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エル・グラン・コンボの軌跡(6/完)

2014.09.04

(第5回より続く)

■そして現在まで

2002年、40周年を迎えプエルトリコで2回の大コンサートが開かれ、ライブ盤として発表されたが、一昨年ついには50周年も越えたエル・グラン・コンボ・デ・プエルトリコ。新作もコンスタントに発表し、コンサートも海外を含め年間200回も行っているのは驚きだ。筆者がプエルトリコに住んでいた時も毎週どこかで必ず見る事が出来たくらい精力的に活動していた。もう彼らのステージは5-60回見ているが、変わらないことがある。

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彼らのニックネームとしてよく使われるものに2つある。一つは「ムラートス・デ・サボール」。彼らは自分たち音楽を「サルサ」と呼ぶ以外に「ムシカ・アンティジャーナ/ムシカ・カリベーニャ」(カリブの音楽)という言い方をする。

カリブ海とその沿岸の音楽は歴史的にアフリカ、欧州、先住民の混血だ。”サボール(味わい)のあるムラート(黒人と欧州系の混血)たち”というニックネームは、サルサという音楽の出自も表している。

そしてもう一つのあだ名は「サルサ大学」。アンディー・モンタニェスやロベルト・ロエナなどこのバンドから独立してビッグネームとなったメンバーたちがいる事と、50年間トップを走ってきて常にお手本となっている為だ。それは自分たちのオリジナルのスタイルに忠実であると共に、常に新しい事を取り入れ、人々の気持ちと離れない作品を作り続けてきた歴史だ。伝統に忠実というより、自らが伝統となっている。

そんな彼らから学んでいる多くの若いバンドがいる。実際彼らの自身の子供も活躍しているのだ。ジェリーの子供のヘラルドは若手のサルサ・デュオ”NG2”のメンバーだし、パポ・ロサリオの息子も活動している。フレディー・ミランダの息子フレディー・ミランダ・Jrは日本のサルサ・バンド、サルサ・スインゴサや自らのバンド"SEKAI SALSA"などでティンバレスを叩く。

プエルトリコ以外の海外のダンス・フロアで地元バンドやDJたちがエル・グラン・コンボのナンバーを普通にプレイしているのに出会うことも多い。エル・グラン・コンボは「基本」(クラシコ)であり、かつ「今」のサルサとして聴かれ、レスペクトされている。

オルケスタ・デ・ラ・ルスの「Salsa Caliente del Japon」で彼らがエル・グラン・コンボの名前を歌詞に織り込み、レスペクトを表しているのは良く知られた事だ。そして前回の50周年公演でNORAはグラン・コンボをバックにゲスト・シンガーとして歌うという、今の日本のサルサともしっかりつながっている。

そんな風に、今動いているサルサの歴史の彼らをまた日本で見られると思うと、待ちきれない気分だ。
posted by eLPop at 13:18 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症