリン奏者の一人であった故マキシモ・ダミアンだ。その中で彼がチンチャ近郊のアフロペルーの集落エル・カルメンで、前年に亡くなった偉大なるサパテアドール(タップダンサー)のアマドール・バルンブロシオを弔問するシーンが描かれる。
 このチンチャおよびエル・カルメンは、ペルーを代表するアフロペルー集落だ。現在メジャーとなっているアフロペルーのレパートリーの多くはこの地に残っていたものであり、50年代以降この地からリマへと出稼ぎに出たアフロ系都市移民が「再発見」されたことで、アフロペルー文化復興運動が起こっていくことになるのである。
 そんなエル・カルメンを舞台に語られた物語は私には非常に興味深かった。このチンチャ近郊のアフロ集落で使われているバイオリンは、アンデスから持ち込まれたものであるという。そもそも打楽器しかなかったアフロ集落に、アンデス先住民たちがバイオリンとアルパを持ち込み、バイオリンが定着したと作中で語られる。たしかにエル・カルメンの祭りではバイオリンが活躍するし、伝説的バイオリン奏者などもいた。そう考えるとこの地の文化は、単なるアフロ文化のゆりかごというだけでなく、アンデスとアフロが出会い、互いに影響しあって今の形へと発展してきたものであるといえるのだ。繰り返しになるが、チンチャ、エル・カルメンと言えば、ともにペルーにおいてアフロ文化の源泉の一つとして無くてはならない場所である。そこが実は色濃くアンデス文化の影響を受けていたという彼等のコメント自体が非常に刺激的で音楽が始まる前から興奮してしまったというわけだ。
 また夕刻、ストリートで打楽器のセッションが行われるシーンでは、新旧の打楽器が入り乱れているのがよい。一度は奏者がほとんどいなくなり、失われかけたカヒータ(小型の木箱のフタを開け閉めしながらスティックで側面を叩いて鳴らす打楽器)から、近年急速に定着しつつあるボンゴ型のカホンまで、さまざまなスタイルの打楽器が彼等自身の感性のままに取り入れられ、表現の手段として使われているのが見て取れる。
 そして翌日、ドン・アマドールが亡くなった時にも催されたという彼に捧げる追悼の歌をサパテオを踏みながらお墓まで行進するシーンが描かれる。アヤクーチョというアンデスを代表する地域のバイオリン奏者マキシモ・ダミアンが奏でるバイオリンに合わせて、エル・カルメンというアフロ性を象徴する集落の男たちが歌い力強くステップを踏みながら進んでいく。まさにこの映画のもっとも重要なシーンの一つだ。このように偉大なる市井の音楽家たちは世代を越えて人々の尊敬を受けながら、静かに生き、亡くなっていく。そして年経てもその人を慕う縁ある人達が集い、このように亡き故人を悼み音楽を捧げ、このように垣根を越えて交流が行われる姿は、ペルー人でなくとも共感出来る非常に普遍性のある人間の心情であろう。



 そして舞台はアンデスに移る。アヤクーチョ県の中部都市プキオを中心とする地域は、アルパ(ハープ)とバイオリン音楽が盛んな地域としても有名であり、今やペルーを代表する舞踊としても(ようやく)認知されたハサミ踊りのセンターの一つでもある。ドン・マキシモは、この地で行われる豊穣祈願祭ヤク・ライミ(水の祭り)で奉納されるハサミ踊りを伴奏するためにこの地に帰ってきたのである(ここでも裏のテーマである水が顔を出している)。
 ハサミ踊りという不思議な名前の踊りは、ハサミ状の鉄片を打ち合わせてキンキンと鳴らし続けながらアルパとバイオリンの伴奏に合わせて複雑なステップを踏み、次第にトランス状態に入っていくことで水の精霊を降ろし、豊作を祈願するという祭りだ。そのため、この祭りは畑に水を引くための水路の掃除が終った後に行われる。映画の中でも水路の掃除とそれが無事に終ったことを喜ぶハラウィの歌が紹介されている。監督曰く、冒頭のアマゾンの呪術師ロニ・ワノに出演を一生懸命口説き落とそうとしたときに見てもらった映像がこのハラウィの歌の映像だったらしく、これが決め手となって彼女の出演が実現したという。
 すこし話が逸れたが、このハサミ踊りという芸能は、およそアンデスの民族衣装とは思えない特異な衣装に身を包んだ舞手が、およそ一般的にイメージされるアンデスの音楽とは思えない不思議な音楽に乗せて舞うものだ。外的にはそのハサミ踊り自体が持つ衝撃を演出しながら、内的には、その舞手に女性が進出していることを強烈に印象付けている。これまで女性が舞うことなど考えられなかったこの踊りにも現在徐々に女性の進出が見て取れる(私見だが、これには外国人の舞手見習いに女性が初期から入りこんだことも大きな影響があるのではないかとも考えられる)。また、このハサミ踊りという神聖な神と一体化するための踊りは、その本来の意味付けから、リマでハサミ踊りに憧れ、コンクールなどで例え優勝するなどして評価されたとしても、本場の祭りで舞わないことには本物のハサミ踊りの舞手としては認められないという現実が(まだ)ある。この映画では、そのために水の精霊の洗礼を受け、祭りにデビューする一人の女性パロミータにスポットがあたっている。水の精霊(シレナ:人魚と呼ばれることが多い)の住む滝での奉納演奏と洗礼の儀式は、ようやく認知されてきた「ハサミ踊り」という芸能が単なるダンスではなく、アンデスの世界観の重要な一翼を担う存在であることを教えてくれる重要なシーンである。また、地元の伝統的な衣装に身を包む名手モスキータに対して、パロミータの踊りの衣装は現代的で顔を露わにしてソンブレロをかぶるという今風のスタイルで臨んでいる。伝統の文脈の中では(例え皆が知っていたとしても)本名を隠し、素顔も晒さないようにする村の伝統的なあり方が、町のコンクールで育った舞手たちの登場で変わってきているのも見て取れる。

 またこの祭りでは、実はもう一人監督がこだわった人が登場している。それはラウリータ・パチェコというアルパ奏者だ。数少ない女性アルパ奏者で、アルパのクンビアと呼ばれるジャンルの音楽で常に新しいことに挑戦し続けている新進気鋭の歌手である。彼女は、この作品中おそらく唯一民衆音楽が息づくローカル性の文脈から乖離した存在として(さりげなく)登場している。この事について監督に質問したところ、監督自身がラウリータのファンであり、彼女をどうしても登場させたかったが、物語の構成上、彼女が演奏するジャンルの音楽を作中に組み込めなかったこともあり、敢えて女性のハサミ踊りの舞手が登場するお祭りにシーンに、同じ女性音楽家の進出という意味を込めて出演をお願いした、ということであった。おそらくインパクトという意味では、彼女自身が普段やっている音楽を取り上げた方が、視聴者の度肝を抜けたとは思うのだが、都市の新しい音楽を排した「伝統」の枠内における挑戦にこだわった監督の物語構成においては、この立ち位置にならざるを得なかったのだろう。そのため、普段のステージで見せてくれる美しいお姫様装束で歌うのではなく、ジーパン姿のアルパ奏者として登場している。これはこれである意味レアな演奏姿なのであろうが、それでも少しもったいなかったんじゃないか、と私などは思ってしまったりもする。


 このアヤクーチョでは、ハサミ踊りに加えてもう2つのテーマがある。そのうちの一つが内戦の記憶というテーマだ。ペルーの民衆史を語る上で、特にアンデス地域の民衆史を語る上で決して避けて通れないのがこのペルーの毛沢東系左派センデロ・ルミノソによる虐殺と支配の記憶である。1980年、左派軍政から民政移管したちょうどその時に旗揚げされたこの組織は、アヤクーチョを基盤に徐々に支配地域を広げ、農村を支配下に起き、少しでも意に沿わぬものには激しい虐殺を行った。またさらに、恐怖のもとセンデロに協力した農民たちは今度は軍に殺された。この双方からの虐殺によって、当時アンデスの農村の人々は都市部へと難民となって押し寄せた。
 その支配の中心地でもあったアヤクーチョ県では、音楽家たちが静かに抵抗の歌を歌い継ぎ、虐殺の記憶を歌い継いできた。この映画の中でも、アヤクーチョを代表する女性歌手シラ・イリャネスとギターのビクトル・アングーロが哀歌ヤラビーに乗せて切々とその記憶を歌い上げている。
 またバイオリン奏者チマンゴが、死体が転がり、泣き叫ぶ人々の間を歩いた日々を二度と再び繰り返していけないと語るそのシーンが、この現実を風化させず歌い継いでいこうとする彼らの切実な思いに裏打ちされた実践の根源であることを教えてくれるのだ。
(このパートで紹介したヤラビー「記憶」については先日の「eL Pop Party Vol. 5イベント」のレポートでも紹介させていただいたいのでよろしければそちらも御覧ください。→こちら

 このように、このドキュメントを見るだけでもアンデス地域の民衆音楽が、如何に彼らの生活を鏡のように映し、その世界観と人生の中から出てきた音楽であるのかということがよく分かる。そのアンデス、アヤクーチョの伝統を継いできた音楽家たちが、ホセ・マリア・アルゲーダスが暮らした農園を訪ね、そこで彼のことを語り合うシーンも非常に印象的だ。このホセ・マリア・アルゲーダスを巡る語りがこのアンデス・パートの第三のテーマだ。アルゲーダスが紹介し、この映画のタイトルにも採用されたカチカニラクミ、つまり「自己存在を脅かすような大変なこともあったけれども、それでも私(たち)は今も変わらずこうしてここにいる」、というケチュア語の挨拶は、このドキュメントで描かれた彼らの生き様からも痛切に伝わってくる。マキシモ・ダミアン、ハイメ・グァルディア(チャランゴ)、ラウル・ガルシア・サラテ(ギター)というアヤクーチョを、そしてアヤクーチョだけでなくアンデス音楽を、そしてペルー音楽を象徴する偉大な3人の音楽家がアルゲーダスの思い出について語り合うシーンは、この監督にとっても非常に重要なシーンであったと考えられる。


 ホセ・マリア・アルゲーダスは、幼少期をアンデスの先住民社会の中で過ごした。アプリマックというアヤクーチョの隣の県で継母とその連れ子にいじめられた彼は、先住民社会に逃げ込み、そこで彼が知っていた都市のメスティソの世界とはまったく異なる先住民世界の存在を知った。先住民社会に憧れ、そして先住民にはなれなかったアルゲーダスは、後に人類学を教えながら先住民世界を紹介する小説を書き続け、ペルー社会に大きなインパクトを与えるようになっていった。そしてまた政府の先住民政策に大きく寄与し、ステレオタイプな「インカ」イメージに引きずられたアンデス先住民イメージの払拭と権利回復に尽力した人物である。残念ながら若くしてピストル自殺してしまうが、その功績と作品は今なお多くの人を惹きつけてやまないペルー文化史にとって欠くべからず人なのである。今日、ペルー・アンデス音楽世界に燦然と輝く伝説的な音楽家三人は、「安易に流行に迎合せず、商業主義に流されず、自分たちの文化に寄り添った音楽を演奏し続けなさい」というアルゲーダスの言葉を実践し続けた音楽家でもあったのだ。
 そして、中でもマキシモ・ダミアンはこのアルゲーダスに見出された音楽家の一人であった(それは映画のアンデスパートの冒頭より語られている)。このドン・マキシモとともに旅したアンデス・パートは、マキシモ・ダミアンという一人の音楽家に寄り添いながら、同時にアルゲーダスが愛した世界を探す旅でもあったのだろうと思えるのだ。

 このアンデス・パートでは、リマのプエブロ・ホーベン(リマへの都市移民たちが占拠し居住する地域。多くは丘や砂漠など住むに適さぬ地域)に響くバイオリンの音色が繰り返し繰り返しリフレインのように響き渡る。映画を見た後にも、繰り返し繰り返し、頭のなかに響くこの音色とともに第2回を終わりとしたい。
posted by eLPop at 00:17 | 水口良樹のペルー四方山がたり