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来日中《トリオ・アルデマロ・ロメロ》で聴く アルデマロ・ロメロの世界

2014.11.12

 20世紀初頭。ベネズエラはコーヒーとカカオの輸出に依存する国だった。小規模ながら都市文化も芽生えた熱帯の国に運命の転換が起こったのは1910年代末。油田が発見されたのだ。10年後、南米最北の農業国は、世界最大の石油輸出国に転換していた。以来、この国は、都市化を加速させていく。そんな時代、ベネズエラ第2の都市バレンシアに生まれたのが、アルデマロ・ロメロ(1928-2007)だ。石油ブームとともにベネズエラに生をうけた音楽家は、のちにベネズエラ・ポピュラー史上もっと多才な音楽家として、若くからその頭角を表していく。二十歳そこそこにしてベネズエラ初の、ボレロの国際的ヒットを作詞作曲する。50年代にはマンボブームのさなか、ニューヨークのラテンシーンで活躍する。
 60年代にはベネズエラ音楽の新スタイル、オンダヌエバを創唱する。クラシック音楽の分野でも大きな業績を残し、イージーリスニング史上でもセールス記録を打ち立てた。とらえどころのないほど多彩な巨匠アルデマロ・ロメロの業績は、同世代の日本人音楽家に例えるなら、冨田勲と松岡直也に中村八大&永六輔を統合したような存在といえるかもしれない。アルデマロ・ロメロの作品は、巨匠亡き後、ベネズエラのジャズ〜ポピュラー音楽シーンに大きな影響を与え続けている。むしろ死後、その評価は高まっているとさえ言える。
 そうした潮流を見越して、巨匠と長年共演したベテラン音楽家が、オンダヌエバを中心としたアルデマロ・ロメロ作品を、巨匠が愛したミニマム編成ピアノ、ベース、ドラムスで再現するために2013年に結成されたのが現在来日中の《トリオ・アルデマロ・ロメロ》だ。ベースのグスタボ・カルシとピアノのペドリート・ロペスは、長年巨匠の音楽行脚に同行した《助さん、格さん》コンビだ。アルデマロの盟友としてリズムを支えたもう一人の巨匠・故フランク《エル・パボ》エルナンデス(ドラムス&ティンバレス、1934〜2009年)の衣鉢を継いだのは、ドラマーのミゲル・デ=ビンセンソ。最終公演が14日金曜日と迫ったトリオの楽日には、若手女性シンガーのカルメラ・ラミレスが駆けつけ有終の美をかざる。

その略歴
 アルデマロ・ロメロはダンスバンドのリーダー/オーナーだった父のもとで幼少期から音楽活動を開始。マンボブーム前夜、弱冠20歳で首都カラカスの一番人気楽団《ルイス・ララインと彼のオルケスタ》のアレンジャー兼ピアニストなり、放送・舞台・ナイトスポットで演奏経験を重ねる。1950年代、マンボとアフロ・キューバン・ジャズの時代がやってくると、たびたびニューヨークに渡航、《アル・ロメロ・クインテット》率いて活動。ピアニスト、アレンジャーとして、スタン・ケントン、マチートなどジャズとラテンの巨匠達と共演。並行して当時勃興しつつあったイージーリスニング市場をねらったプロジェクトにより、RCAビクターの契約を獲得。ラテンアメリカ各国のポピュラースタンダード楽曲を自らの編曲・指揮で録音。20代にして国際的大成功を収める。のちに自身のラテン・ビッグバンドを組んで、数多くのマンボ、チャチャチャ、ボレロの楽曲を手がけ、北米〜カリブ海各国をツアー。ベニー・モレー、トニャ・ラ・ネグラなど、国際的な歌手たちに作品を提供した。
 1960年代には活動拠点をカラカスに戻し、テレビを中心とする草創期のベネズラ芸能界・音楽業界で作・編曲、音楽プロデュース、パーソナリティとして活躍。ベネズエラ音楽の新フォーマット「オンダヌエバ」を提唱・推進したのは60年中頃から約10年間だ。楽団《アルデマロ・ロメロと彼のオンダヌエバ》を率いて精力的に活動し、米国、欧州でもアルバムをリリース(US盤ではチャーリー・バードと共演)。これら国際盤は日本でもたびたびリリースされている。
 70年代後半からは、クラシック音楽に傾倒。75年から77年にかけてロンドンに滞在。ロンドン交響楽団を指揮し、自作曲「シモン・ボリバルに捧げるオラトリオ」を録音。79年にはカラカスフィルハーモニー管弦楽団ならびに付属音楽学校を設立。83年に解散するまで活動する。90年代から21世紀にかけては、みずから創立したレコード会社SUPRABOXを拠点に、自作曲の再版・再録音、トレンドは無縁の新録を進めるなど、悠々自適の「趣味的」創作ならびに「文化人」としての活動に従事していた。文化セレブのお決まりとして、議員活動を務めたこともある。

オンダヌエバとは?
 ポピュラー音楽のスタイルを革新したという意味においては、アルデマロ・ロメロはアストル・ピアソラやジョアン・ジルベルトあるいはパコ・デ・ルシアに比べられてもよい存在だ。アルデマロ・ロメロが提唱した新しいベネズエラ音楽のスタイル「オンダヌエバ」は「ボサノヴァに対するベネズエラからの回答」とも言われ、現代ベネズエラ音楽ならびにベネズエラにおけるジャズに多大な影響を与え続けている。
 オンダヌエバとは、ベネズエラの国民音楽と呼ばれるホローポに、アフロ・カリビアン音楽流のスウィング感(2小節一巡のシンコペーション)と様式美(テーマ、マンボ、モントゥーノ)を加え、そこにジャズのハーモニーを組み込む試みである。元来、4分の3拍子と8分の6拍子が同時進行する複雑精緻なホローポのリズムに、「スウィング感」を付加することは容易ではない。そこには、長年にわたりベネズエラ民衆音楽とラテン・ジャズの両方に向き合きあってきたアルデマロならではの探究心と発想が込められている。グアコに代表される、1970年代以降のガイタの革新は、まずオンダヌエバの手法に啓発され、それを触媒としてサルサと接合したと言われる。じっさい初期からアルデマロはガイタのオンダヌエバ化も試みている。
 スウィングル・シンガーズを思わせるユーロ・ジャズ風のスキャット・コーラスと、初期セルジオ・メンデスを彷彿とさせるラテン・ジャズ・トリオの軽快なグルーブが融合したオンダヌエバの諸作品は、ベネズエラ発の「レアなボサノヴァ」として、21世紀日本のクラブシーンからも「発見・注目」されたことがある。
 オンダヌエバのほか、ベネズエラ伝統音楽であるバルスやメレンゲ、そしてマンボ、チャチャチャ、ボレロのジャンルでも多くの楽曲を残し、ロマンティシズムと軽妙洒脱なセンスにあふれる詞を書いたアルデマロ・ロメロ。ベネズエラ・ポピュラー音楽に携わる者にとって、アルデマロ作品は尽きせぬ創意の源泉である。2007年他界した後もその楽曲群はますます評価が高まっている。

触発される後継世代
 現代のベネズエラ人アーティストとしては、ジャズ・シンガーのマリア・リーバスが、25年来アルデマロ作品を歌い継いできた第一人者だ。近年ベネズエラのスタンダード・カバー・アルバムが人気のシンガーソングライター、イラン・チェスターも2002年に全曲アルデマロ作品の《イラン、オンダヌエバを歌う》を発表している。アンサンブル・グルフィーオもアルデマロのバルスを録音しているが、そのクアトロ奏者のチェオ・ウルタードは2008年にソロ歌手デビューし、ボレロ、チャチャチャ、マンボなどアルバム15曲中7曲をアルデマロ作品で飾っている。フルート奏者ウァスカル・バラーダスは、アルバム《カンデラ》に、オンダヌエバの盟友パボ・フランクをゲストに迎え、アルデマロ・メドレー「アルデ・パボ」を収録した。たびたび来日している歌手・クアトロ奏者のラファエル《ポジョ》ブリートも、ラテン・ジャズユニット《BAKトリオ》の一員として、また若手クアトロ3重奏《C4トリオ》との共演でアルデマロ作品を録音している。
 巨匠の最晩年から没後に起こった「ブーム」を見据えつつ、アルデマロ・ロマロと長年共演してきたベテラン音楽家たちが満を持して結成に至ったのが、巨匠の名を冠したユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》なのだ。ピアノ、ドラムス、ベースに女性ボーカルという、アルデマロ・ロメロが初期から採用した最小編成で聴くオンダヌエバ。そのミュージシャンシップあふれるライブ・パフォーマンスは、70年代音源に聴く「キッチュなボサノヴァ」という印象を一新することだろう。カリブの都市ならではの軽妙にして奥深い大人のラテン・ジャズのエッセンスが、日本のリスナーを魅了するに違いない。
 11月14日、ブルーノート東京、お聴き逃しなく!

オンダヌエバとして初めて録音された記念曲「エル・アラグイータ」来日中のトリオのライブ映像で。
https://www.youtube.com/watch?v=h5TAKEGfi0w&feature=share

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※こちらの記事も併せ是非!(編集部)
◆ 最終公演迫る ベネズエラ・ジャズユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》の演目
http://elpop.jp/article/105532699.html
◆ アルデマロ・ロメロの歌詞の世界「街道よ Carretera」
http://elpop.jp/article/105533465.html
◆ アルデマロ・ロメロ歌詞の世界2「今宵女房と酔いしれて」 
http://elpop.jp/article/105533524.html
posted by eLPop at 21:51 | 石橋純の熱帯秘法館