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アフロペルー音楽の打楽器(1) カホン・ペルアノの歴史

2015.02.17

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 今や世界的な知名度にまで成長した箱型木製楽器カホン。直方体の木箱の上に座り、その前面の板を叩くことで音を鳴らすという打楽器である。前面の板は上部がわずかに浮かしてあり、叩く位置によって、バシバシなる高音からズンズン響く低音まで多彩な音色を叩き出すことができるなかなかすぐれものの打楽器だ。

 アフロペルー音楽を代表する楽器カホンは、アフロ音楽だけでなくペルーの沿岸地方を象徴する楽器として、今や語らずに済ますことのできない重要な地位を獲得している。しかし残念ながら対外的にはまだまだフラメンコで使われる打楽器としてのイメージが強く、ペルー発のものがフラメンコに伝わってそれが世界的に知られるようになっていったというところまで認知が進んでいないのが現状である。
 また、ペルーのカホン自体の歴史に目をむけてみても、その姿は漠然としてどのように今の地位を獲得していったのか、なかなかはっきりとしてこない。その理由の一つは、おそらくカホンを使っていたアフロ系コミュニティに関する歴史的な記述がそもそも非常に少ないこと、そしてもう一つは、沿岸都市部の民衆音楽に取り入れられたのが19世紀以降であったことにあるようである。昨年亡くなったラファエル・サンタ・クルスは、彼自身が書いたカホンに関する本の中で、カホンの起源が何らかの輸送もしくは生産物を入れる木箱であったことは確かだが、いつ、どこでどのようにカホンが誕生したのかわからない状況では、その箱が何の箱であったのかについてはわからないと述べている。
 今回は、そんなペルーを代表する楽器となったカホンの歴史を簡単に追いかけてみたい。


 カホンに関する最も古い記述は、1671年のアルパ(ハープ)とカホンの共演の記録だとされる。しかし、不思議なことにこの唯一の記録以降、170年間再びカホンの記録は見つかっていない(もっともこの最も古い記録に関しては資料の存在自体も疑問視されるなど信憑性自体が問題ともなっている)。
 1682年のペルーの新聞記事には、アフロ系住民たちがアルパとギターでサンタ・ロサの祭りを楽しんでいる様子が描かれているが、カホンは登場していない。以降も、アルパ、ギター、ビウエラ(ギターの先祖)、バンドーラ(マンドリンの一種)などは登場するが、記録に打楽器が登場するようになるのは、1790年頃からである。その打楽器も、鈴やパンデーロのようなもの、ロバの顎骨を叩いて鳴らすキハーダ・デ・ブロなどでカホンはまったく見られない。余談だが、当時の記録によれば当時のアフロ系住民たちは鼻息で鳴らす小さな笛を吹いていたらしい。どんなものだったか、非常に気になることしきりである。

 18世紀当時の下層社会の様子を水彩画で描き、当時の生活を知る手がかりを遺したパンチョ・フィエロの水彩画には、黒人たちがマリンバやギロなどを演奏している姿が残っている。また、カヒータと呼ばれる蓋のついた小箱を腰に据え付けて、蓋を開閉させたり側面をバチで叩いて鳴らして演奏している姿も描かれている。
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 また同じく18世紀にマルティネス・コンパニョンが遺した『トゥルヒーヨ・デル・ペルー』には、アルパの胴をカホンのように叩く記述や絵が掲載されている。この奏法は、現在もランバイェケなどペルー北部の一部地方でわずかに行われている奏法だ。
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 19世紀に入りカホンに先立って記録にあがってくるのが、チェコだ。チェコとは、大きなヒョウタンで叩くとポコポコとカホンよりもかわいい音が鳴る楽器だ。ペルーの北部沿岸地方、とくにランバイェケ県を中心に使われていた楽器で、最近復興運動で徐々に奏者が増えている楽器である。
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(絵の左側の男性に抱えられているの丸いものがチェコ)

 結局カホンが再び文献に登場するのは、19世紀半ばだ。1841年には、サマクエカ(後のマリネラ)を踊っている絵の中に、カホンを叩いていると見られる姿が描かれている。また1848年には、明らかにサマクエカの中でカホンを叩いている姿が記述として遺されている。このように、カホンは、サマクエカを演奏するための始めの音楽として歴史の中に再び登場した。この時代、サマクエカは都市部で大流行しており、パーティなどでもカホンはサマクエカの重要な伴奏役として急速に定着していった。しかし、この時期にサマクエカ以外の音楽でカホンが叩かれた記録を見つけることはできない。このためサマクエカ、のちのマリネラ(もしくはクエカ)とカホンは、表裏一体の関係で語られることとなっている。

 それでは、今やペルーのムシカ・クリオーヤにとって欠かすことのできないカホンが、その中心となる音楽バルスに取り入れられたのはいつ頃なのだろうか。それが、あまりに最近の出来事で、驚かれる方もおられるかも知れない。
 バルスの中でカホンが導入されたもっとも古い記録は、1940年代初めだ。当時ある有名なナイトクラブで、非常に盛り上げ上手なカホン奏者がいた。彼は、毎日一番最後に演奏されるマリネラ(サマクエカ)の演目が来るまですることがなく、隅っこで居眠りをしていたのだが、ある時支配人がナイトクラブを盛り上げるために試しにカホンをすべての曲に取り入れてみたところ、大盛り上がりに盛り上がった。それ以降、彼らはラジオ公演などを通してカホンを入れたバルスを積極的に演奏しはじめ、瞬く間にそれが流行して多くのクリオーヤ楽団がカホンを積極的に取り入れ始めた。
 しかしせっかくの機会であったにもかかわらず、突然のカホン奏者需要に奏者が足りず、結果的にその場にいた手の空いたものが適当に叩くという演奏技術の低いカホン伴奏が氾濫することとなり、カホンの地位は逆に貶められてしまうこととなってしまった。結局、50年代を通してバルスの伴奏にカホンは加えられはしたが、録音などに際してはカホンは外されるという屈辱的な状況が続いた。
 50年代には、「パンチョ・フィエロ座」やニコメデス・サンタ・クルスのクマナナが中心となったアフロペルー音楽の復興運動が徐々に始まり、カホンがアフロペルー音楽の中心的打楽器として次第に注目され始める。60年代には、ビクトリア・サンタ・クルスが、カホンだけの伴奏でアフロペルー舞踊を踊る試みをはじめるなど、本格的にカホンを使ったアフロペルー音楽・舞踊の発展を目指し、ペルー・ネグロなどのグループの登場と相まって、カホン=アフロペルー音楽というイメージが強化されていった。この流れの中、ついにバルスの録音の中でもカホンを使うことが一般化し始める。その初めの録音を特定することは難しいが、その最も初期のものに、ニコメデス・サンタ・クルスとも活動を共にした名ギタリスト、カルロス・アイレとシンガーソングライターのアリシア・マギーニャによる録音がある。この録音の評価が高かったため、これ以後、カホンを取り入れたバルスの録音が一気に増えたと言われている。
 このようにしてカホンは次第にペルーの沿岸音楽になくてはならない楽器として定着していった。

(ギターとカホンで演奏されるバルスの一例)

 ちなみに、この後カホンは思わぬことからワールドワイドな打楽器へと発展していくことになる。70年代にペルーを代表するカホン奏者カルロス・カイトロ・ソトがパコ・デ・ルシアにカホンを贈ったことから、カホンはスペインに持ち込まれ、新しくフラメンコの楽器として改良され定着した。
 このスペイン・スタイルのカホンが、やがて日本にも入ってきて現在我々が目にするようにストリートで活躍するようになったのである。今や日本のストリートでも演奏される打楽器カホンは、遠くペルーからはるか地球の裏側に位置する日本まで、このような旅路を辿って来たのである。
posted by eLPop at 19:11 | 水口良樹のペルー四方山がたり