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エル・グラン・コンボの軌跡(1)

2014.08.29

いよいよエル・グランコンボの来日公演が迫ってきた。
全国6か所で6,000人ものサルサ・ファンを楽しませてくれた前回からもう2年。
今回は2年前に来られなかったリーダー、ラファエル・イティエール御大も来てくれる。これは見逃せない。
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そしてドン・ラファエルは1926年生まれ。なんと今日8月29日が誕生日で88歳。日本で誕生日を祝う!というわけだ。今回も全国5か所に加え、上海、シドニー、ブリスベン、メルボルンも回るのだから88歳のパワフルさに驚いてしまう。

サルサ・ファンならエル・グラン・コンボの事は良く知っていると思うが、来日の機会にその歴史を数度に分けておさらいしてみたい。グループの歴史に入る前に、リーダー、ラファエル・イティエールの事をまず書いてみることにしよう。50年以上この「偉大なコンボ」を引っ張って来たのは何と言っても彼なのだから。

ドン・ラファエルは1926年、プエルトリコのサン・ファンの下町プエルトタ・デ・ティエラで生まれ、同じく下町のリオ・ピエドラスのバリオ・モナシージョで育つ。小学校の時にギターを始め、作曲家のティト・エンリケスにベースの手ほどきを受ける。同時に姉のエスペランサが弾いていたピアノを見よう見まねで身につけて16歳ころには達者に弾けるようになっていた。

この頃のプエルトリコでラファエルの周りにあっただろう音楽は、まずボレロ。彼がギターで奏でていたのはクアルテート・マヤリ、クアルテート・マルカーノ、ラファエル・エルナンデスと言ったメロディーの美しいボレロが全盛の40年代だ。

同時に、下町には、プレーナボンバのリズムが常に身近にあり、またプレーナやボンバをビッグ・バンドに取り入れたセサル・コンセプシオンやオルケスタ・パナメリカーナ が今のヒルトンホテルの西側のエスカンブロン・ビーチ・クラブやコンダードのニューヨーカー・クラブで人々を踊らせていた時代だ。もちろん、ペレス・プラードやオルケスタ・カシノ・デ・プラーヤ、ミゲリート・バルデスなども活躍の時代。ラファエルも、そんなスタイルもバリバリに弾きこなせるようになって いた。

22歳の時にラファエルは兵役に就き2年後の1954年に除隊して、ニューヨークでバンドに参加。そして島に戻り、コルティーホのコンボに参加することになる。コルティーホ26歳、ラファエル25歳、イスマエル・リベラ23歳。元気いっぱいでエネルギーに満ち溢れたバンドだ。
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コルティーホ・コンボとアルセニオ・ロドリゲス。ラファエル御大は後列左から3人目。若い。

コルティーホのコンボはボンバやプレーナと言ったプエルトリコ固有のアフロ・ルーツを持つ音楽を最新のサウンドに乗せ、大人気となった。ビッグ・バンド・スタイルのマンボからスモール・コンボへと動いていた時代でもあり、”El Bombón de Elena”“El Negro Bembón””Oriza”・・・とヒットを連発。プエルトリコのみならずNY、コロンビア、パナマ・・・と各地で絶大な支持を得ていた。ラファエルのスイングするピアノも素晴らしい。

岡本郁生さんによるエディ・パルミエリのインタビューで「(NYの)パレイディアムの土曜日はコルティーホで満員」と語られている程の人気。(”Latin Dance Mania” P32)

そんな人気抜群、音楽的にも最高なコルティーホのバンドから、ドン・ラファエルを中心にした「エル・グラン・コンボ」が生まれるのだが、ここで一旦一休みして続けたい。
(その2へ続く)


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posted by eLPop at 15:39 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症