Top > 水口良樹のペルー四方山がたり > 路上の音楽:ペルーに生きる物売り歌プレゴン

路上の音楽:ペルーに生きる物売り歌プレゴン

2014.10.03

 スペイン語圏には、プレゴンと呼ばれる物売り歌の伝統がある。日本の焼き芋屋や竿竹屋の物売り歌と似たものだと言えばイメージしやすいだろうか。街路で物を売り歩いた多くの行商人は、お客を集めようとよく通る発声で、機知に富んだ小粋な口上を、その土地土地のリズムとメロディーに乗せて歌った。そのもっとも原始的な口上から、音楽的に編曲されたものまでを含めて全てがプレゴンと呼ばれているジャンルである。

 プレゴンとしてもっとも有名なものは、紛れもなくキューバの「南京豆売り(エル・マニセーロ)」であろう。1930年にキューバからアメリカにかけて大ヒットし、翌年には日本でもカバーが出ていたほどの空前の大ヒットであった。当然ながらラテン音楽史の中でもトップクラスの有名曲の一つだ。この曲を生み出したキューバは、ポピュラー音楽の中に多くのプレゴンが登場する国である。
 一方、我等がペルーも、同様にプレゴン音楽が盛んな国の一つである。ペルーのプレゴンは、主に沿岸地方の都市部で発達した。その担い手達の多くはアフロ系もしくはその混血の人々であった。当時の記録によると、多くの行商人は、つばの広いソンブレロをかぶり、黒いケープ(マント)を身につけていたという。行商という行為において、物売りの呼び声は不可欠であり、言うまでもなくその多くが今のペルーのプレゴン歌謡につながっている。植民地時代の18世紀ごろにはすでにプレゴンの記録が残っており、そのバリエーションもさまざまであったことがわかる。
 ペルーのプレゴンの歴史を紐解くときに、忘れてはならない作曲家がいる。ペルーのクリオーヤ音楽の確立期である20世紀初頭に活躍し、大きな影響を与えた女流作曲家、ロサ・メルセデス・アヤルサ・デ・モラレスだ。彼女は上流階層の出身でありながら、庶民の音楽であったクリオーヤ音楽を愛し、多くの名曲を作曲した。その代表的な業績の一つが、リマの街角に響くプレゴンを採集して楽譜に遺し、1937年に「リマの古きプレゴンたち」として発表したことだ。代表的な一曲をあげるならば、ペルー版のドーナツともいえるピカロンを売るプレゴン、「ラ・ピカロネーラ」だ。ピカロン屋の「熱いピカロン売りに来たよ」という掛け声から始まり、ピカロンのあまりのうまさに人々が心を奪われても泥棒とは言われないなどと軽口を言いながらピカロンの美味しさを主張するというプレゴンならではの名曲だ。


 また、20世紀半ばには、ペルーの黒人音楽復興の立役者であるニコメデスとビクトリアのサンタ・クルス姉弟が、多くのプレゴンを歌の形にまとめて発表した。今日有名なプレゴンである「タマレーロ(タマルとよばれるトウモロコシ粉を蒸かして作る軽食売り)」や「フルテーロ(果物売り)」など多くのプレゴンが発表され、好んで歌われるようになった。94年に発表されたビクトリア・サンタ・クルスの『ペルー黒人の律動と情感』や以前に紹介したニコメデスの名盤「クマナナ」などでは、水売りやチチャ(トウモロコシで作るペルーのどぶろく)売り、バター屋、薬屋、お菓子屋など、さまざまなプレゴンが収録されている。伸びやかに歌われるこれらの曲の多くは、キューバのダンサ・アバネーラ(ハバネラ)を彷彿とさせる4拍子が多く、伸びやかな歌声にユーモラスな歌詞を乗せて歌われている。


 現在のペルーでも、プレゴンは生きている。かつてのような歌いながら行商する物売りは減ってしまったが、それでも数度、リマでタマーレス売りに遭遇してその歌声に聴き惚れたことがある。また、リマの野外ライブで本物の「レボルシオン・カリエンテ(熱い革命)」売りにも遭遇した。この熱い革命という魅力的な名前の売り物は、なんとシナモン・ビスケットのような伝統菓子であった。


 現在頻繁に出会うことのできる果物売りなどの多くは、スピーカーを使って物売りの掛け声を連呼している。これも現代のプレゴンの一つのありかたであろう。ぜひ、ペルーでなくても、何かの機会でラテンアメリカに出かけることがあったら、ぜひ耳をすましてみてほしい。物売りの声が、さまざまなメロディーとリズムに乗せてお客に呼びかけている、その言葉と音律の妙を楽しんでいただけたら、と思う。
posted by eLPop at 17:14 | 水口良樹のペルー四方山がたり