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高橋 政資「ファニア、私の3曲」

2015.01.07

●「ANACAONA」 収録オリジナル・アルバム FANIA ALL-STARS『“LIVE" AT THE CHEETAH』(Fania)

ライヴ・アット・チーター
収録アルバム

 最初の1曲は、やはりこれ。こちらでもエピソードを書いたが、とにかくサルサとの衝撃的出会いは、この曲中のラリー・ハーロウのピアノ・ソロだった。パーカッションのようなピアノ奏法はサルサ〜トロピカル系音楽の定番だが、最初に聞いた時は本当にぶったまげた。

 ラリー・ハーロウは、若い頃キューバに1人で乗り込みオルケスタ・アラゴーンなどの追っかけをして、キューバ音楽を学んだニューヨークのユダヤ系。ユダヤ・コミュニティの隣がラテン系コミュニティということで、ラテン音楽は幼い頃から親しんでいたという。サルサ界では“フディオ・マラビジョーソ(驚愕なユダヤ人)”といわれ尊敬されている。

 歌っているのは、昨年惜しくも交通事故で亡くなってしまったチェオ・フェリシアーノ。芳醇な声とスウィングするノリを持った根っからのソネーロだ。作曲したのは、チェオ・フェリシアーノと同じプエルトリコ生まれのティテ・“クレ”・アロンソ。プエルトリコの心を歌う曲を作り続けたプエルトリコの良心といわれる人。また、“アナカオーナ”とは先住民タイーノ族の女王の名前。演奏者も歌の内容も多様なところこそ、サルサのサルサたる所以で奥深さなのだと思う。

●「LIO / SUN GOODNESS」 収録オリジナル・アルバム TIPICA 73『EN CUBA - INTERCAMBIO CULTURAL』(Fania)

Tipica73-En Cuba
収録アルバム

 2014年末に飛び込んできた「キューバとU.S.A.国交正常化交渉の開始」というニュースには、海外のニュースに関心のない(または無視する)日本のマスコミも流石にトップニュース扱いで報道していた。長年キューバに親しんできた人間にとっては、それほど“降って湧いた”感はないが、それでも実現すれば1961年以来の正式な国交回復となる。サルサを考えるときにこの1961年の出来事が重要なのは、ファンなら承知のことだろう。

 国交断絶といっても、両国にこれまで全く交流が無かったわけではなく、U.S.A.の時の政府の意向によってその深度は大きく左右されたが、民間交流〜文化交流という名目で経済活動も伴った交流が続けられてきた。首都ハバナには在キューバ米国利益代表部もある。近年も交流は盛んだが、1977年から1981年まで就任したジミー・カーター第39第アメリカ合衆国大統領の時代には、大統領の人権外交の理念の元、キューバとの交流が一番推し進められた。いわゆる“雪解けムード”といわれる時代で、音楽家の往き来も盛んに行われた。

 1978年にキューバからオルケスタ・アラゴーン、ロス・パピーネス、エレーナ・ブルケがニューヨークを訪れ、リンカーン・センターでコンサートを行った。逆にU.S.A.からは、1979年にCBSオールスターズ、ウェザー・リポート、リタ・クーリッジ、ボニー・レイットら、そしてファニア・オール・スターズも訪ハバナし、“ハバナ・ジャム”と題されたコンサートが数日にわたり行われた。キューバからは、アラゴーン、イラケレ、サラ・ゴンサーレスらが参加。この様子は、CBSソニーから2枚のアルバムとして発売もされた。ファニア・オール・スターズは、単独アルバムも発売された。

 そして同年ファニアのスター・プレイヤー軍団ティピカ73がキューバに乗り込んで録音したのが、この曲が収録されているアルバム『EN CUBA - INTERCAMBIO CULTURAL』だ。キューバのミュージシャンとの共演を最初から企画されたもので、この時期としては本格的な両国ミュージシャンの共演が記録された唯一のものだと思う。ティピカ73は、レイ・バレットのバンドのメンバーが中心になって1973年に結成されたテクニシャン集団で、ジョニー・ロドリーゲスJr.をリーダーに、アダルベルト・サンティアーゴ、ホセ・アルベルト“エル・カナリオ”という2人のスター・ヴォーカリスト、オレステス・ビラトー、ニッキー・マレーロ、カチェーテ・マルドナードといったスター・パーカッショニスト、さらに、ソニー・ブラボ、アルフレード・デ・ラ・フェらを擁していた(このアルバムには、アダルベルト・サンティアーゴ、オレステス・ビラトーは参加していなし)。メンバーの出自は様々だが、バンド名が示すとおり、ティピカルな、すなわちキューバ音楽に範をとったサウンドを目指していた。そんな彼らにとっては、まさに踏み入れてみたかった土地だったことは明らかで、このアルバムにはいつも以上に弾けたプレーが収録されている。メンバーがマンボ袖の衣装を着て嬉しそうに並ぶジャケット・デザインは、およそファニア・レーベルには似つかわしくない(?)もので、彼らのはしゃぎ様が伝わってくる。キューバ側からは、タタ・グイネス(コンガ)、ニーニョ・リベーラ(トレス)、チャポティン(トランペット)、ギジェルモ・バレット(ティンバレス)といったレジェンドからチャンギート(パーカッション)、フアン・パブロ・トーレス(トロンボーン)といった当時新進のミュージシャンまで参加して、ティピカ73を歓迎した。

 この曲は、キューバ系のヴァイオリニストで、コロンビアなどで活躍してきたアルフレード・デ・ラ・フェのヴァイオリンとオルケスタ・アラゴーンの裏の音楽ディレクターでもあったレジェンド、リチャード・エグエスのフルートをフィーチャーしたナンバー。キューバのティピカルなスタイルであるチャランガ編成での演奏となっているが、デ・ラ・フェのディストーションがビンビンに掛かったヴァイオリン・ソロとオーソドックスなエグエスのフルート・ソロの対比が、サルサという当時の新しいラテン音楽の感覚を自然に浮かび上がらせてくれて面白い。なお個人的には、キューバ音楽への興味が深まっていった思い出深いアルバムでもある。

●「LAS CARAS LINDAS」 収録オリジナル・アルバム ISMAEL RIVERA『ESTO SI ES LO MIO』(Tico)

Ismael_estosieslomio.jpg
収録アルバム

 ファニアは、その商業的成功に伴って個性的なラインの別レーベルを立ち上げていくと同時に、老舗レーベルをその傘下に収めていった。その中でもTICO(ティコ)は1948年に設立され、ティト・プエンテ、ティト・ロドリーゲス、セリア・クルース、ジョー・キューバ、レイ・バレットら多くのスターたちのアルバムを製作発売していたレーベルで、1974年にファニアが買収。それに先立つ1960年代後半には、ティコ・オール・スターズとしてデスカルガのコンサートや録音を行い、アレグレ・オール・スターズと共に、後のファニア・オール・スターズの礎ともなった。

 ファニア傘下になった後も、どちらかというとビッグ・ネームを中心に録音を残していった。そんな中でも、プエルトリコというローカルでの活動が中心とはいえ、多くのサルサ・ミュージシャンが憬れ、彼らの歌心の手本ともなったイスマエル・リベーラのアルバムたちは、異彩を放っていた。コルティーホとの長年のコンビを、自身の麻薬所持での逮捕が原因で解消せざるを得なかったイスマエル・リベーラが、自身のグループ、ロス・カチンボスを率い活動を再開し、コルティーホとのサウンドとはまた違ったアルバム13枚をこのティコに残した。中でも、プエルトリコの下町の人たちのことを歌った1978年録音のアルバム『ESTO SI ES LO MIO(エスト・シ・エス・ロ・ミオ)』は、笑顔でこちらを向くイスマエル・リベーラの表情どおりリラックスした雰囲気を醸し出した内容で、私の知る限り、サルサのアルバムの中で、一番レイドバックしたものだ。

 見開きになった中ジャケットに映し出されているのは、B面1曲目の曲タイトルである「LA PERLA(ラ・ペルラ=真珠)」と呼ばれるオールド・サンファンの海岸側の岸壁にへばりつくように建てられたバラック小屋の集落。そして、そこに住む人たちのことを「LAS CARAS LINDAS(ラス・カラス・リンダス=美しい顔たち)」と湛えているのがこの曲だ。ボンバやプレーナといったプエルトリコ特有の音楽を育んだ人たちとその土地を慈しむように歌っている。音楽ディレクターは、キューバ系のハビエル・バスケス。ルベン・ブラデス、アダルベルト・サンティアーゴ、エクトル・ラボーといったファニアのスターたちがバック・コーラスで参加しているのは、イスマエル・リベーラへのリスペクトの表れで、そんなルーツへの目配せを忘れないのもファニアの魅力なのだろう。



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posted by eLPop at 10:30 | 高橋政資のハッピー通信