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リレー実録 ¿Qué pasó?〈3〉サービス満点の語り部

2015.03.25

 インタビューの本筋からどんどん逸脱し、とんでもない裏ネタを明かされることが、ごくたまーにある。殊に他人様のおもしろおかしい噂話などは、誠に罪深き所業ではあるものの、聞かされた側にとって望外のエンターテインメント! ライヴとは別に、もうひとつのオツなショーを見せてもらった気分になる。
 「録音ボタン切っとけよ、これはオフレコだからな」と前置きしたのち、この語り部は、やおら身振り手振り交えながら喋りだした。「絶対に書くなよ〜」などと言いつつ、すでに堂々公表する気合い充分。もう、四半世紀余が経過したことだし……臆面もなく、約束を破ってしまうとしよう。

 ラテン音楽界の覇者ザビア・クガート(1900―1990)が、あっちのほうでもそうとうやり手だったのは、つとに有名な話である。書類上、5回結婚したと記録されていて、最初のお相手はキューバが生んだ名花、女優・歌手のリタ・モンタネール(婚姻期間、1918〜20年)。5度目の年の差カップルと巷を騒がせたのが、テレビはじめショービズ界で活躍した巨乳(今でいう何カップ?)タレント、チャロ(同、1966〜78年)。しかし一線を退いた後も、天下のバンド・リーダーの精力は衰えなかったようである(やるのぅ)。

 「あの御仁はな、結婚の度に心臓発作起こしてな。それでも、まったく懲りないタフな男ってわけよ。引退した今はバルセロナで車椅子生活……ところが、またぞろ新しい恋人ができたってんだから、驚きよ。そのトシで、どうやってんだ?って訊いたら(※何やるのかはご想像にお任せする)……相手は20代のプロ・バレリーナ。めっぽう身体が柔軟だから、最高にうまくいくんだとよ!」

 語り部ときたら、「めっぽう身体が柔軟」のくだりで、わざわざソファから腰を浮かし、片足を高く持ち上げ、微に入り細に入りバレリーナのポーズまで解説する、度を越したサービスぶり。
 目の前で繰り広げられる強烈パフォーマンスのせいで、もうひとつ、ペレス・プラードが公演中にやらかしたという、これまた生々しい秘話のほうの中身を、すっかり忘れてしまったほど。正直に録音ボタンを切ったのが悔やまれる……(ウソ)。
 そうまくしたてた後、「おーっと、今日のオレはえらく饒舌すぎたな。これ以上喋ったら、ギャラを請求せにゃならん。あとは、オレの書いた本でも読んでくれ。じゃあな!」と言い、颯爽と立ち去った。
 残念ながら、出版されたばかりという自伝の存在や、実際そんな卑猥な逸話が綴られていたか否かについては、未確認(※職務怠慢!)。
 取材実施は、1989年8月末。インタビュアーが上田力氏で、通訳は高場将美氏。まぁ、小生は立ち合っただけですが……。当取材から19日後、噂のペレス・プラードの訃報が入り、さらにその1年あまり後、ザビア・クガートまでもがこの世を去ってしまったとは、なんと罪深きことよ……。クガートの死因は、やはり心臓発作だった。

 ステージ同様、圧巻の芸人根性とサービス精神を発揮してくれたお方の名は、ティト・プエンテ。インタビュー本編(※ラティーナ誌1989年11月号掲載)では、もちろん芸歴や音楽についても言及しているが、随所で下ネタへスイッチする、げに巧妙なスティックさばき……例えば、こんな話もあった。
 「ティンバレスに裏の意味があるの、知ってるか? エル・グラン・コンボ25周年記念のマジソン・スクエア公演に招かれたとき、4つもティンバレス・セットがあってな。そしたら誰かが、あいつは狂ってるぜ、自分のヤツも含めて5セットも叩くなんて……なーんて言いやがってよ」等々、終始この日は絶好調。

 その後、来日する度インタビューを試みたが、もはや密やかな裏ネタショーが繰り広げられる機会はなかった。目はとろんと淀み、ろれつが回らない状態……姪ミリーのサポートがなければ、取材現場に果たして姿を現したかどうかすら怪しい。ステージ・パフォーマンスこそ、衰え知らずだったが。
 ま、滅多にないチャンスを逃さずに済んだだけで、世紀のティンバレス・キングへ、あらためて感謝を捧げるとしよう。甚だ不謹慎な裏ネタではあるが、おそらくラテン界の大巨匠らの名誉を汚すことにはなるまい。ごく最近公表された某医療データによれば、老境でお盛んなのは、脳の活性化にとって誠に良きことと、立派に証明されておるらしいし……。
posted by eLPop at 02:32 | 佐藤由美のGO!アデントロ