Top > 伊藤嘉章のカリブ熱中症 > エル・グラン・コンボの軌跡(3) 試練の70年代

エル・グラン・コンボの軌跡(3) 試練の70年代

2014.09.01

(第二回より)

■人気の息切れ、オリジナル・メンバーの離脱、レーベルと契約打ち切り

結成から7年後の1969年、やや人気も息切れしてきたところでレギュラーのTV番組、ラジオ番組から降板という事件が起きる。

バンドの世界は競争が激しい。1962年に”Trucu-tu”をリリース後、チャマコ・ラミレスとパキート・グスマンのフロント歌手を擁して人気を上げてきたトミー・オリベンシアがヒット・アルバム『Fire-Fire』をリリースしたのも69年。また、NYのファニア勢が伸びてきたのもこの頃だ。その渦中でバンドに試練が襲った。


まずロベルト・ロエナ(bongo)とエリアス・ロペス(tp)の脱退だ。ロエナは自己のグループ、アポロ・サウンドを結成しロペスも加わる。

ロエナら以外にも3人が脱退するそんな混乱の中、新メンバーで録音された『Smile』やヘマ・レーベル最後の『Este Si Que Es』はアンディーの歌が曲を引っ張り、コルティーホ的な弾んだリズムから次の時代につながる哀感のある音に変化して来た。

その年の最優秀グループ賞も受賞した一方でバンドは揺れ続ける。

Andy Pellin.jpg

マイク・ラモス、アンディ・モンタニェス、ペジン・ロドリゲスのフロントとなる70年代は再びメンバー2人の脱退から始まった。心機一転の為、Gemaレーベルから他レーベルとの契約を計ったが交渉は合意に達せず、一方で現契約も打ち切りとなる。バンド存続は可能なのか!?そんな危機の中、アンディー・モンタニェスは自宅を抵当に入れ録音の為の$7,000を借り、メンバー自身でEGCレーベルを設立する。背水の陣でのスタートを切ったのだ」。

■自己レーベルEGCでの70年代と新たな試練

70年に入り新メンバーでベネズエラの2の大きな賞を受賞。その賞状をジャケットにEGCレーベルで最初のアルバム『Estamos primeros』(俺たちが一番)がリリースされた。
estamos_primeros.jpg

この時代はリズムの魅力から、アンディーの歌を軸にしたサウンドに変化した事が特徴。また’71年に初めてトロンボーンが加入。アルバム『De punta a punta』からそのトロンボーンを生かした今のサウンドが始まった。この盤からのヒット曲「Achilipu」はコンサートの定番曲。前回の来日公演でも演奏されたので今回も要チェック。
de punta.jpg

この時代はグラン・コンボの音楽面以外のバンドの特徴、「共同運営」のスタイルが出来上がった時期でもある。各人が経理、練習、衣装、巡業、スケジュール管理、楽曲管理・・などを分担するシステムだ。彼らの一体感はこんなところからも来ている。

そんな中、「アンディーは太陽、ペジンは月」と」賞賛された最強のコンビネーションのボーカルの片方、ペジン・ロドリゲスが脱退という大問題が起こる。アンディーの弟が6カ月在籍の後、現ボーカルの一人、チャーリー・アポンテが加入した。

El-Gran-Combo-Charlie-Aponte-300x219.jpg
そしてチャーリー(右)の加入。若い!

チャーリーは地元のバンドで場数を踏んできた若手ですぐにグランコンボの音に若い華やかさを溶け込ませて行った。’70年代初のプエルトリコはファニアの音の進出もあり、またコーポラシオン・ラティーナやソディアック、ラフィ・レアビのセレクタなどがロックを通った若者の心をつかんだ時期でもあり、若いサルサが大きく活気づいた時だった。

そんな中、アンディーとチャーリーのコンビはヒバロ音楽に焦点を当てた『Numero 5』や『Numero 7』のでラファエル・エルナンデスの曲など、伝統曲を時代の空気を感じるアレンジで歌いこなし、次々にヒットを量産してゆく。ライブの定番「Salsa de Hoy」「Verano en Nueva York」「Vagabundo」などもこの時代の大ヒットだ。これらの曲も要チェック。

numero7.jpg

’70年代後半はソノーラ・ポンセーニャ、トミー・オリベンシア、ウイリー・ロサリオ、ボビー・バレンティンなどのオルケスタが80年代に向けての活躍を激化させて来た時期。グラン・コンボも厳しい戦いを繰り広げていたが、その年突然、なんと大看板アンディー・モンタニェスの脱退問題が起こった。この大打撃に、ラファエル・イディエールはどう対処したのか。

この続きは次回に。
posted by eLPop at 00:16 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症