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複数形の「トロマタ」

2014.08.01

 考えてみれば、まだアフロペルー音楽がっつり、という記事は書いていなかったなぁ、ということで、今日はアフロペルー音楽で段違いに有名である名曲「トロマタ」について書いてみたい。「トロ・マタ」つまり「牛殺し」とかなり物騒なタイトルが付いたこの曲は、なかなかどうして数多くの魅力と謎に満ちた一曲である。

 おそらく、多くのラテン音楽ファンにとって、初めてのトロマタとの出会いは、おそらく1974年にセリア・クルスジョニー・パチェコと録音した、サルサ「トロマタ」であったのではなかろうか。これはなんだ?ということになり、ペルーになんかアフロ音楽があるらしいぞ、と初めてちょっと世界の視線がアフロペルーに向いた、そんな瞬間の一つだったのだろう。



 ところが、サルサ「トロマタ」の元曲がカルロス・ソト・デ・ラ・コリーナ、通称カイトロ・ソトによって再構築され発表されたのはその前年1973年のことであった。このカバーの異様な早さの謎について歌姫は自身の自伝の中で以下のように述懐している。
 彼女が60年代半ばにペルーで公演した際、リマでセシリアという名の若い歌手が歌っていたトロマタを聴き感銘を受けたので、同行していたアルベルト・カスティージョにピアノ譜にしてもらい持ち帰ったのだと。
 セリア・クルスはしかしその後しばらく現役を退いていたようで、74年のジョニー・パチェコとのアルバムは、まさに彼女の復活の狼煙として非常に大きな意味を持っていたアルバムであった。そこで彼女がトロマタのサルサ・バージョンを入れたいとなった背景には、もしかしたらカイトロ・ソトのトロマタが世に出たことで、彼女がかつてペルーで聴いたトロマタの記憶が呼び覚まされたということがあったのかもしれない。
 ともかく、この『セリア&ジョニー』のアルバムに収録されたトロマタは冒頭曲のキンバラ同様非常にインパクトを持って聴衆に受け入れられ一気に有名なナンバーとなったのであった。

 それでは、本国ペルーにおけるトロマタを見て行こう。
 そもそも、トロマタは、カニェテやチンチャというアフロペルー集落に残っていたとされ(またリマにもあったとする説もある)、様々な歌詞や音楽のバリエーションがあった音楽であったようだ。そしてトロマタの「牛殺し」の歌とはつまるところ、闘牛の歌であった。

 アフロ系住民の闘牛への参加の歴史は古く、18世紀以降、断続的に登場していたようできちんと黒人闘牛士の名前が残っている。彼らが当時どのような立場でマタドールとして活躍したのかについては分からないが、これらの影響もあって、トロマタという芸能が生まれてきた、ということは間違いないようだ。
 現在、トロマタはランドーとして踊られることが多い。しかしリマのアフロ系クリオーヨの長老であったアウグスト・アスクエスによれば、トロマタの踊りとは本来、男女の恋の踊りで、女性がマタドール役を、男性が雄牛役をする踊りであった、という。今のトロマタの音楽では牛の真似をした男が女の子に突っ込んでかわされる踊りが全くしっくり来ないが、これは音楽自体が変わってしまっているからであろう。しかし、その踊りの風景を思うと、トロマタのイメージが変わってしまってちょっと残念だ、というのは内緒だ。まあ、そりゃ非常に盛り上がったことだろう、とも思う。

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 さて、このトロマタについて、最初に記録を残しているのは、リマの女流ピアニストで作曲家のロサ・メルセデス・アヤルサ・デ・モラレスだ。彼女自身たくさんの名曲を世に残した作曲家であるが、彼女が1937年に発表した『リマの古きプレゴン(物売り歌)たち』の中に、トロマタがラメントとして掲載されていた、という。残念ながら楽譜など私はまだ見ること叶っていないが、記録に残るもっとも古いトロマタはラメントであった。しかし、ラメントでも闘牛踊りは出来ないので、この時点ですでに変化していたのかもしれない。

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 そしてその次にトロマタを取り上げたのが1956年にアフロペルー音楽復興の最初の狼煙を揚げたまぼろしの一座「パンチョ・フィエロ座」であった。白人歴史学者ホセ・ドゥラン教授がリマに流入してきたアフロ系住民やリマのバリオに住んでいたアフロ系住民を集めて「古き良きリマの生活」をアフロ音楽と踊り、朗読詩などを中心に行った興業だ。ここでも演目名以上にデータがなく、トロマタがどのように演じられたかについては残念ながらわからない。ちなみにカイトロ・ソトはこの公演でも中心的存在として活躍しており、ここでのトロマタ体験が後のカイトロ版トロマタの発表につながっていったということになるのを踏まえると、ある程度近いものだった可能性は高いだろう。

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 さらに1964年には、アフロペルー音楽復興の最重要人物の一人ニコメデス・サンタ・クルスの金字塔とも言える作品『クマナナ』の中にトロマタは登場している。こちらはパナリビオという南部のアフロ系リズムにのせて歌われている。曲のタイトルは「Ahí viene mi caporal」である。牧歌的なハバネラ調のゆったりとしたリズムにのせて歌われるそれは、闘牛踊りとも合わないが、同時にセリア・クルスに翌年にカバーさせたような、あのカイトロ・ソトのトロマタのような力はない。むしろ、とことん脱力系トロマタといってもいいものである(個人的には非常に好きな曲だ)。

 セリア・クルスがトロマタをリマでセシリアという歌手が歌っているのを聴いた、というのもこの時期である。セシリアという歌手が誰であったのか、セリア・クルスは苗字を覚えていないと言っているが、この時期デビューした実力派歌手から探すとなると一択、セシリア・ブラカモンテの可能性が非常に高い。だが彼女は元来生粋のバルス歌手としてキャリアをスタートさせていることを考えると可能性は低いと思わざるをえないが、彼女を全面的にサポートしていたオスカル・アビレスがアフロペルー音楽復興運動と非常に近いところにいたことを考えると、絶対なかったとも言えないのが難しいところだ。ともかく、この時期にセリア・クルスが聴いたトロマタはおそらくパンチョ・フィエロ座のスタイルのものに近かった可能性は高そうだ。

 このように、カイトロ・ソトがトロマタを録音するまでにも、繰り返し繰り返し、トロマタは登場し、その波間に消えていっていた。もしかするとカイトロ・ソトとペルー・ネグロによるトロマタが誕生し唯一無二のインパクトを持ちすぎてしまったことで、このようなさまざまなトロマタたちがすべて駆逐されてしまったようなことがあったのかもしれない。往々にして、そういうことは期せずして起こるものである。しかし、それだけのインパクトを、カイトロ・ソトのトロマタは持っていた、ということだ。

 それでは、満を持してカイトロ・ソトのトロマタについて見たみたい。
 1973年にカイトロ・ソトが収集・編曲して発表したトロマタは、非常にインパクトのある、魂をも揺さぶるような力強い曲へと生まれ変わっていた。しかし、そこで歌われる歌詞は、黒人マタドールの辛さ、陰口などが主なテーマだ。雄牛を殺せたのは、もう明日にも死にそうなおいぼれ牛だったからさ、と黒人マタドールはたとえ活躍しても、必ずしもいい顔をされなかった悲しい現実がそこでは歌われている。ここで少しおもしろいのは、ごく自然に歌詞の中にペルー・ネグロのダンサーの一人ピティティへの掛け声が入っていることだ。この曲をコピーしたすべてのトロマタ歌手は、この素晴らしきダンサーピティティへの掛け声まで一緒に入れ続けているのである。
 カイトロ・ソトのトロマタの大きな特徴の一つは、後半にフーガとしてフェステホがツケられていることである。このフェステホはカニェテに古くから伝わるまったく関係のないフェステホであるが、今やこのフェステホのフーガなしにトロマタは完成し得ないといっても過言ではないほど、なくてはならないものとなっている。



 カイトロ・ソト自身について説明するのを忘れていた。カルロス・"カイトロ"・ソト・デ・ラ・コリーナ、通称カイトロ・ソトは当時最高のカホン奏者の一人であり、パンチョ・フィエロ座時代より常に最前線でアフロペルー音楽の新しい世界を切り開いてきた一人だ。1934年にカニェテで生まれ、7歳で父を失ったのをきっかけでリマへと出てきた。初期のペルー・ネグロのメンバーとして活躍し、さらにそのパトロンであったチャブーカ・グランダに「息子」と愛され、常に彼女のステージに呼ばれカホンを叩き続けたという特異な経歴を持つ(ちなみにチャブーカ・グランダのアルバムにも、カイトロ・ソトが歌うトロマタが普通に入っている)。また、パコ・デ・ルシアにカホンをプレゼントしたことによって、フラメンコにカホンが導入されるようになった、そのきっかけをつくったのもこのカイトロ・ソトである。

 カイトロ版トロマタが世に出て以来、録音されるトロマタはすべてカイトロ版のコピーとなった。彼のトロマタがそれほど素晴らしかったというのはもちろんのこと、トロマタ自体がアフロペルー音楽で最も名の売れた曲となったことによって、トロマタ需要が一気に高まったのであろう。

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 さて、もう一曲、別のトロマタの話をしよう。スサナ・バカが1992年に出した渾身の作品に『火と水から』というものがある。この作品は彼女の作品の中でも異彩を放つアルバムで、数十ページに渡る詳細なアフロペルーの歴史と文化、そして音楽についての非常に詳細な解説が付いているという作品だ。いわば、スサナ版『クマナナ』がこの『火と水から』というわけだ。このアルバムの中で、スサナは彼女自身が採集したというトロマタを歌っている。ペルーとチリとが戦った19世紀末の通称「太平洋戦争」の歌詞が登場するなどなかなか衝撃的なトロマタであるが、まだこのようなトロマタが眠っていたのかと、初めて聴いた時には心底ドキドキした記憶がある。彼女曰く、ここには4つのスタイルのトロマタをミックスして一曲としている、ということだ。このアルバムのオリジナル版はおそらくもう入手不可能だが、廉価版ならまだ手に入ると思うので、ぜひ聴いてみていほしいと思うトロマタである。

 また、近年になると、さらに自由な解釈のもと、トロマタのレゲトン化なども何の違和感もなく行われるようになっている。そんなトロマタのあり方も、これまでのトロマタの歴史を思えば、ありじゃね?と言わざるをえない、まさに「生きているトロマタ」の証だと言えるのだろう。





謝辞;この原稿を書くに当たり、岡本郁生さん、伊藤嘉章さんから貴重なコメントを頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。

posted by eLPop at 17:37 | 水口良樹のペルー四方山がたり